海外こぼれ話 100        松田龍太郎(在デュッセルドルフ/ドイツ)           2009.9

 

カイゼンして

工場をショールームに

3年前から訪問しているカレンダーを主に製作する南ドイツの印刷会社は、この不況下においても元気が良く、昨年と比較してもほとんど落ち込みはなかった。それはこの3年の間に、自ら考え行動しカイゼンを行う仕組みが定着し、期待以上の成果が出始めたからである。物と情報の同期化した流れを素早く行い、異常があればすぐに対応することも出来始め、そのたびに仕掛り在庫や完成品在庫を少なくしていき、現在はピーク時の約4割まで削減できた。

このお陰で銀行への金利支払いが非常に少なくなり、また工場内がすっきりして働きやすくもなった。ようやくお客様にも観て頂ける職場を作り上げ、そしてお客様から賞賛の声も頂くようになった。「工場をショールームにしよう!」というスローガンでカイゼンに取り組んできた結果が、従業員にも働きやすい職場になって行き、しかも訪問されるお客様も工場がショールームのように整理整頓されて、清掃が行き届くようになったら、やはりそこから買っても安心だと思うのは消費者心理だろう。

また同じ職場で作業を何年もしていた人たちを、少しずつ他の職場でも作業ができるように配置換えも行い、色々な職場での体験も出来るようになってからは、お互いの仕事を理解し始めて、多忙な時には助け合いもできるようになってきたというが喜ばしいことだ。

しかもこの会社は、同業者にも解放してカイゼンの成果を披露するほど懐も大きくなってきた。それは真似をされないという自信の表れでもあり、真似をされてもそれ以上にカイゼンをやり遂げるという自負も持ち始めた成果だ。印刷会社なので、自分で表示標識を印刷することはお手の物であり、見た目にも非常に良くわかるものに仕上げているのは立派だ。

印刷会社の会長から

感謝の言葉を頂く

この会社は創業して60年で、現在は3代目が後をとっているが、先代は会長としてまだほとんど毎日のように会社に顔を出される。私が訪問したら、会長は私を探して必ず挨拶を交わされることも習慣になってきた。今回も同様に挨拶に出てこられたが、7月に同社の主催で200人ほど集めてのフォーラムを開催された話をされた。不況なので100人しか集まらないかと思っていたが、実際にはその2倍の人たちが参加されて、非常に盛況だったそうだ。非常に工場が良くなったと参加した皆さんから多くの賞賛の言葉を頂き、感動されたことに対して、会長は私にそのことを報告したかったようだった。いつもは数分で話は終わるが、今回は自分の生い立ちから散々苦労をしてきた自分の生きざままで長々とお話をされた。今回は、何か感極まるものがあったようだ。

会長はメモ魔のようで、3年前の7月18日に予備診断で最初に訪問して、私が話をしたことがメモしてあり、それを引用されていた。そういえば、いつも分厚いファイルの手帳を持って工場内を歩いておられる。これほどまでに会社が、良くなったのは「あなたのお陰だ」と手を取って何度もおっしゃられた。またこの出会いも奇跡ともいわれ私も目頭が熱くなったが、「いいえ良くなったのは、トップの熱意が8割、従業員の皆さんの行動が1割、コンサルの力はたったの1割です」といつもの答えを繰り返した。それはコンサルを呼ばないことには、自らカイゼンが出来る会社はほとんどなく、コンサルを呼ぶのはお金を出す決断をするトップの熱意に掛かっていることを強調して説明させてもらう。この感謝の言葉は、コンサル冥利だ。

訪問の度に変わっていく工場

この工場は、240人の内2人のカイゼンメンバーがいて、カイゼンの企画から実施、さらにフォローをしている。最初は何故皆さんが協力してくれないのか悩むことが多く、どうしたら良いかの相談事が多かった。そして「あなた自身が変わろうとしないことには、相手は変わらないので、あなた自身の行動を替えて見なさい」というアドバイスを繰り返して諭しながら、フォローを続けていくうちに成功例が出てきて、やがて自信になって行く過程で、2人のリーダーも変わって行き始めた。人を育てることから、もう一段上げて「人を育てる人を育てる」ことをやっていくと、その会社でカイゼンが自律的になってくる。

工場内を巡回していても、最近は従業員の方から、何々をカイゼンしたので評価して欲しいと自ら申し出てくる人が出始めた。それを申し出る彼らの顔は非常にイキイキとしており握手しても思わず力が入ってしまい、最近は両手で包むように握手することを心がけている。評価することや褒めることも大切なことであるが、もっと大切なことはまず「相手を認める」ということだと思うようなった。褒めるのは、その行為の結果であるが、相手を認めるというのは、相手そのものである。人は結果よりも、まず自分の存在を認めてもらう方が更なる動機付けには良いのではないかと思い始めた。「結果も良かったが、それを実行したあなたは素晴らしい」というようにしているが、もっといい方法はやりながら試行していきたい。

訪問した日の午後2時から、新規客先のモード雑誌の責任者が初めて訪問して工場視察と初版の印刷物を検査するということで、印刷部門の若者が神経質そうに作業をしていた。昨年から導入した大型の印刷機は、今では何時何分から何枚印刷して何時何分に終わるという日程表に基づき生産が出来るようになった。この業界(ドイツで18,000社)では多分そこまでやっていないはずという社長からの自信ありげであったが、約束通りに印刷が始まった。訪問者は渋滞で少し遅れてしまったが、「既に2時から印刷に掛かっていますので、今は何枚印刷が終わっています」と営業マンが紹介して、印刷機の所に来たらその枚数とドンピシャリになっていたので、訪問者は凄くビックリして印刷物に食い入るように覗き込んだという。さらに工場視察を全て行い、予定時間を大幅に超えて6時半まで商談が続いたそうだ。

訪問者は、今まで多くの印刷会社を訪問したが、この会社が一番綺麗でしかも時間に正確で、しかも出来映えも非常に良かったという印象を持たれ、これからも継続して発注することを約束されたと翌朝営業マンから報告があった。前日印刷をしていた若い従業員に、そのことを報告したら、「緊張したが、仕事の良い評価をしてもらい非常に嬉しい」と喜んでいた。給料も大切だが、このような「評価する、褒める、認める」といったことはそれ以上に重要だと思う。企業は人なりというが、本当に人で企業は変わっていくものだ。

北イタリアに

行く機会ができた

2年前から訪問しているハーメルンの会社P社の協力工場が幾つかあり、主要な工場を今年からこの工場に招いて、どんなカイゼンをしているかを紹介し、その協力工場にもカイゼンを展開したいという私の願いを受け入れてもらうようになってきた。トヨタも7割の部品は、協力工場がなければ生産できなく、協力工場がきちんと部品を入荷しないことには操業停止になってしまう。海外の企業も一緒で自分の所を良くしたいと思うならば、前工程や協力工場、仕入先、素材メーカーまでも遡らないと本当に良い物は出来ないのである。前回は、スイスの会社に来てもらったが、今回はイタリアの会社に来てもらった。新任の社長(35歳くらい)と営業部長の2人が参加してくれた。この狙いは、私がコンサルする会社を多く持つことにあり、多くの会社を体験することで見聞や知識をさらに広げることも出来ることである。

今までにイタリアの会社は2回訪問したことがあり、いずれも北イタリアでミラノ、トリノ(冬季オリンピックで荒川静香さんが金メダルと取った街)であったが、今回はミラノとベネチアの間にあるブレッシァに行くことになった。

今から5年前にもなるが、いずれもイタリアの時間を守らないなどのいい加減さにこちらが参ってしまい、結局コンサルの機会はなかった。イタリアでカイゼンが出来るかと思うくらいまで先入観も固まってしまっていた。今回は営業部長が社長やオーナーを口説き、非常に熱心に働きかけて来たので、少しでもカイゼンが出来るかと希望を持ってイタリアに訪問することにした。

渓谷の奥にある工場に行く

デュッセルドルフ空港からミラノ空港までの直行便が出ており、時間的には1時間半と短かったが、そこから車で1時間半もベネチア方面移動した距離にあった。ブレッシャという街は、ミラノとベネチアとの間にある街で人口は19万人という規模だ。日曜日の昼の便で到着したが、イタリアは物凄く暑かった。出迎えてくれた通訳のポリッツィ(警察の意味)さんは、これまでに3回あったことがあり5年ぶりの再会だった。彼は、日本語の博士でもあり日本語の権威者で、私達日本人よりも漢字を良く知っておられる人だ。さらに出迎えてくれたのは、訪問先の営業部長のマリノさんだ。ポリッツィさんは、1970年から4年間たまたまこのブレッシァに住んでいたそうで、マリノさんと街の様子を伺っていた。ブレッシァは、1974年5月にテロ事件があり、犯人はまだ捕まっていないといい、ポリッツィさんはそのことを鮮明に覚えており、その年に引っ越したという。

街に着くと20階以上もあるビルが連立していたが、皆銀行のビルだというが銀行の発祥地はイタリアであるという。街の中に「BANKO」という文字があり、それが銀行だ。英語の綴りは「BANK」である。日曜日の午後のせいか、はたまた、まだ太陽は日没までは3時間もあり、暑さが残っていて散歩する人がいないので、本当に19万人の街かと思うほどだった。ホテルは、世界的なチェーン店であり、四つ星なので部屋はまずまずだった。ただし西日が直接入ってくるので、カーテンをしてクーラーを掛けないと暑いほどだった(気温35度)。

翌朝7時にホテルのロビーで待ち合わせをしたが、マリノさんが到着したのは何と20分遅れであったが、これがイタリアだと痛感した。これから先も思いやられそうだが、これがイタリア方式だともう一度心に念じて対応することにしたが、郷に入れば郷に従うのが王道でもある。工場は2つあり、1913年に創業した古い工場にまず訪問することにした。そこは川の渓谷を登って行った場所にあり、戦時中にはほとんど攻撃を受けなかったらしいが、上空からは本当に見えないほど狭い渓谷にこんなにも多くの工場があるかと信じられないくらいだ。ドイツのルール地方にも同様に川の渓谷に沿って工場があったが、石炭と鉄鉱石さらに水を必要としたので、渓谷の地形は理に適っていそうだ。

カイゼンの必要性を説明

工場は渓谷に沿って細長く横たわっていて、地下壕を設けたような作りになっていた。床は真っ黒になっていて、しかも切削油でベタベタになっていたが、これは歴史を感じさせるが、そうではなくただ清掃が全く出来ていないという表現の方がピッタリだ。この点はフランスも一緒であり、ラテン系の人たちの習性なのかもしれない。ドイツの中で信号の赤を守らないのはラテン系の人たちで、ドイツ人は赤信号を必ずといっていいほど守るが国民性の違いが見られる。

工場に入ると前回お会いした社長が出迎えてくれたが、前回と顔が違ってにこやかになっていた。まず1時間掛けて工場視察を幹部と一緒に行ったが、本当に汚れている工場だったが、カイゼンをすれば逆に凄い利益が出てくることが直感でも分かった。あれこれと赤と黄色のカードを出して、不具合箇所を指摘していくと、だんだん悪さ加減が彼らでも理解し始めたようだ。

視察が終わり、次にカイゼンの考え方を紹介するために講演をするようにした。しかし広い会議室がないからといって、十数名の幹部を物流倉庫の出荷場に椅子を持ち出して、ここで講義を行うことになった。プロジェクターが使えないので、模造紙の説明になったが、いつも臨機応変で講義をしてしまう。この工場は真鍮の鋳造品や真鍮の切削加工を行っていて、ハーメルンの会社とは既に40年の付き合いがあり、実は2ヶ月前にハーメルンの会社の社長が自らこの工場に出向き、説得をしてハーメルンに招待をしたとこの時に伺った。その社長の意気に感じて私も何とかせねばと強く思ったので、自然と講義にも熱が入る。しかし、通訳は私の早口についていけないと苦情を出すようになったが、私は少々オーバーヒートしかけていたようで、元のペースに戻した。

工場視察と現場観察を行った

講義だけでは当然理解できることはないので、一緒に作業現場をじっくりと1時間観察することにしたら、社長などのトップメンバーは逃げ出そうとしていた。観察するのは幹部の2人だけにしたというので、頭に血が上ってきた。しかし、ここで爆発したらせっかくの機会が失われてしまうこともあるので、冷静になって彼らを口説いた。それは、時計の文字盤の話をしたのだ。いつも見ている腕時計も必要な情報しか頭に残らないと指摘し、もう一度トップも一緒に事実を観察しましょうと持ち掛けたら、納得してくれた。ここで抽象論を出すよりも、具体的事例で説明した方が説得しやすく、相手も納得しやすいものであり、その具体的事例の引き出しを的確に出すことが求められる。

前回のイタリア訪問では、イタリアには標準というものがないので、こんなことは出来ないと2社共に断られた経過があった。現場の大きな設備に向かい観察を開始し始めると、彼らは一言も話をしないで熱心に観察をしてくれた。そうすると自然に今まで気付かなかった問題が、謙虚に表れることを気付き始め、ここから少しずつ彼らの目が覚めてきたようであった。しかし、お金をだすことになるとはやり慎重にならざるを得ないので、本当にカイゼンをすれば成果は出るのかと訊ねられたので、保証は出来ないが結果を出した所はいくらでも実例があり、私のいうことを素直にやれば結果は出るものだと説明をした。しかし、すぐには納得しないようだったが、ベルリンなどでも同様な体験をしたことがあり、彼らの言い分も良く理解できる。もっと親密に話が出来るようにと、彼らから食事の招待があり、大切な商談に望むことにした。

観察することで

気付きが生まれる

ブレッシァ市内の小高い丘にあるレストランで、街並みを見ながらの食事は、地元が北ドイツでも有名なワインの産地でもあり、自慢の赤ワインが出て来た。試飲を済ませ早速「サルーテ」(乾杯の意味、)といってグラスを傾けた。前菜とメインさらにデザート、食後酒にはキルシュ(蒸留酒)で仕上げとなるが、ウエイトレスのウルースラさんが、折り紙で星を作ってくれた。イタリアの人が折り紙を折るのは非常に珍しいので、訊ねると彼女の母はハンガリー人で、ハンガリーの折り紙協会の会長をしていて、父はイタリア人で混血だという。

食事が良いと話も良くなってくるのは、偶然ではないだろう。段々と社長の機嫌も何とかカイゼンに挑戦してみようかという雰囲気になってきたが、それは明日のもう一つの工場を視察してからのことになりそうだった。

翌朝今度は近くの工場であり、ホテルで7時20分に待ち合わせをしたが、マリノさんはやはり10分の遅刻だった。その工場は、工場団地にある新しい工場であり、10年しか経っていないという。間接部門の廊下は大理石だったのはビックリしたが、倉庫や工場の床はコンクリートのむき出しそのままであり、ホコリもかなり積もっていたが、また幹部の人たちと指摘をしながら巡回した。

多くの気付きが彼らにも見え始め、顔色も少しずつ笑顔になってきた。いつも見ている風景は、知らず知らずの間に脳にフィルターが掛かり見えなくなってしまうもので、灯台下暗しも同様な例えになる。そこで第三者や外部の人の眼を借りることで、自分を見直すことが可能になる。意識をして物を見ることで、初めて見えなかったものが見え始める。この気付きが非常に大切なことで、これが「さあこれから、カイゼンをしよう」というやる気になっていくのである。良く考えれば、人間は誰もが同じように赤い血が流れているものであり、突き詰めると人間のやりたいことは、皆さんが幸せになることであろう。自分ひとりが良くなるのではなく、皆さんが良くなることをしていけば良いのである。本当は、イタリアもドイツも日本も国境も関係ないと思う。