海外こぼれ話 105        松田龍太郎(在デュッセルドルフ/ドイツ)   

2010.2

 

S社のベルリン工場での

セミナーが決定

前々回に大手電気会社のS社におけるトップセミナーで、追加セミナーが入ったことをお伝えしたが、その続きから話を始めます。その依頼をしてきたのは、ベルリンにある世界で最も大きいガスタービンを生産する工場の改善担当のYさんであった。その最も大きなものは、440トンという重さがあり、生産着手から完成までの納期がなんと1年もかかるという巨大なものだ。

依頼のあった日は、たまたま日程も空いていたこともあり、その場で了解をした。内容は、セミナーで話しをしたそのままで良いというので安堵した。Yさん曰く自分でもセミナーの内容の話しは出来るが、その迫力や熱意は自分では伝えることは出来ないという理由であった。Yさんは恐らく経験豊富な改善担当であると思った。

Yさんは、人は理屈で動くわけではないことを既に体験しているようだ。人が行動を変えるのは、心が揺り動かされることを知っているようだ。つまり話の内容よりも、誰が話しをしたかが重要であることがわかる。このことは健康診断の結果の話を、看護士から聞くよりも、医者から言われたことの方がよく受け止められることからも想像がつく。ほとんどの人は依頼する時に躊躇するものだが、Yさんがセミナーを依頼する即断即決の能力は素晴らしいと思う。

ベルリンの友人を誘う

ベルリン工場でのセミナーの日程が決まったので、ベルリンの友人であるGさんに連絡してワインを飲みませんかと誘った。Gさんは、6年前にV社の取締役時代に、私を呼んでくれた人だった。その後Gさんは、3年前にベルリン市内にあるDIN規格(日本のJIS規格に相当する。A4サイズの297×210mmは、世界標準になっている)の技術取締役に就任した人だ。

Gさんからの依頼で、1年前にDIN規格のマネジャーを30人ほど集めて、間接部門のセミナーを行った。それが、非常に評判が良かったようで、その内容をDINの月刊機関誌に掲載したいという依頼があり、9月号に掲載されたばかりだった。最初は2ページの依頼であったが、記事の内容が良かったといことで、さらに2ページの追加があった。そのお礼も兼ねて、一緒に食事をしながら談笑しましょうというお誘いをした訳であった。ドイツもこのような人間関係は非常に大切なことであり、小まめに記事の配信や手描きのクリスマスカードなどは、次ぎの仕事に、確実に結びついている。

実はこの機関誌に掲載されたことが、巷で評判になっていた。なぜならば全国に販売される雑誌であり、私自身の宣伝にも非常に効果があった。また表紙から2番目の記事として掲載されていて、よく目立つようにとGさんが配慮してくれたものだ。友人とは、なんとも有難いものだ。でも最初Gさんは、私を徹底的に疑っていた人であった。6年前のV社当時には、私を散々困らせているかと思うくらいに、Gさんは何度も質問を繰り返していた。今までにこんなに徹底的に質問をした人は、このGさん以外はいないほどしつこかった。

もうこれ以上質問があったら、もうこの会社には訪問するのを止めようと心に決めた時だった。Gさんの方から「よく分かりました。もう疑うものは何一つない。ベルリンの人は、分かるまで徹底的に調べたり疑ったりするが、それが分かるともう信頼をするだけです」と話しがあった。それ以降は、手のひらを返すが如く本当に全く疑うことはなくなり、心から信頼を寄せてくれた人であった。別の人に聞いたが、これは本当にベルリンの人の気質だそうだ。

ベルリン工業大学での

講義が決定

同じ日に2つのセミナーをやることになり、S社のYさんとDINのGさんとの当日の日程調整することになった。その日の午前中には、S社の工場視察とセミナーの開催が決まった。Gさんとの食事は、夜は予定があるので昼食ということになり非常にがっくりした。Gさんは、非常にワインに詳しくしかもグルメでもあったからだ。Gさんからベルリン工業大学の学生を集めるので、その日の午後に是非セミナーをして欲しいという依頼があり快諾した。

後から聞くとこの大学は、工業系ではドイツでも有名な大学であるらしく、学生も3万人もいるという。Gさんは、この大学でも非常勤講師として講義をしていて、定例的にゲストを招いてセミナーをするという。今までには、日本でいう経済産業省の役人、大手企業の会長、社長クラスの人にセミナーの講師になってもらっているという。

これは名誉なことなので、実はノーギャラということだそうだ。金銭的なことは問題ではなく、これは実に大きな宣伝効果があるものであり、また恩返しの意味も込めて逆にこちらからお願いしたいくらいだ。この2つの話しが出てから、ドイツ事務所のホームページのアクセス数が一気に上がったと聞いたが、宣伝効果はすぐに出てきたようだ。依頼された講義内容を訊ねたが、当日の昼食の時に打ち合わせすれば良いでしょうということだったので、何とかなるなあと軽く考えていた。

午前中は工場視察とセミナー

通訳は、現在ベルリン在中のCさんであり、彼とはもう11年の付き合いである。最近彼とのコンビが多くなり、また通訳とのやり取りのリズムが快調になりつつある。前日の夜に打ち合わせを兼ねて、Cさんは辛いものが好きだというのでタイ料理屋で食事をした。翌朝の工場視察は、なんと朝7時からだという。1時間半ほど視察をして、ホテルに移動してセミナーを行う日程だった。それは工場でセミナーをすると、何かと理屈を捏ねて逃げ出す人がいることを事前に防止するためのようだ。Yさんは、やはり百戦錬磨の人のようだ。

セミナーの時間は、90分というので気が楽になった。パワーポイントによる資料40枚の発表時間の60分は、非常に短く遊び時間がないので堅苦しくなってしまう。しかも順番通りに進めていくのは、機械的であり面白くはない。セミナーは、ライブであり聴衆の反応次第でいくらでも変わるものと思っているから、筋書き通りに話しをするというのは得意ではない。

時間通りに工場を訪問して、広い工場なので焦点を絞って視察した。実際に完成品を見るとその大きさに圧倒されるが、そんな素振りは絶対に出さないようにしている。パッと見ると問題を発見しにくいが、ある見方をすればすぐに問題や異常は発見できるので、色々とカマを掛けた質問や指摘を矢継ぎ早に繰り返し、こちらの立場を高めていく。素早く主導権を握ってしまうことが、今後の進める時にも大切なことだ。先手必勝は、どこでも一緒だ。

Yさんに事前に工場内の引き出しや戸棚を抜き打ちで開けることを伝えておいたが、いくらでも指摘項目はでてくるものだ。普段毎日見ている人は見えなくなっていることを知っているので、彼らも悪さ加減が分からない。それを上手く気付かせることである。時間が迫ってきたので、急いでホテルに向かう。

2000人以上の従業員のうち、20人ほどのマネジャーが参加して、工場長の挨拶からセミナーが開始された。時間的に余裕があったので、ユーモアを交えながらトップセミナーで行ったマネジメントの話しを繰り返した。といっても先ほど工場視察した時の情景を思い起こしながら、指摘や気付きを誘いながら語りかけていった。終了後には、全員からのインタビューも行い、良かった点や改善すべき点を明確にした。工場長からは、今後も宜しくとの固い握手があった。彼らは、この話からさらに今後どうすべきか議論を進めるという。

次のセミナーの資料作り

昼食は、ベルリンで有名なホテルでのレストランが予約されていた。12時半に待ち合わせだった。時間に正確なGさんは、定刻に現れた。がっちりと握手した。顔を見れば話したいことが、もう分かってしまうくらいだ。よもやま話しをしてからすぐに食事をしたが、Gさんはこれから大事な商談があるというので、私だけがワインを飲むことになった。肝心のセミナーは、午後4時からで90分間、そして質疑応答は60分という日程だった。ところで何を話せば良いかと質問した。トヨタ方式とマネジメントの関連を、分かりやすく講義して欲しいということだった。依頼内容はアバウトだが、学生が何を聞いてどう行動するのか、ワインを飲みながら構想にふけった。水では構想は練ることは難しいが、少々アルコールが入ると俄然潜在意識が活性化してくる。

ホテルの隣が実は、DINの本部ビルであったので、そこの会議室を使ってセミナーをするというので、DIN本部の控え室(最近出来たばかりの最新の設備を完備した部屋だった)に案内をされ、飲みの物やお菓子、インターネットなども準備されていた。2時間半ほど時間が出来たので、講義の構想を口頭で通訳のCさんに説明した。最初はフリップチャートで自由に説明しようと思ったが、せっかくなのでS社で使ったパワーポイントの資料を流用することにした。

その控え室は、ベルリン市内が展望できる立派な部屋だったので、構想もスッキリしてきた。ストーリーもドンドン浮かんできたので、そのことをCさんに伝えた。Cさんは、それをすぐにパワーポイントで図式を作成していく。既に作成したものがあるので、修正は簡単に出来る。あっという間に合計35枚の資料を作り直すことが出来た。これは標準となりそうなものを、まとめておいてそこから関係するものを取り出すようにした成果が出始めた。標準化することで、最近は頭の回転がかなり滑らかになってきたことを感じるほどだ。

大学生を相手に講義

教員は免許がいるが、以外にも大学教授とコンサルタントには免許は不要である。でも前述の2つの商売は、免許という肩書きが必要ではなく、お客様からのリクエストと本人が持っている実力がないと成り立たない商売でもある。ドイツの名刺には、大卒、博士、教授であると必ず表記するしきたりになっているが、日本より封建的なところがまだ残っていて、完全な学歴社会である。高卒ではほとんどの場合、管理職にはなることが出来なく、逆に大卒ならば2〜3年でも管理職にもなることが出来るが、良いか悪いかは疑問である。ちなみに私のドイツの名刺には、ゼネラル(全般的、総などの意味がある)コンサルタントと書いてあるだけだ。肩書きではなく、実績がモノをいうことだ。

いよいよ会議室で講義が始まる。Gさんの紹介で、私が登場する。事前にフリップチャート(模造紙)に似顔絵を描いておいたので、自己紹介も和やかに進む。緊張を解くために、冗談話から入っていきながら、トヨタ方式やマネジメントの話を展開していく。俄かに作成した資料もほとんど問題なく進めることが出来たのは、この1ヶ月間に何度もやり取りした成果が出たお陰だ。やはり努力は報われるものだ。90分に対して10分ほどオーバーしたが、反応が良かったので問題なかった。ここでも全員からのフィードバックを行ったが、熱心に話を聴いていたことが分かった。質問はないかと問いただしたが、質問はなかったので、その場でロールパンやチーズなどをつまみながら、赤や白のワインを飲み始めた。そうすると次第に、賑やかな雰囲気になってきた。

そうすると大人しそうにしていた学生がドンドンと質問をしてきたが、実際の現場での体験がないのが伺い取れたが、懇切丁寧に対応してあげた。彼らが会社に就職すれば、数年で幹部になることが出来るのは間違いないことだ。そうすると改善をしたいなあと思った時に、私のことを思い出すはずであり、これは商売になることを想定して対応していたのだ。計算し過ぎかと思われるが、この時期の記憶は一生忘れないものなので、この機会は非常に重要なのである。

最後には、Gさんから3本のフランス赤ワインのプレゼントがあった。講義代にしては格安かもしれないが、気持ちは十分に入っていたものだった。Gさん曰く、「この6年間で、マツダがパワーポイントを使ったのは初めて見た」といったが、それほど型にはまったことはしないのが常であった。物事(基本)を十分に熟知しているからこそ、どんな時にも応用が利くものである。このパワーポイントの資料は、従来のものとは全く異なり、言葉を削りに削った実にシンプルに仕上げたオリジナルで画期的なものと考えている。これからは、国内でもこのやり方を展開していきたいと思っているほどだ。非常に気分良くベルリンを後にして、デュッセルドルフのアパートに帰ることができた。

デュッセルドルフ

最古のレストラン

デュッセルドルフに美味しいレストランがあるというので、望年会(忘年会ではない)を兼ねて通訳のMさん夫婦と食べに行くことにした。そのレストランは、旧市街にあって歴史的な所だという。事前に待ち合わせしてから、散歩しながらゆっくりとアパートから歩いて行った。開店は6時からなので、クリスマスマーケットも見ながら周辺の見物もしていった。この2年間に不景気風が吹いてしまい、店の数も半減したように感じるほどだ。アパートから見るクリスマスの電飾の数は、昨年には20個くらい見えていたが、今回はたった3個までに減ってしまった。アパートから見える家の窓は100軒分ほどあるが、ここまで影響していた。さてそのレストランは、私の散歩道の一つにもなっていたルートにあったが、それほど有名な店とは全く気付かなかった。

その建物は100m近くも連なっていて、その端っこがレストランで、反対の端っこが教会になっていた。時間があったので、その教会に初めて入って見るとゴチック仕様になっていた。全ての壁や天井に細工が施されていたが、実に手の込んだものになっていた。やはり実際に入って見ないことには、中は分からないものだと再認識した。

15分前になったので、そのレストランに行くと鍵が掛かっていた。ベルを鳴らすと中に入れてくれたが、いつも鍵をかけているという。店は表からは、想像できなかったが、なんと鰻の寝床のようあった。奥から2番目の席に案内されたが、すぐ非常に古い店だと分かった。実はデュッセルドルフ市内で最も古い店で、なんと創業1593年だったが歴史を感じる。店の名は、「アンナおばさん」という。1920年頃にウエイトレスをしていたアンナおばさんが、いわゆる看板おばさんだったのでそのまま名前が付いたといい、その肖像画もあった。

ドイツはビールハウスが多くあるが、ここは珍しい「ワインハウス」である。ワインに合う料理を出してくれるというので、期待に胸を膨らませた。メニューにはコース料理があったが、70ユーロ、85ユーロ、110ユーロ、130ユーロと段階があったが、お腹の状態を考えて、110ユーロのワイン付きコースにした。

そのコースは、一つひとつの料理にそれに合った個々にワインを出すという。酒飲みとっては、なんとも贅沢なメニューであった。

この店の壁や天井など小物類も古いものが、きちんと手入れされていたが、見ていても気持ちの良いものだ。クリスマスの時期は予約が一杯で、奇跡的にも席が取れたという。しかし、次の客が8時半から来るので、デザートは出来ないので勘弁して欲しいといわれた。つまり、2時間ほどしか予約が出来ないくらい繁盛しているということだった。不景気はどこに行ったかという感じであり、金を持っている人は確かにいることを実感した。

非常に美味しい料理と

ワインに満足

料理は、ドイツにしては客の食事の進捗状況を確認しながら、一つずつテーブルに出してくれた。われわれが客の最初だったので、料理もしやすかったのだろう、次々とちょうど料理が終わると次の料理がタイミング良く出してくれた。しかも珍しいことにワインは、いずれもドイツの白ワインであった。鴨肉には赤ワインと思っていたら、濃厚な白ワインで対応してくれたが、さすがに料理とマッチしており確かに歴史ある店であると感服した。

この店を紹介してくれたのは、Mさんの奥さんであった。実はここから100kmも離れている町の会社が、以前接待に使った店だという。余程美味しくなければ、100kmも離れた店に招待することはない。それほど美味しかったというので、今回の店の紹介になったわけである。納得できて、ガッテン、ガッテンとランプを点灯したいくらいだった。これはネットワークの力の賜物である。