今月の執筆者
徳野明了
40年を経たこと
始発のスーパーはくとの車窓には、まだ朝のひかりはうかがえない。眠気はあるのにいっこうに眠れない。3月の初めでした。ユーチューブ(YouTube)でコーラスを探して聞きながら、私は福井へ向かっていました。大学時代の男声合唱のK先輩が、その後も郷里でコーラスを続け、さらにプロの声楽家の指導を受け、60歳を機にソロコンサートをしたのです。
私の方は、昨年声出しの必要を感じ、「コーラスはわい」に参加させていただきました。彼の40年とは違い、学生時代に触れたほとんどを封印した時間が、私にはありました。
それでもコーラスに参加すると、かつての思い出がしみ出してきます。年末の「コーラスはわい」の忘年会では、思わず酔っ払ったまま多田武彦作曲の「雨」を歌っていました。あの頃の私は、音楽云々を求めるというより、詩をどう心に感じるかというような意識が強かったと思います。学生作曲家時代の多田に対する作曲家清水脩の助言は、「男声曲をア・カペラで、日本語のイメージを保ちながら」というもので、それを大事にした多田の作品は、孤独や鬱屈に敏感な一部学生(ある種の書生気質)には、まさに文化でした。
この「雨」も、私には「詩を歌う」という思いが優先しました。もちろんメロディーのピュアな美しさがなければ心に届かないのですが、知らぬ間に「詩が自分のものになる」という感触が青い心の私を満たしました。その後は一人で口ずさむだけでしたが、詩とメロディーが折り重なって相乗的に膨らんでいく感覚を、噛みしめていたようです。
列車が県境を越え朝日が眩しさを増したころ、ytには「多田武彦逝去」という記事が出てきました。驚きました。封印を解いた時間とその記事が一致するっていうことの意味は、「出会い」と「喪失」ということを深く思わせるからです。40年という時間が私とK先輩の時間だけでなく、多田との時間でもあったのだという思いが重なり、「その時間」が、私の心の中にじっと沈みこんでゆきました。意識を動かさない時間が、暫らくあったように思います。こんなに過去の時間を受け止めようとする自分が、意外でした。
K先輩は、果敢にイタリアオペラに挑戦していきました。多田は、静かに逝きました。この日、私に射した朝の光と影。今思われるのは、「過去を振り返るのは少しだけ。気負わないで歩み出す。出さないと何かを失う。たぶんそれは自分。自分にピュアなメロディーを感じる生き方を」ってなこと。「詩が歌われることの意味」がそこにあるのかと…。
(コーラスはわい)