今月の執筆者

渡辺 誠

写真展を終えて

 昨年はリフレで5月、12月と二回の写真展を開催致しました。ほぼ20年ぶりの個展でありましたが、終了後も年末年始の慌しさに忙殺され、何も出来ない期間がありました。

沢山の方々の応援を頂いたのだと思い、感謝に尽きないのです。お礼も言い尽くせない中に、振り返ってみたい内容があります。

昨年の一年間は、慌しさの中に緊張感の切れない期間が続きました。そうすると何か啓示を受けるように沢山の思いが私に伝わってきたのだと感じます。

写人山陰菊里会の会長である新勝人さんが、以前に云われた言葉がそうでした。写真を撮り続ける中に、詩情や、夢の世界があり、何か目に見えない力に煽られていくような、衝動に駆られていくようなものがあると言うのです。

私は、新さんの言葉に共感するのですが、写真の中に、もうひとつの世界があり、それもまた現実です。写真家は現実を視て、技術を経て再構築するのですが、そこからが写真家の表現であり、正念場であります。楽しくもありますが自分が打ち砕かれる作業でもあります。願うイメージを写真に出すことは簡単ではないのです。私自身が賽の河原の石積みの様な作業を続けてきたのでありますが、時を経て形を為し、見えてくるものがあります。それは区切られたその時代の地方の姿でありましたが、一方では写真とは何かと云う写真家自身の命題でもあったのです。

私は縁のあった、倉吉とこの地域を、写真のエリアとして定めながら、二十数年の変遷するこの時代と地域を見つめてきました。

写真の表現は時代と共にあり、その時代はめまぐるしく移り変わり、その変貌に戸惑うのです。山陰の一地方都市の日常から見えてくる、この時代や日本という国の実相。自然と生活が絡み合いながら、織り成す美しい表情と共に捉えたいと思うのです。

表現は、先人の苦労や業績の中に学びながら、自身が苦労して積み上げるものと思います。礼をもって先輩に学び、過去に尋ねます。新しい技術も、旧い時代からの技術を土台にしているのです。

写真談義も闊達に交わしながら、写真や人生、地方についても考えたいと思います。目指すのは感動や幸せでいいのです。写真は私たちが良く生きるための力となれば素晴らしいのです。

県中部の中核を為す倉吉も、観光資源の豊かさと、新しい町造りを感じます。開かれていく地方としての姿を思い、楽しいのです。そんな姿を撮り続けたいと思います。写真は無心になって見えてくるのです。

ありがとうございました。       (写人菊里会会員)