今月の執筆者

山本 浩

倉吉の文化活動のお手伝いを

初めまして。私はアザレア音楽祭実行委員会スタッフの山本 浩といいます。

さて、私は倉吉市の人間ではありません。鳥取市鹿野町在住です。なぜ、倉吉市の人間ではない私がアザレア音楽祭のスタッフに関わっているのか?それは、倉吉文化団体協議会事務局の恩田陽子さんからの依頼でした。

そもそも、私がアザレア音楽祭のことを知ったのは、もともとFacebookで繋がっている恩田さんが、いつもリフレプラザでの催しの予告や、アザレア音楽祭のこと、そして連合展の告知を発信していたことからでした。ただ、当時はアザレア音楽祭の名前は知っていても、音楽にはあまり関心がなかったので、興味すらわきませんでした。

話はそれますが、私はある経営者異業種交流会の県の役員としてお役も受けていますが、その経営者団体は、県内で4か所あるなかで、倉吉市の単会が一生懸命活動されていて、倉吉市の方々とは縁が全くないわけではなく、しょっちゅう来ています。そのような理由もあり、昨年の春、恩田さんからスタッフを依頼されましたが、私は一生懸命な人は応援したい性格なので、即受けることとなりました。

実際にスタッフとなってみたら、アザレア音楽祭のことは知っておかないといけない、と思い、いろいろ聞いてみると、始まってからもう37年も続いている、倉吉市あるいは中部在住のたくさんの音楽家や学生の皆様が手作りで関わっている素晴らしい音楽祭であるということを初めて知りました。

そして、実際にそのご活躍を生で見ると、音楽という芸術についての素晴らしさを五感で感じることが出来、少しずつ関心が出てまいりました。

ちなみに、私が在住している鳥取市鹿野町には、「鳥の劇場」という今では大変有名になっている劇団があります。それ以前に「ミュージカルのまち」として、約30年前から町内在住、もしくはその近郊に在住の有志や小中学生の皆様が、本当に手作りで作り上げている「鹿野町民音楽祭」があります。私もその初期のころ、主役としてミュージカルで演じたことや、スタッフとして活動したりしていたこともあります。当然有志で作り上げる音楽祭なので、町内外の企業にスポンサーを募ったり、行政に応援依頼をしたりと、いまだにその活動は続けられています。

さて、倉吉市では数年前鳥取県中部地震が発生し、街が多くの打撃を受け、経済面において大変厳しい状況になり、アザレア音楽祭におきましては少なからずの企業様からの協賛等が減少したと聞いております。また、行政の財政も決して余裕があるということではないと聞いております。そんな中、私が出来ること、今行っていることとしましては、倉吉市以外の地域の企業様、個人様より協賛を出来るだけ募ることです。

倉吉市では、近い将来「鳥取県立美術館」が開館することが決定していますが、私から見ても、倉吉市は芸術等で活動されている人の比率が鳥取県内では一番高いのでは?と思えます。そんな倉吉に美術館が誕生することは鳥取県にとって一番ベストだと思っています。これからは、そんな芸術のまち倉吉市に、多くの皆様が誇りをもって、発信や参加、そして協力されていけば、この街はとても元気で活力のある街に変貌するのではと思っています。

これからもスタッフの一員として、微力ながら倉吉の文化活動のお手伝いをしていきたいと思っています。今後とも、よろしくお願いいたします。