海外こぼれ話 104    松田龍太郎(在デュッセルドルフ/ドイツ)

2010.1

 

12月6日は

ニコライの誕生日

ドイツでは、この日を、俗に私たちが言っている「サンタクロース」の誕生日であり、クリスマスと同様にお祝いをする。ドイツの冬の楽しみがなかったから、このようなお祝いの日をこじつけて、お酒を飲んだり、ケーキを食べたりしたいのだろう。この日は、デュッセルドルフ空港からミュンヘン空港に移動する日だったので、アパートから空港に向かった。空港のホールに入ると、サンタ姿の美しい女性がなにやらニコニコしていた。

何かと思ったら、空港の主催でお祝いの袋を搭乗者に配っているところだった。年齢制限がないようで、私にもその袋をくれた。それは赤くて大きな靴下で、中にはサンタ姿のチョコレートであった。なるほど!とこの日が、ニコライの誕生日だと分かった。彼女らがとても可愛かったので、写真を撮っても良いかと問えば「喜んで!」といって撮らせ貰った。搭乗手続きを終えて、その場所に再び戻ったらもう彼女らはいなかった。どうも一瞬のサービスタイムだったようだが、これは幸運であった。

今回の出張は、1年間音信不通だった会社で、しかも8月に米国の企業に買収された経過があった。工場長が新しく赴任してきて初めての訪問だった。まだ誰か分からない人に会うことは、どんな人か想像がつかないので、誰もが不安である。

不親切なミュンヘン市民

以前、10回も訪問した工場であったが、米国の大会社に買収されたことで事務所のある本社が少し移動したようだ。指定された場所は、いつもならタクシーで12分のところが、25分も掛かった。本社の受付で工場長を待っていると、元の工場の方に来て欲しいと連絡があった。少しの連絡の悪さで、タクシー代と時間を失ってしまった。ドイツではこんなことは、普通のことなので頭を熱くしないことだが、私の性格としては頭が湯沸かし器のようになる。

そこから再びタクシーで移動するが、受付でタクシー会社にどこからどこまでと番地まで言ったのに、やって来たタクシーの運転手は聞いていないという。日本ではありえない話だが、ここミュンヘンは当たり前だという。この街の人間は不親切極まりない人種だと、通訳が耳打ちして教えてくれる。私の頭から湯気が出てくるのが、見えたのだろう。タクシー会社の受付や運転手のやり取りが非常に不味いのは、ミュンヘンでは仕方がないという。否な予感がしたが、結局15分遅刻しての訪問になった。

思い出すと昨晩も同様なことがあった。空港でカーナビのないタクシーに乗って、空港からミュンヘン市内に入ったが、ここまでは30分ほどだった。だがこの運転手は、ミュンヘン市内でなく郊外の住人であった。そこでホテルに行くために、数回、道を尋ねてもだれも知らん顔のミュンヘン市民だった。何度も車を止めて、ホテルの所在を聞いて探したが、市内に入ってさらに30分も経っていた。

よく見るとコンソール部分に、カーナビが装着されていた。しかし、既に3回も交換したという。いずれも近くに行くと別な方向を示し、結局は目的地に着けないので、今は使っていないという。運転手も頭に来ていて、来週には別な車種にするといっていた。ちなみにこの車は、有名な高級車種である。

本日の会話は英語で!

新しい工場長もハンブルクから今朝移動して来て、先ほど工場に到着したそうだ。8月から毎週ハンブルクから通っているというが、日本ではあまり聞かない話だ。しかし、ドイツのトップはこのような飛行機による通勤は、珍しいことではない。Aさんという工場長は私より少し年上で、キューピーさんのような柔和な人であったので安心した。もう一人の見かけない顔は、その買収した企業の欧州の改善担当者で、Lさんはまだ40歳位と若かった。Lさんも非常に温和で、仏様のような感じの人であった。アイルランド出身なので、英語しか話せないというので、今日の会話はドイツ語ではなく英語で通すことになった。A工場長も営業出身で、英語はペラペラだった。

この会社のマネージャークラスは、みんな英語での会話は大丈夫だという。ドイツ語の通訳も、英語は当たり前のように翻訳できるので問題はなかった。英語なら私も聞き取れる単語はあるが、文章としては理解できないので、この手の時には一切通訳に任せることが懸命である。生半可は怪我の元である。なんでも一緒のようだ。

自己紹介が終わったので、1年ぶりの工場内を視察した。在庫や仕掛りが少なくなって、スッキリしていた。製造ラインも不要なものがかなり撤去されて、色々な改善があちこちに見ることができたので安堵した。1年ぶりに再会する人たちが握手を求めてきたが、皆さんがいい笑顔になっていた。この1年間は会社がどうなるかの瀬戸際にいたので、なおさらその気持ちは分かる。それからこの工場を、将来どのようにしていくかの検討に入った。新しい会社も以前と同じように、私を呼んで改善を進めたい意向を確認した。

普段はドイツ語だが、今日は英語なのでギリシャでのやり取りを思い出した。ドイツ語は厳格であるため、翻訳すると長くなるが、英語はラフな言語であるため翻訳が素早くなるので、気の短い私には非常にやりやすい。従業員全員を集めて、トヨタ方式の講義を行った。その時は、ドイツ語に切り替えた。1年前の講義に比べ、皆さんの目の輝きが違ってきた。それは、会社がこれからも存続することが決まったからだろう。将来が見えないと、人は不安なものだ。2日間の仕事は非常に好評であったので、来年もまた呼んで頂けるものだろう。

一年ぶりにWさんと再会

実はその買収された会社で、以前私を何度も呼んでくれていたWさんから連絡があった。つまり、先ほど紹介したAさんの前任の人である。新しい会社でまた私と一緒に仕事をしたいので、久しぶりに会いたいという嬉しい知らせだった。Wさんは私の熱心な信者であり、本当に熱心に改善を取り組んでくれる。

今度は北ドイツのハングルク郊外にある、ある製造機の世界一のメーカーだという。その招待を受けたホテルは、ラインベックという小さな町にある森の中にあった。その名も「森の家」という。事前に早くホテルに着いたが、形が少し奇妙だった。それは一つひとつ部屋を、わざと違った部屋にしているのだ。しかもホテルは、ドイツでは珍しい5つ星だ。外から見ると、ツバメの巣が集合したようなイメージだ。

部屋のドアの右上には、この部屋には誰が泊まったかという真鋳製の銘板に名前が刻印してあった。どの部屋も有名人らしいが、私はさっぱり分からないので、通訳に解説してもらう。まず政治家、男優や女優、そしてサッカーの選手など、ドイツ人が見たらすぐに分かる人たちの名が刻印されている。私の部屋も3つの銘板があった。部屋の中は、C型になっていて使い勝手が悪く、とても良い部屋とはいえなかった。

約束の時間の少し前に、玄関でWさんを待っていた。駐車場から見えたWさんの顔は、この数年間で最も良い顔をしていた。なにやら吹っ切れた感じだった。100kgを超えるWさんと抱擁したが、とても手が回らない。開口一番、「良い顔しているねえ」。「そうでしょう!」。やはり彼は吹っ切れていた。これほど良い顔を見ると、こちらも嬉しくて目から熱いものが出てきた。

以前の会社での出来事を全て知っているので、余程良くなったかがすぐに分かった。それは上司(新会社になって、上司は左遷されたらしい)との衝突であり、それが原因で退社した経過があった。今は最高に良い環境になったという。それは人間関係である。Wさんは、社長のすぐ下の工場長になっていた。この一年間にこの会社に就いて、構造的な改革を行い、私を受け入れる準備をしていたというのだ。信者の方々は、とても熱心でそして偉い。

ワインの選定で話が弾む

この会社の社長のMさんも、一緒に食事をしたいというので待ち受けた。姿を見ると一見イタリア人かと思ったが、奥様がイタリア人だという。Mさんはドルトムント出身のドイツ人であるが、20年以上世界中でセールスをしてきたという。

Mさんと儀礼的な挨拶をして、いよいよ食事が始まろうとした。

飲み物を料理の前に注文をしなければならないので、ワインリスト(ドイツでは、これを「カルテ」という)をウエイトレスが招待者であるMさんに渡した。

これは招待した人がワインを選定するのが、一般的な作法である。しかし、Mさんは私にそのリストを差し出して、私に選んで欲しいという。これにはビックリしてしまった。こんなことはありえない話で、何か私を試しているかのようであった。仕方なしにそのリストを見たら、なんと100種類以上のワインがあった。迷わず赤ワインを選定し、そこからまた国別のワインを品定めする。

目に留まったのは、スペインのリヨハワインだった。それは昨晩アパートで飲んだばかりだったので、パスをすることにした。その上を見ると、イタリアのワインが並んでいた。キャンティなどお馴染みの銘柄があったが、リストの一番下にあった「モンタルチアーノ」「モンタルチーノ」に決めた。

するとMさんが、大きな声でなにやら叫んだ。それは、Mさんの奥様の出身地であるイタリア北部のアッテネアペニン山脈で造られるワインだという。よく選んでくれたと感激していた。しばらくしてそのワインがテーブルに持ってこられて、ワインを確認する。するとまた、そのラベルを見てMさんが叫んだ。Mさんが以前セールスをしていた会社で、ワインのオリ(沈殿物)を除去するための遠心分離機を売ったワインの会社だという。その縁でその地方に何度も行き、22年前に奥様と知り合い結婚をしたという。嘘のような本当の話であったが、偶然がこんなに重なるものではなく、これは必然であろう。Mさんは、ワインは赤しか飲まないと後で告白したが、やはり私を試していたのだ。

料理は前菜にメインの牛肉料理と続くが、ワインも本当に美味しかった。某TV番組で、志村けんがこのワインが一番美味いといっていたらしい。好みがあるが、芳醇な香り、しっかりした色、さらに飲んで滑らかに口に広がる味わい、さらに喉越しもよい。そして良い酔い心地も申し分なかった。

いきなり訪問して講義を行う

翌朝、Wさんが迎えに来てくれた。ホテルから工場までは30分も掛かるという。しかし、このホテルがこの地方で最も良いので選定をしたというが、心掛けが違う。1000人ほどの大会社で、世界一といわれるある機械を作っている。Mさんは今年1月から、このF社の社長に就任したばかりだという。Wさんと一緒に、根性の良くない人たちをこの間に改心させてきたという。まだ汚れは残っているが、方向性が見えてきたので、私を呼ぶ決心をしたらしい。日本では生え抜きの人が、トップになることが一般的だ。海外では逆に外部から有能な人をヘッドハンティングで獲得して、一気に会社を変えてしまうことが多い。

私が訪問してから、幹部の人たちには何も話をしていなかったが、集まれる人だけでもといって、今朝になって呼びかけた。そうすると、20数名の人たちが会議室に私の講義を聴くために集まってくれた。しかも組合長は、部下を3人も連れてきた。この取組みには、組合の理解と納得が成功への切符でもある。最初からすんなりと参加したのは、彼らも危機感を持っているからだ。こうなると話は進めやすい。

一通りの講義を終えて、数名のメンバーと一緒に工場内を視察する。まずこちらが優位になるために、的確な指摘や気付きを彼らに投げ掛ける。そのスピードはゆっくりよりも、素早い方が効果的だ。一瞬に色々と問題や指摘を投げ掛ける。よくもまあこんなところまでみているなあと、先制攻撃を仕掛けるというものだ。先手必勝のようなもので、最初が肝心である。しかもそこには、必ず彼らに逃げ道を作っておくことが大切である。追い詰められると相手はやる気をなくしたり、受入れを拒否されたりしかねない。そこで使うのが、ユーモアである。

試された結果は合格だった

視察が終わり、この工場の診断書のようなまとめを行うための時間をもらう。プレゼンの時間には、また最初のメンバーが集まってくれた。一通り話をして、この会社にはやるべきことが多くあり、それを実行すれば本当の業界一になれる動機付けも行った。

今日の感想を参加者全員に話してもらい、最後に社長のMさんの番になった。「実は松田のことを、2ヶ月前から徹底的に調査をしてきたが、昨日と今日で本物のコンサルタントだと分かった」と恥ずかしいくらいの言葉が返って来た。これから少し準備をして、継続的に改善に取り組む姿勢を皆さんの前で宣言された。ワインの選定も、実は仕組まれていたシナリオであったようだ。これほどワインがぴったり当たったことはないが、社長はまだコンサルもしていないのに提案を出してこられた。

Mさんの兄弟が、ハーメルンのL社で営業部長をしているので、そのL社にもコンサルの紹介をしてあげるというものだった。ハーメルンにいつも行っているP社に問い合わせたら、ハーメルンで最も大きい会社だという。一つの会社を訪問して、二度美味しいことを味わうのは初めてだ。グリコのキャラメルのように、一粒でも二度美味しいというキャッチフレーズと一緒だ。一生懸命に、経営の支援をして差しあげると、その会社の方から口コミで紹介して頂くというご褒美が待っているようだ。

コンサルの仕事は目には見えないので、物を売るということと全く違う。相手が本当に納得し、満足し、そして感動まで味わって頂かないと契約や継続は非常に難しい。しかしトップ間の口コミは、非常に確実な、営業活動になるので、ファン作りは大切な取り組みでもある。

さらに半日で

2件の依頼を受ける

実は、この後に同じようなことがあった。ついている時には、つくものである。この一年が不景気だったこともあり幾つかの会社から、コンサルの依頼がなくなった。その一つの会社から是非逢いたいというので、時間を作って欲しいと連絡があった。このB社は、家屋のスイッチやコンセントのメーカーで、この3年間で工場を全く造り替えてしまったほど熱心であった。

久しぶりに会う工場長のRさんは、実はこのB社を退社して来年からStuttgart近郊の大会社のトップになるという。そこで春からその新しい会社で、私を呼んで改善に取り組みたいとの依頼であった。願ってもない話であり、有難くお引き受けすることにした。今のB社はどうなるのかと問質すと、今の製造部長のGさんが、工場長に昇格するという。Gさんも挨拶に来てくれて、また来年の夏から再開をしたいという依頼があった。半日の訪問で2つのコンサルの依頼を受けたが、F社で体験したことがまた起こった。

一年ぶりに工場視察もさせてもらったが、Rさん自らやってきたことを紹介してもらった。それは不況でもありながら、自らの力で改善が自主的に出来るようになったことを示したかったのだろう。後退りはなく、確実に前進していたことを確認した。一年ぶりに再会するメンバーが多く、挨拶が大変だったが、嬉しいことだ。特に握手する力が彼らは非常に力強いので、最後には握力がなくなるほどだった。

改善をするのは、一つは売上拡大が目的であり、社員をクビにすることは原則的にしない。しかし改善や新しいことへの挑戦が嫌で、毒を出してしかも周囲を腐らせようとする人は例外である。改心のチャンスを何度か与えるが、それでも理解しようとしなく反発する人がいる。これまでにトップに申し出て、3人をクビにする指名をしたことがある。この会社では1人のマネジャーをクビにしたと、Rさんから報告を受けた。それは、あの人かとすぐにピンと来た。毒を取り去った職場は、やはり良い雰囲気に替わっていた。