今月の執筆者
吉田幸子
倉吉市文化
活動センターで思う事
いつもお世話になっております、事務局の吉田です。
こちらで働くことになって、はや8カ月。ちょっと(?)歳をとった新人として、皆様に可愛がって頂いております。こちらに来るまでのお話を少しさせて頂きます。
出身は米子市で、大学卒業後、そのまま広島で事務系のシステムエンジニアとして、東京・福岡など出張していました。現在三朝町に住んでいますが、初めての出張先は、岡山大学三朝病院で、今思えば、倉吉・三朝に縁があったのでしょうか…その間、広島の青少年センターで、教室をもち、お菓子つくりを教えたりとそれなりに忙しく充実していました。
結婚を機に、転勤族となりました。転勤の事もあり短期の仕事をはじめました。友人の紹介で、当時はやっていた大阪・境港の博覧会や展示会のお仕事もさせていただき、少し華やかな経験もいたしました。
子供がいなかったので、どこでもついていきました。東京のゼネコンでしたので、五箇山の高速道路建設、九州新幹線のトンネル工事などほほ民家のない山奥の暮らしもありました。工事にはつきものの水(温泉!)で、ドラム缶のお風呂をつくっていただいたり、山のミネラル水を近くまでひいてもらい飲んだりと野趣あふれる生活でした。
拾った子犬と一緒に、山の中を歩き、胡桃が木になっている姿をみて感動、銀杏の匂いにめげながらも、川で洗って、ビニールシート(現場なのでたくさんあり)で干す。蕨やぜんまいなどの山菜さがし、現場の照明に集まるカブトムシやクワガタを捕まえては、近くの福祉施設に持っていき、収入となるよう出荷までお手伝いする。それまでの自分は、山菜など食べる分以上採り、結局腐らしてしまう。大きなクワガタをみれば、一匹5千円はすると思い、自分で飼ったりと、知らぬ間に手に入れた「もの」に追いかけられる生活をしていました。
ボランティアですかと、よく聞かれました。「自然からの恵みを必要な方にわける、ただそれだけのこと。名前は名乗らない。前に出ようと思うな。」亡き主人の言葉です。この言葉のおかげで、それからは力が抜け、楽しく貴重な経験となりました。この言葉を胸に事務局員として、文化活動センターの利用者の方が快適に、ギャラリーに展示して下さる方の作品を心を込めて丁寧に、コンサートをして下さる方には最後まで何事もなく、存分に力を発揮していただけますよう気配りを、心にとめがんばってまいります。
これからも、ご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします。
(ちなみに拾った子犬は今年18歳となり、足元がおぼつかなくなりましたが、もう一匹の保護犬と一緒に散歩したり(時間がかかりますが…)近所の方々に可愛がられながら、ひとりと二匹、元気に暮らしております)。