「新時代 令和」
2019年5月1日から令和の時代が始まった。日本の年号が変わったからといって、米国生活者である私の生活はなんら変わらないのだが、新しい天皇陛下と皇后陛下をテレビで見るとやはり感慨深いものがある。私は小さい頃、「皇室アルバム」という皇室の様子を報道するテレビ番組を時々見ていた。自分と同じようにまだ幼い浩宮様を見て親近感をもったものだ。その浩宮様がついに天皇陛下になられたのだ。
皇后陛下の雅子様も一時は体調を心配されたが、なんのなんの、いままでの曇りが消えてさってすっきり晴れあがった空のように、あでやかでさわやかなご様子で本当に喜ばしい。皇室外交もみごとにこなしてさすが元外交官。米国のニューヨーク・タイムズでも高く評価された。
それにしても天皇陛下は59才、皇后陛下は55才。庶民がそろそろ定年退職し始めるような年齢になってから、日本国天皇という重大な役割を務めることになったわけで、ほんとうにありがたいことと思う。上皇様は55才の時に平成の天皇になり30年間務められた。令和の時代は退位の前例に沿って25年くらいかもしれない。
そうすると令和の時代は今後の25年程度を見据えることになる。もうすでにいろんな有識者たちが令和の時代はこうなるとか、マスメディアにたくさん出ているのだろうと思うが、日本の外から日本を見る私が令和の時代の社会生活について予想したいと思う。
「働き方改革」は徐々に進むだろう。いわゆる終身雇用や年功序列は終わり、解雇規制も緩くなり、金銭的に解決することで解雇は多くなるだろう。それは労働市場の流動性を高める為には必要なことで悪いことではないと思う。労働市場の流動性が高いということは、転職がしやすい、たとえ解雇になっても比較的簡単に次が見つかるということだ。いままでは一旦正社員を雇うと解雇するのが難しかったので、別の人を雇いたくても空きがなくてなかなかできなかった。解雇が困難だと正社員として雇うのはリスクが大きくてためらいがあったが、解雇が簡単なら比較的気軽に正社員を採用できる。労働市場が流動化すると何年かに一度の転職をすることが当たり前になる。各企業は良い人材に逃げられないように労働環境や労働条件を良くせざるを得なくなる。
働く人はEmployability(雇われる力、労働市場で売れる力を持っていること)がキーワードになると思う。よそでも通用するような力を付けることが大事だ。その職場でだけ通用するようなスキルではなく、Employabilityを高められるような職場が人気の就職先になるだろう。企業もそういうことを意識していないと人材にそっぽを向かれるようになる。
ジョブ型雇用になり、採用の際に職務内容、職務の範囲、働く場所などが明記された契約を個人と会社で結ぶ。昇進や配置転換や転勤の場合は新たに雇用契約を結ぶことになる。したがって転勤を打診されても無理に転勤する必要はない。嫌なら断ればよいのだ。結局解雇はいつでも身近にあることなので、それで解雇されるなら転職すればよいのだ。終身雇用で新卒大量採用の時代のように、めったなことでは解雇にならない代わりに、何でもします、どこへでも行きます、好きなように使ってくださいという働き方はもうどんどん少なくなって行くだろう。
教育関係では、私学の数が多い大都会の話になるが、まず、私立学校の共学化がさらに進むだろう。現在でもどんどん増えているが、それは少子化で生徒集めに困難を感じる学校がどんどん共学化するケースが主流だった。受験トップ層の私立学校は男女別学でも入りたい生徒はどんどん来るのでそう簡単には共学にはならない。別学も共学も個人の好みの問題なので両方あってよい。別学の良さや伝統もあるだろう。しかし、進歩的な私立学校経営を進める学校で特に受験男子校は共学化に踏み切る学校が徐々に出てくるだろう。それは女子校にあきたらないトップ層女子の共学志向がどんどん高まっているからだ。トップ層の私立校は男子校が多くてそういう学校に女子は合格する力はあっても女子だから受験すらできない。トップ層の私立の共学校は数が少ない。共学志向のトップ層女子には選択肢が少なすぎるのだ。
それから、海外の大学や大学院に進学する人が増えるだろう。近年はまだ少数だが東大より米国のハーバード大学やイエール大学などに進学希望する高校生が出てきている。少なくとも米国の一般人にとって東大のイメージはアジアの大学の一つにすぎない。だれも米国の一流大学といわれるアイビーリーグの大学と同等などとは思っていない。だから地球レベルで通用する大学を目指すのは自然の流れと思う。
大学生の在学中の海外留学も増えるだろう。平成時代は大学生の就職活動の時期と重なる問題もあって少なくなっていたが、今後は新卒の大量一斉採用から通年採用に変化するにともない、在学中に一年や二年海外留学することは問題にならず、むしろ有利になるだろう。なんと言っても若いうちに外国生活経験をすることは後の人生で大いに役立つ。日本の大学卒業後、海外の有力大学の大学院に進学する人も増えるだろう。特に理系で博士号取得を希望する人は日本の大学院よりも英米の有力大学院へ進む方が、博士号取得後のリスクが少ないと思う。
家庭生活関係では、既婚女性の年収が増え、家事や育児の外注化がどんどん進むだろう。現在は認可保育所の数が足りないとか、保育士の数が足りないとか、表面的なことばかり言われて抜本的な改革が進んでいない状態だ。しかし令和の時代がすすむにつれて、まず雇用の流動化が進めば、これまでのように一旦正社員の仕事を辞職すると中高年の女性は年収の低いパートの仕事しかないという状態から改善される。企業としては一定の職務をその年収でその場所でやってくれる人材ならよいわけで、労働市場で売れるスキルをもっているなら中高年女性も正社員として採用され、それなりの年収を稼げるようになる。既婚女性の年収が高まると家事サービスや保育サービスを買うことが今よりもっと気軽に出来るようになる。現在は日本女性の年収が国際的にみてもあまりに低すぎるので、働くにしても安価な認可保育所に頼らざるを得ない。
保育バウチャー制度がそのうち実現するだろう。認可保育所は必ずしも使い勝手が良いわけではない。夜間勤務者や、帰りが遅い勤務の人には保育時間があわず、私立の保育所を使わざるを得ないという不公平がある。認可保育所に入れた・入れなかったでも不公平がある。もう少し料金を払ってもいいから質の高い保育を望む人もいるだろうし、フレキシブル体制の保育所を望む人もいるだろうし、家に来てくれるベビーシッターを望む人もいるだろう。保育バウチャー制度にすれば各家庭ニーズによって選択肢が広がる。そもそも保育バウチャー制度の案がなかなか進まないのは、認可保育所の既得権益の問題が大きくて厚労省がなかなか前に進めることができないでいるのだろうと思う。認可保育所には税金がじゃぶじゃぶ投入されている。子供を認可保育所に入れたい人はどんどん来るのでたいした経営努力はされない。そういう状況では使い勝手が良くなることは望み薄だ。
結婚に関しては、女性の格下婚が増加するだろう。格下婚という言葉は好きではないが、女性の方が経歴も年収も男性より上という夫婦は増えると思う。増加するというだけで、まだまだ人口的に男性の方が経歴も年収も上という夫婦が主流なのは続くはずだ。しかし、身近に格下婚のカップルを見かけることが増えるだろうということだ。米国では現在すでに若い世代で女性の格下婚が増加中だ。女性が当たり前のように働いてそれなりに稼げる社会になれば、男女格差が小さくなるので人口的に自分より格上の男性と結婚する確率は下がるのだ。一般論として女性は自分より下なんて相手にしない動物だということを言う人もいるが、必ずしもそうではない。女性が本気で結婚したいならそんなこと言っていられないのだ。
人口の高齢化は、当たり前だがどんどん進む。自分や家族のことで健康上辛い状態で生き続けることの問題に嫌でも真剣に向かい合わなければならなくなるだろう。「尊厳死」は現在でも可能だ。リビング・ウィル(尊厳死の権利を主張して、延命治療は希望しないという意思表示の遺書)を準備する人が増えるだろう。終末期患者が致死性の薬物の服用等で積極的な死に至る「安楽死」は現在日本では法的に認められていない。それで安楽死が法的にできる外国に出向いて安楽死を選択する人が今よりどんどん増えるだろう。安楽死が日本で法制化される時もいずれ来るだろうが、それは令和時代の終わり頃にならないと実現しないかもしれないし、健康保険の破たん懸念や公的年金資金不足問題などせちがらい日本の財政事情で意外と早く実現することもあるかもしれない。