今月の執筆者
吉田章一
「冬の旅」との長い旅
「『菩提樹』以外は、どれも暗くて陰鬱な曲だ」
シューベルト(1797〜1828)が初めて「冬の旅」を披露したときの友人たちの感想です。私も初めてこの曲集を聞いたとき同じように感じました。
学生時代に「菩提樹」が歌いたくて楽譜を探していたら、「冬の旅」という曲集の中に見つけました。「菩提樹」の他にどんな歌が入っているのか、友人からレコードを借りて聴いてみると、出だしから陰鬱で、6曲目あたりから入眠し、気がついたら全曲終わっていました。これが私の初めての「冬の旅」体験でした。
その後、暫くは縁がなかったのですが、当時大好きだったフィッシャー=ディースカウのレコードがお店にある、というので早速買うと、それは1979年に録音されたバレンボイム(1942―)との「冬の旅」でした。以前聴いたものと違い、歌もピアノも生々しく、あたかも目の前で青年が悶え苦しんでいるように感じました。特に第14曲「白髪(霜おく頭)」から第15曲「鴉」に移る呼吸が絶妙で、「鴉」の叫びで心臓を鷲掴みにされました。
「この曲集を歌ってみたい!」
ここで初めて「冬の旅」と出会ったのです。
シューベルトが、ミュラー(1794―1827)の24の詩からなる連作歌曲集「冬の旅」を作曲したのは、死の前年1827年です。
《失恋した青年が恋人の家の前から旅に出るところから始まって,何度も死の誘惑に駆られながら,最後には道端の辻音楽師と新たな旅に出る。》
シューベルトはまず前半の12の詩を見つけ、それに作曲し、その後間もなく全24篇が収められた詩集を入手し、残りの曲に着手しました。完成された後半の清書には、1827年10月という日付が書き込まれていました。それ以後、シューベルトは病の床にあっても「冬の旅」の出版に向けて絶えず校正を続けました。そして、1828年11月19日、31歳でこの世を去りました。
シューベルトの希望や絶望、幸福や喪失、激情や狂気、夢や諦観がつまった「冬の旅」。シューベルトが最期まで大切に手元に置いていた「冬の旅」。私も最期までこの「冬の旅」と長い旅を続けていきたいと思います。