「米国で習い事」

 

米国生活が長い私、30代の頃は仕事が厳しくめちゃくちゃ忙しくて毎日毎日仕事漬けのハードな生活だった。その後、独立し40才過ぎのころからライフスタイルを変えて、仕事以外のこともいろいろやってみたいと思うようになった。

 

NYでスポーツ・ジムに通っていたときに、水泳をもっとやりたいなと思って個人レッスンを受けた。米国には日本のようなスイミングスクールはなくて、ジムのプールでグループレッスンか個人レッスンを取るのが一般的。私は大学生の頃、日本でスイミングスクールに通っていた時期があり、クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライの4つ全部一応できるが、バタフライはあまりうまくはできなかったので、もっとかっこよく泳げるようになりたいと思った。

 

若い米国人男性のインストラクターで個人レッスン料は結構高い。1時間だと80ドルだったので、30分だけにして40ドル払った。1週間に1回で10回のコースにした。インストラクターが来る前に自分で30分くらい泳いで準備するので水泳時間は全部で1時間位。他の泳法もみてくれるけど、主にバタフライをお願いしていたのでそれが中心になる。しかしバタフライはやったことがある人ならわかると思うけど、とても体力を消耗するのですぐ疲れて手が上がらなくなる。筋肉をつけるところからやらないとダメと言われ、ジムの筋トレマシンに連れて行かれた日もあった。泳いだ後、インストラクターが毎回3分くらいリハビリの先生みたいにストレッチ・マッサージをしてくれるのが気持ち良かった。なんやかんや指導してもらい、きれいに泳げるようになるまでには到達できないうちに10回のレッスンが修了。10回ではだめだなあと思ったけれど継続はせずとりあえず自分でしばらく練習しようと思ってそのままになった。

 

それから、私は30代中頃からクラシック音楽に傾倒してニューヨーク・フィル、カーネギーホール、メトロポリタン・オペラの三つの定期公演のシリーズチケットを毎年買っていた。シーズン中は平均月に3回位コンサートに行っていた。オペラを聞いているうちに私も歌ってみたいなあという気持ちになり、42才の頃に声楽のレッスンを始めた。先生の探しかたもよくわからず、とりあえず年配の日本人女性の先生の所へ行った。レッスン料は1時間50ドル。私は子供の頃ピアノを少しやっていたので楽譜は読める。合唱を少しやったことはあるがそれ以外の音楽経験はなかった。

 

ボイス練習教本は「コンコーネ」で、曲の練習は「イタリア歌曲の24曲」という教本だった。その中で”Caro mio ben”という曲を最初に習った。どしろうとの私がいきなりこんな曲を歌っていいのかと思った。先生がピアノを弾きながら歌ってくれる。とてもきれいな曲でこんな私でもイタリア語で歌うとそれなりにかっこうがつく。うれしい。先生がレッスン中ずっと録音テープを取ってくれて、これを家で聞いて練習しなさいと言われ、その方法はなかなかよかった。先生の声もピアノも私が歌う声も全部録音されている。知らない曲も耳で聞いて覚えられるし、自分の声を客観的に聞くとどこがいいか悪いか、たしかにわかりやすい。

 

その先生には1年間声楽を教えてもらった後、ニューヨークに音楽留学に来ていた大阪音大の卒業生で20代の若いカップルにレッスンを受けることになった。彼らは婚約中で一緒に住んでいて男性は声楽、女性はピアノが専門。私はピアノをもう一度やり直したくて、そのお宅に週に1回通って、最初の1時間にピアノのレッスンをしてもらい、その後の1時間は声楽のレッスンをしてもらった。一回一人の先生に40ドルずつで80ドル払った。

 

さすがに大阪音大のピアノ科卒の先生はピアノがおそろしくうまかった。子供のころから譜読みは早い方だったそうで、なんでも初見ですぐ弾ける。声楽の伴奏に慣れていて、楽譜の調を変えてさらっと弾くこともできる。私は子供の頃、日本でおきまりのピアノ教本である「バイエル」と「ブルグミュラー」と「チェルニー」をやった程度。あんなにシャープやフラットがたくさんあるような曲、そのまま楽譜通りに弾くだけでも難しいのに、初見で調を変えてさらっと伴奏するなんて神業と思った。

 

私はピアノをもう何十年も弾いていなかったが、もともとたいして弾けなかったので3カ月で子供の頃にできていたレベルに戻った。ブルグミュラーはきれいな曲が多いので弾いていても楽しいが、チェルニーはやはり苦痛になった。チェルニーは弾きにくいのに簡単に聞こえる曲ばかりで、なんでこんなの間違えるんだろうと自分がいやになってストレスがたまる。いろいろ習ってベートーベンの「ト調のメヌエット」や「エリーゼのために」を子供の頃よりずっとうまく弾けるようになったのはよかった。

 

声楽の先生は基本的にはバリトンだが、音域が広くて声量があって良く響くいい声だった。高校生の頃、大阪音大でオペラ公演を初めて見てすごく感動し、「俺、これやりたい!これやるぞ!」と思って大阪音大に入学し、卒業公演でモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」のフィガロ役をやって夢が実現したと熱く語ってくれた。私はメゾ・ソプラノで彼から最初に習った曲はフィガロの中でケルビーノが歌う”Voi, che sapete”だった。

 

声楽は楽しい。どんどんメゾ・ソプラノの曲を探していろいろ歌った。楽譜を買ってもどんな感じの曲かよくわからないものが多いので、その曲が入ったCDを買って聞いて覚えた。イタリア語もドイツ語もフランス語もCDで聞こえるままをカタカナで楽譜に書きこんで原語発音は自分でマークを作ってそれに近く発音できるように工夫した。今はYouTubeがあるからほとんどの曲は探せば見つかるのでYouTubeで無料で聞けばいいが、当時はなかったからCDを買うのにお金がかかった。楽譜もなかなか見つからないものもあってリンカンセンターにある音楽図書館で探してコピーをとったりしていた。

 

声楽が楽しい理由の一つは、まず練習にそれほど時間がかからない。歌いすぎると喉に良くないので一日に何時間も練習するということはない。歌は聞いて覚えて声に出すだけなので、たとえ練習不足で下手でも全く歌えないということはない。それがピアノだと練習していないと全然弾けない。声楽はかなり初期の頃からから古典のいい曲を歌わせてくれるので歌うこと自体がどんどん楽しくなってくる。それに少し才能のある人なら短期間ですごくうまくなる。

 

ピアノは初心者から始めて基礎練習の期間があまりに長すぎてめげる。特別に才能のある人は別だが普通の人はまともにベートーベンの曲やモーツァルトの曲などを弾けるようになるのに何年かかかる。練習曲がおもしろくない。家庭での練習に時間がかかり過ぎてだんだん辛くなってくる。自分の好きな弾きたい曲だけ習うように変更したら気分が楽になった。別に音大を目指すわけではないし大人が趣味でやるだけなのだからそれでいいと思う。そうでないとピアノは楽しむのが難しい。

 

声楽の先生とピアノの先生には、私と夫のニューヨークでの結婚式の時にも大変お世話になった。結婚式に来てもらってピアノの先生の伴奏で、私と声楽の先生は二重唱でモンテヴェルディのオペラ「ポッペアの戴冠式」から”Pur Ti Miro, Pur Ti Godo” を歌った。それからしばらくして、彼らは音楽留学を終えて日本に帰国することになり、彼らとのレッスンは3年間で終わった。その後、彼らの紹介でやはり音楽留学でニューヨークに来ていた東京芸大大学院声楽科卒の若い女性に声楽を1年間習ったが、その先生も日本帰国してしまった。

 

その後も声楽は続けたかったが適当な先生が見つからず、48才の頃に今度はバイオリンを習い始めた。バイオリンはそれまでやったことが全くなかった。中学生の頃にギターが流行って兄がギターを持っていたので、それで簡単なコードを少しひいたことがある程度。その時、私の指は爪が細長くて指先に肉があまりついていないので弦を押さえにくい指だということは気が付いていた。バイオリンを子供の頃からやっていたという友達にこういう指で弦を押さえにくいからバイオリンは無理よねえと相談したら、「いや、ギターと違ってバイオリンは弦を垂直に押さえなくてもいいからその指でも大丈夫よ。」と言われ、思い切ってバイオリンを習うことにしたのだった。

 

バイオリンはあこがれの楽器。バイオリンケースを持って歩くのもかっこいいし。ちょっと習ってみたいだけだったので日本のヤマハ音楽教室のようなものがニューヨークにあればそういう所に行ったのだが、そういうのはなかった。それで自分が住んでいるアパートで時々見かける年配の米国人男性のバイオリニストとエレベーターでたまたま一緒になったときに、「バイオリン教えてますか?」と聞いたら「教えてますよ。誰が習いたいのですか?お子さん?」「いえ、私です!」という感じで、個人レッスンを始めることになった。レッスン料は1時間50ドル。

 

同じアパートの下の階に1週間に1回習いに行くだけなので通学に時間がかからず楽だ。しかし、近すぎてバイオリンケースをもって外をかっこよく歩くということはなかった。最初、バイオリンと弓とケースがセットで2百ドル位の安いバイオリンを先生が見つけてきてくれて、それを買った。スズキのバイオリン教本を使った。スズキ式バイオリンレッスンは米国でもとても人気だ。その後1年くらいしてからレンタルでもっと質のよいバイオリンを借りてしばらく使っていたが、バイオリンを始めて3年目に2300ドルのバイオリンを買った。なかなかいい音で弦も押さえやすく気に入って今も使っている。

 

スズキのバイオリン教本1はキラキラ星変奏曲から始まるが教本1の後半にはバッハやシューマンの曲の一部が出てきて、きれいな曲で、もうこんな曲を弾いていいのかという感じで、声楽と同じでとても楽しい。初心者でも半年もやればきれいな音ではないにしてもそれなりに弾ける。なんて気持ちがいいんだろうと思った。うれしかった。

 

ピアノと比べるとバイオリンは楽譜がとても簡単だと思った。バイオリンは声楽と似ていて主旋律の音を出すだけだ。ピアノで言えば右手だけで弾くようなもので、それも指で鍵盤を一つずつぱらぱら押すだけで、たまにしか二つ三つ鍵盤を同時に押さえる和音がでてこないような超簡単な楽譜という感じ。考えてみたらピアノは右手でバイオリン、左手でチェロを弾いているようなもんだなあ、一人で二つの楽器を同時にやるようなもんだから複雑なわけだわと思った。

 

スズキの教本と並行して先生が用意した練習曲やらバイオリン曲を少しずつやって、2年間でスズキの教本5まで進んだ。しかしそれからは万年中級レベルが長く何年も続く。スズキの教本は6までやった。5年やっても中級レベルから抜け出せそうになかった。子供なら5年もやっていれば上級レベルに達するのが普通だろうと思うが大人はそうもいかない。バイオリンの難しさは音作りだ。絶対音感がない私は少しくらいピッチがずれていてもわからない。最相葉月の『絶対音感』という本に書いてあったが5才くらいまでに訓練すれば9割位の子供は絶対音感がつくそうだ。

 

ボウイングも見た目よりずっと難しい。何も知らない頃は右利きの人が多いのになぜ弦楽器は左手で弦を押さえて右手で弓をひくのだろう、弦を押さえる方が難しそうだから右手の方がいいのではなんて思っていたこともあったが、それはとんでもなかった。弓はとても微妙でどのくらいの角度でどのくらいの圧力で弦にあてるかで音がかなり違う。利き手でないと難しい。声楽もバイオリンも似ていて、楽譜通りに音を出すだけなら練習すればそれなりにできるだろう。しかし、たとえばアヴェマリアを小学生が歌うのとオペラ歌手が歌うのとでは音が全然違う。バイオリンもそんなものだ。いい音だしてなんぼだ。

 

フロリダに引っ越してから最初の半年は何もしていなかったが、なんとかバイオリンの先生を見つけてレッスンを始め、今も習っている。中年の米国人女性で家に来てくれる訪問レッスンだ。レッスン料は1時間50ドル。今はモーツァルトのバイオリン協奏曲第3番ト長調の第一楽章を習っている。これやりなさいと言われて、こんな難しいの私にできるのかと思いながらも練習して、難しいカデンツァの所は飛ばしてなんとか弾いている。へたながらもこんな曲を弾けるようになってうれしい。今後も万年中級レベルだろうけどそれでいいのだ。

 

バイオリンを始めてから最初の5年くらいは週に1回レッスンをして頑張っていたが、仕事との兼ね合いがなかなかたいへんで毎週だとゆっくりできないので、その後は2週間に1回のペースでやっている。楽器は家庭での練習が大事で、レッスン日はその発表日のようなものだ。毎日毎日楽器練習の宿題をやるのは時間をとられてたいへんだ。たとえば水泳のようにそこに行ってやるだけの習い事とは負担が大きく違う。習い事は本人が楽しんでやることが一番大事だ。特に大人の場合は自分のペースでゆっくりやればいいと思う。音楽は楽しい。