海外こぼれ話 102         松田龍太郎(在デュッセルドルフ/ドイツ)           2009.11

 

連結しているはずの

1等車がない

北ドイツに移動する時に、デュッセルドルフ駅からドイツ鉄道を使った。最近A4版の電子切符というが流行っていて、自宅で送受信して印刷ができる優れもので非常に便利なのでよく使っている。指定席を選んで、印刷をしておいた。当日予定時刻の10分前に18番線のプラットホームへと到着して、1等車がどの辺りに止まるかを確認するために、掲示板と照らし合わせた。日本は何号車と書かれた表示どおりに並べばよいが、ドイツは非常にラフである。A、B、C、と貨車2台分の長さに表示されていて、その位置に大体の予定で列車は止まるようになっているが、その通りに止まらないのが普通なので乗客は混乱する。

日本のグリーン車に相当するのが1等車で、プラットホームの中央に止まるのが日本の常識であるが、ドイツはそうではない。普通両端のどちらかに接続されている。今回は最後尾の12号車に1等車がセットされていたので、その場所である「D」表示付近で待っていた。列車が到着して最後尾から乗ったが、それは2等車であり、可笑しいと思いながら最後尾まで行っても2等車であった。席が見つからないので、適当な空いた場所に座った。車掌が来て検札したので聞いてみたら、「今日は1等車を連結しなかったので、あなたの席はありません。ご免なさい。」というので腰が抜けてしまった。色々な間違いに遭遇するが、連結する車両を忘れたなどというのは初めてのことだった。これがドイツ鉄道の実態だと思ったら、すんなり納得できたのはドイツ化してきた証拠か。

その席は予約席だといって、他の席に移動しなければならないから、玉突き現象があちこちで発生していた。その日は2両も連結していなく、多くの人が溢れてしまい混乱をしていた。交渉するまでもなく払い戻しのサインをくれたが、彼らはつい最近まで公務員であったこともあり、ミスがあっても我関せずという姿勢が根底にあるようだ。日本ではニュースになるが、ドイツでは日常茶飯事なのでニュースの「ニ」の字にもならない出来事である。本当はゆっくりして訪問先の事前準備をしようと考えていたが、全くあてが外れてしまった。

奥様はオペラ歌手という人がカイゼン担当者

北ドイツのノーデンハムという第二次世界大戦の時に戦闘機を製造していた場所があり、今は旅客機を製造している会社に訪問した。その担当は、Sさんといって11歳の時にドイツに来て帰化した韓国人であった。彼の奥様は元オペラ歌手で、4年前まではスイスとオーストリアで演奏活動をしていたそうだ。

結婚して子どもができて、今現在第二子を妊娠中でもうすぐ誕生だという。机の上に奥様と一緒の写真があったので、目に入ってしまったが多分韓国人のような感じであった。そこで「アザレアのまち音楽祭」のCDを渡して、CDの感想を尋ねることにした。もちろん、ドイツ語に翻訳してもらった質問状も用意して手渡した。次回の訪問が未定だが、このように行く先々で尋ねるようにしていきたい。少し個人的に話をしていくと、音楽関係に携わっている人がいるのは意外であった。行く先々でCDを渡しながら、その地域の音楽事情を伺い、その話をこのコラムに盛り込んでいく予定だ。

オールドタイマーの車に遭遇

ノーデンハムのホテルは、市場のそばにありその名も「AM MARKT」という。水曜日の朝には6時半頃から近くの農家などから野菜、花などが持ち込まれる。そのホテルはレストランもあり、天気が良いのでオープンテラスで路上にまで店を広げていた。そこで白ワインを飲みながら話をしていたら、突然バタバタとエンジン音のうるさい車が5台私のすぐそばに停車した。車からはタキシード姿の紳士たちが次々と降りてきて、シャンパンを飲み始めた。女性の服装から判断すると、何かお祝いの後の懇談会らしきものようであった。

びっくりしたのはその車であったが、いずれも60年代と思われるベンツやオペルのオールドタイマー車であった。いずれも全く錆はなく、めっきもピカピカに輝いていて、塗装も黒光りしていて、本当によく整備されたものだった。ただし排気ガスがかなり多く、しかも臭かったので、ワインが台無しであった。しかし、ふだん見られない車を拝見することができ楽しかった。

ナンバープレートの右端には,製造後30年以上経過していることを示す「H」(ヒストリー/歴史)が刻まれていた。ドイツには本当にこの古い車を大切にしており、休日の天気の良い日には、デュッセルドルフ市内で必ず見ることができる。一種のステータスにもなっているようだ。30年以上経っても全く錆びていないのは、比較的湿度が少ないからだ。またガレージがある家は少なく、以前から車の防錆処理がしっかりしていたことにもよる。古い車を見ているだけでも気分が良いのは、いかにも保守的な性質を持つドイツらしさからか。

オーストリア、スイス、

ベルリンを5日間で

いつも1週間の出張コースは2ヶ所であるが、久しぶりに3ヶ所をまわることになった。しかもいずれも国が違うという離れ業は、日本では到底考えられない出張になる。日程は次のようになった、日曜日の夕方にデュッセルドルフ空港からウィーン空港まで1時間半の飛行時間で到達できる。しかし空港からさらにタクシーで、田舎町への移動時間が90分も掛かるので、まるでゴルフのショットみたいだ。最初はドライバーで一気に長い距離を稼ぐが、グリーンに乗ってからはパターでゆっくりと、穴に入れるアプローチにそっくりである。

2日間その田舎で過ごし、再びウィーン空港までタクシーで移動だ。飛行機は出発の1時間前には到着して手続きを開始しなければならず、いつも時計と睨めっこだ。最近の飛行機はコストダウンのために、機内食も非常に質素になってきた。エアーベルリンは、以前は具がたっぷりのサンドイッチであったが、デンマーク製の乾パンになり下がった。さらにルフトハンザは飲み物だけで、後は何も出さなくなり、しかもアルコール類は有料になってしまった。

ウィーン空港からスイスのチューリッヒ空港には、1時間の移動であった。以前はフランス寄りのバーゼル空港が訪問先には近かったが、ウィーンからの便数が少ないので今回からチューリッヒになった。そこから訪問先には予めチャーターしたタクシーを使うことが多い。それは、@料金支払いが事務所から振り込ませることが出来るメリットがある。A事前に行き先を知らせるので料金が分かる。B行き先も事前に調べておけるので安心などのメリットがある。今回はなんと、ベンツのSクラス(最上級)がお迎えのタクシーだった。後部座席にもリクライニングシートで、しかも前座席との間が異常に広く気分は最高と思った。しかし社内はタバコの臭いが染み付いてしたので、一気に落胆した。

ここも2日間の訪問で、木曜日の16時半にはそのタクシーが玄関先に迎えに来てくれていた。この日は非常に良い結果が出たので、初めて社長自ら玄関先まで見送ってもらったが、これが「訪問してくれて、本当に良かった」という欧州での最高の見送りの形になる。これでこちらも、仕事の出来が良かったか悪かったかが分かる。また車でチューリッヒ空港に戻り、そこからデュッセルドルフ空港に舞い戻るルートであった。考えてみるとコンサルの仕事は、移動に耐えうるかどうかの商売だ。能力の前に体力が必要で、また能力と同様に、キャラクターが求められるという変わった素質が必要だ。

スイスの仕事事情

現在のスイスの失業率は1%以下なので、厳しいことを言うとすぐに会社を辞めてしまうという。そこで言葉を選んで話をしなければならないことを、訪問先の部長から伺った。日本などとは大違いの景気の良さがあるが、本当に経済の底力を持っている国だ。しかし物価はドイツの4割増しと非常にビックリするほど物価が高い。タクシーはユーロでも支払いが出来るが、釣りはないので用心したい。それでもいったん、ユーロからスイスフランに換金することを考えれば安いので、心の準備をしてから利用することだ。

彼らは色々な原語を話すが、ドイツ語のようでまるで聞き取れない方言もあるので、通訳は非常に困っている。最初彼らも社員同士が話す時に、何語で話をするか合意を取るという。彼らはスイス語とドイツ語と使っているのは、バーゼルがドイツに近く、そこから通勤している人も多くいるため、2つの言語が飛び交うらしい。スイス語というのは、ドイツ語にスイスの方言を交えたもののようだ。中にはイタリア語しか分からない人もいて、ドイツ語を同時通訳している人もいる。

シンゲン市というスイスの国境に近い会社に行った時には、スイスのシャウハウゼン(ライン川の最も上流に滝のある町)の本社から来ていたスイス人からこの話し言葉について聞くことができた。スイスは小さい国であり、周囲は色々な言語が使われ、多くの人が多国語を話す才能があるという。そういう彼もドイツ語、フランス語、英語、スイス語(方言)を日常的に使っているというが、多数の原語を操る頭の中の構造がどうなっているか見てみたいものだ。

料理をしなくなった?

ドイツの奥様

ベルリンを訪問した時に、女性が多く参加されていたので、話題を料理に関したことを交えて話そうとした。その時に、「皆さんは毎日料理をしますね?」と切り出したら、皆さんは怪訝な顔をされたので、質問をし直した。するとご婦人方は「普通は料理をしなく、時々する」という返事だった。これは何事かと思ったら、通訳が最近は冷凍物やファーストフードが多くなり、自宅でじっくり料理をすることが少なくなってきているという。ちなみに男性群に聞いてみると、奥さんの料理は美味しいかと訊ねたら、体格の非常に良い人は「とにかく味ではなく、お腹一杯になるのがご馳走だ」と即座に答えてくれた。確かにドイツ料理での味は、塩が基本で昆布、鰹、椎茸などの恵みがないために、これらの旨みも知る由はない。日本のこれらの旨みや味覚を知っていることは、本当に食生活だけでなく人生も楽しくなると思うのだが、日本人で良かったとしみじみ思う。

この話のネタは、品質は最終検査で作り出すものではなく、各作業単位で作り出すものだという例えにするものだった。まず献立を考えて、それに対応する材料を店に買いに行く。その時に材料を手に取って見る、触る、さらには匂いも嗅ぐ、値段も確認して買い物籠に入れる。さらに家に持ち帰り、冷蔵庫などにいったん保管する。料理を始める時にもう一度材料を確認して、包丁を入れて切り口や中身を確認し、鍋等の料理具に入れ火を通しながら、材料を混ぜ合わせる。さらに調味料を入れながら、味見をしながら味を調えていく。具を混ぜ合わせながら、目視や匂いなどで仕上がりを確認していく。出来上がったら皿などに盛り付けしながら、もう一度出来上がりを確認して、お膳に出すという色々な工程(プロセス)を経て料理が出来上がる。これらのことから部品から製品に仕上げていく工程を、料理に例えて分かりやすくしようという狙いがあった。だがこのベルリンでは使えないことが分かったので、また別な例題を考える必要に迫られた。これも同じ手口を使おうとする安直な考えを戒めるものと思い、新たな例題を見つけるようにアンテナを張り直すことにした。

自分の非を認めた

ドイツ技術者

この工場で改善が最も進んでいる製造工程のメンバーが、3週間前に新しい生産ラインを作ったので、評価をして欲しいとリクエストがあったので出向いていった。長年ベルトコンベアで流していた最後のコンベア生産ラインだったのを、1個流しのラインに作り直したものだった。通常は入り口と出口が同じ方になっている「U」字状のラインであるが、「O」字状になっていた。よく見るとある根本的な間違いに気付いたが、すぐにここが悪いというのも一生懸命に作ってきたメンバーが、落胆することもあるのですぐには言わないことにした。少しヒントを出して、そこでみんなでじっくり観察をしようということした。

1時間の観察が終わってから、問題点のまとめを始めて何度か順繰りしたところ、このラインの基本設計をした生産技術のベテランから、もしかしたら基本的な間違いを犯していたようだと告白し始めた。そこで「あんたは偉い!」と私は叫んだ。そして「非常に良い」という緑のカードを差し出した。(これ以外に、緑の「良い」、さらにサッカーに使用するイエローカードとレッドカードをいつもワイシャツの2つのポケットに携帯している)それは、プライドの高いドイツ人が、設計ミスを自ら皆さんの目の前で告白することはありえないことだった。私にとってもこれほど素直に自ら告白することは、初めての体験だった。このことがあって、問題の根っこが全員に理解され始め、すぐに改造に取り掛かることができた。ある意味で1個流しの真髄を、彼らに十分に伝えきれていなかったことを反省した。

アパートに

暖房の入る季節になった

9月下旬からトイレと寝室に暖房が入り始めた。ドイツのアパートは、セントラルヒーティングなので、自分で操作できない点がある。トイレと浴槽の部屋の暖房は、全く操作できず調整すらできず3週間が過ぎた。昨年までは暖房が入らないで困っていたが、修理をしてもらった今年は、チョロチョロと温水の流れる音も寝室まで聞こえるほどうるさくなってきた。

この暖房が入らないために、今年冬にこのアパートから21部屋のうち数組の人たちが引っ越しした経緯がある。私がここに住み始めて6年半になるが、もっとも古参の住民になったほど入れ替わりが激しいのは、この暖房の故障によるものだ。今回は天気の良い日でも24時間作動していて、時にトイレに入るとムッとする。余分な暖房がムダとは思わない頑固さが、まだドイツには残っているがなんとかならないものか。

秋は新しいビールに

ワインの季節

ワインの在庫がなくなって久しかったが、いつも通っているスペインワイン屋に行く機会がなかった。たまたまその近郊で仕事があり、帰りに立ち寄ることになった。例の如くタクシー運転手のカルロさんが、事前に店に連絡をしてくれていた。店に行くと店主が待ち構えていて、今日一番のお勧めのワイン紹介があった。初めてのフランスワインだったが、産地はピレーネ山脈であり、スペインとの反対に位置していた。飲んでみるとスペインワインと同じ味だったので、何故出されたかが分かった。店主の評価は、100点満点の90点と高得点のワインなのでと強い推薦だった。値段はなんと衝撃の8ユーロだったので、すぐに2本購入。今日はスペインワインだけでなく、イタリアワインも推薦があった。また葡萄の木は寿命が60年であり、その切り倒す最後の葡萄で作ったワインは、濃厚な中にも枯れを感じさせる味だったがそれも購入した。試飲をして感想をいっていると、「マツダが来ると楽しくなる」といって取って置きのワインを飲んでくれといって次々と開封し試飲させてくれた。十種くらい試しただろうか、いずれも非常に美味しいものばかりだったが、これぞワイン三昧というのだろう。購入は合計10本総額80ユーロで、試飲して評価をして欲しいとさらに1本おまけがついた。勤勉な私は、早速来週評価をしようと思う。

9月末といえば、ミュンヘンで有名な「オクトバーフェスト」というビール祭りがあり、テレビでもラジオでニュースに取り上げられる。しかしワインも、この時期にしか飲めないワインがあるのを思い出した。それは、「SUSER(ズーザー)という白ワインにこれからなろうとする今年仕込んだばかりの発酵途中の「新しい発酵途中の葡萄汁(まだワインではない)」と但し書きがある新酒(発酵中であるが、酒と称す)だ。リンゴ酒のように少し甘酸っぱくて飲み口が爽やかな酒で、ついつい2杯(400cc)飲んでしまったがほろ酔いになった。1杯が38ユーロ(約500円)とまずまずの値段だった。地元の人もつい飲みすぎて後で困るといっていたほど、左党をくすぐるものだ。これはブドウ栽培が盛んな南ドイツにあるもので、たまたまスイスに近い地方に来ていたのでありつくことが出来た。類は類を呼ぶのか、はたまた私が追いかけているのかは定かではない。