海外こぼれ話 101         松田龍太郎(在デュッセルドルフ/ドイツ)         2009.10

 

デュッセルドルフでの

コンサート

夏時間ということもあり(9月上旬でも真っ暗になるのは、21時頃)、最近デュッセルドルフのアパートから買い物に出掛けるルートを、散歩の歩数を稼ぐために少し遠くのデパートに替えるようにしている。そのデパートの食材が以前のデパートとは、少し違ったものが置いてあるのも魅力だ。すぐ近くには繁華街があり、さらにブラブラと散歩が楽しめる利点がある。

私のアパートは、3本ある駅前の通りの1つを、400mくらいライン川に向かった所に位置している。半径1km内にデパートが4軒もあり、日本食の食材を置いているスーパーも3軒あり、買い物には非常に便利な場所である。最近は日本で入手した多機能タッパーで、ご飯が炊けることが出来るようになってから、自炊することに目覚めるようになり、食材を求めながらの散歩も楽しみになってきている。

そのようなある土曜日にそのデパートに出掛けたら、その前でステージが設けられていて、バンドによる生演奏が始まっていた。いつもは路面電車や車の走っている大通りを歩行者天国にして、ステージまで作っているのはクリスマスでも見たことがなかったほど珍しい光景だった。

ステージに立っていたのは、6人組のフォーク・ロック・バンドでであった。中央に私と同年輩くらいで、リードボーカルとリードギターを担当している男性。その隣は、全身真っ赤な衣装(ノースリーブでロングパンツスタイル)を身にまとったサイドギターとコーラスを担当している金髪女性で、真っ赤なシルクハットがとても似合っていた。さらにコーラスの女性は、ドイツでは非常に珍しい花柄のワンピースであり(若い女性の9割はジーンズ)、さらに真っ白なパンプスが目に眩しいくらいだ。さらに、キーボード、ベース、ドラムがいて、曲によってはサックスが加わっていた。

中央のオッサンだけが50代で、あとはみな20代の若者のグループであった。最後の曲は、「デュッセルドルフ」と何度も繰り返していたので、この街の歌だろうが、観客は喜んで手を叩いてリズムを取っていた。ステージの横には、本日出演するバンドの一覧と時間表が掲示してあったが、11時から18時までに14バンドが演奏するようだ。時間を良く見ると、短いバンドは15分間、長いバンドは45分と区分されていた。さらに見ると今のバンドは、終了時間が既に20分も過ぎていたが、この辺が何ともドイツらしく時間にルーズだ。写真を撮ろうとカメラを取りに帰ったら、大雨が降り出したので諦めることした。

合唱が趣味な人たち

デュッセルドルフ市内でよく耳にするのはブラスバンドで、何か記念日になるとパレードをしたくなる民族のようであり、その先導にはいつもブラスバンドがいる。私の住んでいるビスマルク通り(この通り名前は、ドイツ中にいくらでもある)は、大通りといっても比較的車の走行量は少ないので、駅前通りとしてはパレードにはもってこいの通りだ。ついこの前は自転車のパレードがあり、数百台の自転車軍団がわずか数百mの通りを1時間掛けてパレードしていた。

先のステージでのロック・バンドは珍しいと思ったが、散歩している間に発見した楽器屋が数軒もあったので、フォークやロックの楽器需要は確かにあると思われる。市内にはオペラハウスがある関係なのか、バイオリン、ビオラ、チェロを入れるケースを持った人を良く見かける。

思い出してみると、訪問している企業には合唱を趣味にしている人がいる。B社のS課長は、なんと合唱の指揮をしている。一緒に3日間V工場に行った時に、金曜日は午前中で帰ると言い出したが、それは夕方から演奏会に向けての追い込みの練習があるということで、彼が指揮をしていることが分かった。またP社のS工場長は、テナー担当といい毎週の練習が楽しみだという。最初にS工場長と会った時はブスッとしていたが、趣味の合唱の話をしたら一気に顔が変わって来て話が弾むようになった経過があった。私はかつて「混声合唱団みお」に17年間在籍して、合唱を趣味としていた時期があった。私の音程がいつも外れるのに、よく我慢してお付き合いして頂いた周囲のメンバーの忍耐力には、敬意を表したいくらいだ。

一緒にドイツ語で合唱練習

さらに3ヶ月前にH工場に訪問した時に、本社で記念式典があるので、サプライズとしてH工場で歌を披露するというので、ランチの後で最終練習を行うので「マツダも来ないか?」とお誘いがあった。部屋に行くと何とそのH工場のM工場長が、キーボードを持ち出してきた。自ら指揮をやりだしたが、全員素人の皆さんをまとめるやり方は、非常に動機付けが上手く、参加者もすぐに打ち解けて声を合わせた。「Badner  Lied」というBadner Land(ドイツ中央部に位置し、昔のこの地方が独立国家だった時の名前。現在のフランクフルト、マンハイムなどの都市がある)地方の国歌であり、それを少し替え歌にしたものだった。3回も歌うと、私まで一緒にドイツ語の歌詞で歌うことができるようになったほどだ。

M工場長は、明るい人で非常に積極的な人だと思っていたが、意外な才能を持っておられるのに気付くのに何と4年も掛かった。人を惹きつけるには、「明るく!元気に!大きな声で!しかも楽しく!」というのは、全く私のコンサルスタイルと一緒であった。これは、以前合唱をやっていたお蔭としか言いようがない。体育館より大きなホールで、マイク無しで講演ができる声量があるのも、合唱での練習の賜物ではないかと思うほどである。

Altenbergeという北ドイツの人口1万人の田舎町にも、合唱団の団員募集のチラシが貼ってあることも思い出したが、通訳に聞いてみると合唱団は至る所にあるようだ。ドイツ人は3人集まると、何かのグループを作りたがるそうだが、目的は一緒に楽しくビールを飲むことだとも言っていたが、多分それは最も重要な理由だろう。

一年半ぶりに

訪問した会社が変わった

南ドイツの板金屋のKという会社に、一年半ぶりに訪問することにした。昨年まで4年間通っていたが、自らの力でやってみたいという強い意思が見られたので、宿題も5つほど提示しておいて任せてみることにした。通常は半年でカイゼンの仕組みが崩れて、意思が弱い所は例外なく元に戻ってしまう。このK社のミラー社長は、ある時から全く人が変わったように私のいうことを信じるようになり、いわば信者になった人である。

300人の典型的な中小企業のオーナー会社で、当初カイゼンに賛成者といえば、社長と製造部長のたった2人だけで、あとは全て反対という今まで最も取り掛かりにくい会社であった。当時の様子は、セミナーで講義をしていても、それはできない、意味がないことだなどと平然と文句をいう人がいて、現場でカイゼンをしても、私が帰るとすぐに元に戻すことも何度もあった。ミラー社長はそれらに対して、怖くて、まともに制することが出来なかった。確かに文句をいう社員たちは、本当に極道のような形相で私にも文句をいってくるほどだった。

私はそういうことに対して燃えていく性格なので、最初は彼よりももっと大きな声で対抗していたが、それは大人気ないのですぐに止めた。それよりも何故彼らが、今までやっていたことに対して、新しいことを導入することに反対するのか考えるようにした。今までやってきたことを、彼らは否定をしたくないことも理解できる。理屈を並べても彼らは、理屈で反論するのは得意中の得意であり、逆にそれを楽しむのがドイツ人でもある。

そこで直接的な話をするのではなく、例え話などが有効な会話の手助けになった。何故人は生まれたのか、何の目的で生きているのか、人間らしさとは何かなどを彼らに何度も話し掛けて行った。それをいつも聞いていたのは、実は社長自身であった。社長と製造部長は、私といつも一緒に会社内を巡回するので、その時に質疑応答をしながら気付いてもらい、普段は彼らから説得をしてもらうように仕向けた。直接教えることもあるが、教えると人は考えることをしなくなり、滅多に答えを教えることはしない。

相手に考えてもらうことが重要であり、考えるための気付きを見せて、ヒントまでを提供する微妙な加減が難しいが、正しいやり方は答えを言わないのである。すぐに成果を出すには答えを提示した方が良いに決まっているが、彼らが考えなくなることがもっと怖いのである。その会社が良くならないと、われわれの仕事はなくなってしまうので死活問題でもある。一見遅い取り組みのようだが「急がば回れ」の諺の通り、じっくり彼ら自身の力で成長することが、育成するためには長い目で見ると大切だと思う。狙いは、自分の頭で考え、自分の力でカイゼンが着実に進めることができる状態にすることである。

本当に変わったのは社長自身

色々と、本質は何かと探っていたが、本当の問題は文句をいっている社員ではなく、いわせるようにした社長自身だと気付いてから、取り組みを替えることにした。社長自体が本当に正しいことを、社員に正面から向かって明言し説得出来るように仕向けていくように、社長自身に働きかけるようにした。いわば、「いうこと」と「やること」が少しずれていたのは、社長自身に説得する自信がなかったことのようだった。

ある時、工場内のレイアウトの講義をしていた時のことだった。普通はまず設備や機械の配置をすることが、レイアウト変更だと思っている人が多かった。しかし設備や機械の配置ではなく、それらは最後に配置するもので、まずどのような考えでモノと情報を、次工程に「正確に、素早く、しかも効率的に届ける」か、を考えるべきであることの趣旨を説明していた時に、社長は急に目覚めたらしく色々と質問をしてきた。

私が描いたフリップチャートを取り上げて、脱兎の如く社長室に持って行った。全く別なテーマであったが、今までモヤモヤしていたことが、彼の頭の中にあった気付きに火が点いたようだった。恐らく目に見えているものが重要ではなく、本当は目に見えないものが重要だということに気付いたかもしれない。それがきっかけになったかは定かではないが、それ以降社長は随分と態度がどっしりと構えるように見え始めた。

それと合わせるかのように、社内の雰囲気も少しずつ変わってきた。強烈な反対派を全く違う部門に異動させたり、外部からマイスターを招いたり、人事関係にもカイゼンを施していった成果が現れ始めた。条件整備というか社内の障害物を撤去してからは、やりたいことがドンドンとできるように風向きが変わってきたのだった。その傾向が明確になってきたので、彼ら自身に任せても良いと判断してお任せすることにしたのだった。

工場をショールームに!

一年半ぶりに訪問したら、工場内は期待以上にカイゼンされていたので、こちらも非常に嬉しくなってしまった。5つの宿題もきちんと実施され、むしろそれ以上にやっていて大きな成果を出していた。この板金業界も他と同様に、昨年のリーマン・ショック以来非常に不景気になっているらしく、他社は本当に惨めな状況だという。しかし、カイゼンのお蔭で落ち込みは、K社は他に比べ相当少ないという。それを支えているのが、新規客先と新規注文のお蔭であった。

私が常々口喧しく言っている工場のあるべき姿を、「工場をショールームにしよう!」と、彼らはこの間に築き上げていった。最近では、初めて訪問する新規客先にまず工場内を案内するとみなさんが、「こんな綺麗な板金屋は見たことがない!」と驚き、さらに事務所内も「こんなシンプルなオフィスは見たことがない!」とさらに驚かれるという。そこで新規発注をすると、それはいつ完成していつ納品できますと正確な納期を提示すると、さらにビックリ仰天されるそうだ。このように相手の期待以上のことを提供することで、受注が確保されていくものである。これは作業現場だけでは到底できるものではなく、間接部門も全て含んだ連携プレイの賜物である。これらのことに新規客先は感動して、最後にはファンになってもらう筋書きだ。

見違えるような工場の現場

1時間ほど、今までの経過説明をしてもらってから、工場内の視察をした。新規設備が数台古いものから入れ替わっていた。工場内がかなりスッキリとして、明るくなっていた。不要物がなくなり、モノには写真付きできちんと表示標識されていた。大型の台車は、小ロットに対応して小型化されつつあった。従来のロットサイズは20個で、さらに5個にして、一部は1個流しと小さくしてきている。手間は掛かるが、仕事の流れは逆に非常に早くなり、異常もすぐ分かり対応がしやすくなるので、カイゼンが進んでいくことが分かってきたのだ。

視界を遮る棚は全て撤去されていて、フロア全体が見通せるようになり、それは管理がしやすくなることでもある。モノの停滞も分かり、すぐに対応できるのでますます流れが良くなり、良いことの循環である「天使のサイクル」が回り始めるのである。工程と工程をつなぐための管理板の整備も出来ていた。そこにはルールが明確にされ、滞りなく仕事を進められていた。使っているのではなく使いこなしていくと、別な世界になったように仕事がスムースになるが、その領域になりつつあるようだった。これも異常がすぐ見えるようにする一連の道具であって、それを使いこなすことでカイゼンのレベルが向上する。

不要な治工具を全て撤去し、必要なものだけを作業台や岡持ちに設置しているから、見ていても気持ちが良い。全ての作業台に展開していた。さらに色々なサイズの箱があったが、それもモジュール化して統一されていた。それを持っていく、戻すこともルール化され守られていたが、規律まで向上してきたことを感じることが出来た。標準化された職場は、気持ちが実に良い。

カイゼンのきっかけは

全員参加

この一年半の間に、何故こんなに見た目にも、心理的にも変わったことをさらに訊ねた。その答えは、5月と6月に行った5S活動(整理、整頓、清掃、清潔、躾を良くする活動)にあった。不況でどうすれば良いかと考えた時に、ミラー社長が3日間の5S活動を実施することにし、この工場の半分の人員を参加させて、3日間完全に工場を休みにして、徹底的に清掃から始めた。

1つのチームを5〜8人にして色々な部門の人をわざと混ぜて、しかもリーダーも決めずに場所だけを指示したそうだ。そうすると最初は戸惑っていたが、やる気のある人が自らリーダーとなってチームを引っ張って作業し始めたという。リーダーに期待していた人とは違う人がなるようで、ここでも意外な一面が見られたという。3日間、特に清掃を徹底していけば、見えなかったものが見え始め、さらに気付きが生まれてくる。一緒に行動することで、連帯感も生まれてきた。見違えるような職場になったことで、参加した皆さんの意識が変わってきて、自分の職場に戻った時に自分で清掃から始めて行ったそうだ。

さらに残ったメンバーが6月に同じ5S活動に参加させたが、5月と同様な結果になったそうだ。これで社員全員が同じテーマに向かって取り組んで成果を上げたことから、結束力が強まり5Sだけでなく、他のカイゼンのテーマにも力を発揮するようになったという。2年前にカイゼンの専任になったAさんは、紆余曲折があったが何とか乗り越えてきたが、それはやはり社長のバックアップがあればこそだったとの感想であった。

私が話をしてきたことを、K社はミラー社長自身が変わって来てから、みごとに会社自身の変身が出来たようで、一連の話を伺って涙が出そうになった。今まで言ってきたことを、本当に実践すればその通りになるもので、言い方は悪いかもしれないが、コンサルの「良い作品」になってもらった感じだ。コンサルタントを探している客先に、どこか良いモデルを紹介して欲しいといった時のモデルにこの工場になってもらうようにと話しを持ちかけたら、快諾してもらった。会社は社長の鏡であり、その職場はその職長の鏡である。その上司の意思が、その会社や職場に形になって現れてくるものだ。