海外こぼれ話 106  松田龍太郎(在デュッセルドルフ/ドイツ)           2010.3

 

電車はきぐるみで溢れていた

 

213日の夕方に事務所のあるボッホム市から電車で、アパートのあるデュッセルドルフに帰ろうとした時のことだった。動物のきぐるみをまとった若者が大勢乗ってきて、車内はあっという間に満員になった。ドイツでの電車で立ったままで乗ることは、余程のことでしかない。電車が満員になるのは、週末の金曜日か、バカンスの時か、お祭りか、あるいはサッカーの試合くらいである。よく見ると女性も混じっており、彼女らはミニスカポリスのような制服で統一しているようであった。

彼女らは、混雑していた車内で立ったまま、買い物袋から瓶ビールを取り出して飲み始めた。さらに一口サイズのハンバーグを口に放り込みながら、カッカッカと大笑いをする有様だった。それは、「赤信号、皆で渡れば怖くない」をそのまま電車の中でやっていた感じだった。空になったビール瓶は、荷物棚に投げたままにしているが、マナーも非常に悪い。サッカーの試合がある時にもこのようなどんちゃん騒ぎがあるが、サッカーの時にはそのチームのチームカラーに統一しており、きぐるみはなかった。それにしても不思議な光景だった。

ビール瓶というのはいかにもドイツ的であり、日本では瓶を持ってどこかに行くことはなく缶ビールである。ビールがなくなれば、さらにミニチュア瓶のシュナップス(果物で作った焼酎)をラッパ飲みし始めた。騒ぎはますます大きくなってくるが、他の乗客は全く彼らを制止しようとはしない。

急行電車であったが、周辺のエッセン市、デュースブルク市という大きな街でもほとんど人は降りようしない。むしろ人はさらに乗車してくるほどで、ますます混雑を極めてきた。頭も疲れていたので、考え事をすることはなかったが、酒乱の馬鹿騒ぎには参ってしまった。

とうとう彼らとは、デュッセルドルフまで一緒であった。駅構内になだれ込むと、さらにきぐるみの種類は増え、ゴキブリ、てんとう虫、ウサギ、ライオン、リス、鶏、カエルなどが他のプラットホームからも出て来た。なんか間違った所に来てしまったかと、錯覚するくらいきぐるみの集団になっていた。この1時間は、まるでディズニーランドに来たかのようであった。

 

バレンタインディーは騒音騒ぎ

 

あっけに取られながら、アパートに辿り着いた。翌朝は、早朝からなにやらブラスバンドもなり始めた。ドイツの214日のバレンタインディーに関するデパートのお菓子売り場は、日本とは想像も付かないくらい大人しいものだ。チョコレートは、普通より少し多いくらいの展示がしてあるくらいだ。しかもその日は日曜日でもあり、小雪の舞い散る中で何事が起こったのか全く想像も出来なかった。この日は、原稿書きに費やす予定だった。今ではお陰さまで月間の連載物が5本になり、原稿用紙で50枚程度(文字数にて2万文字)を書いているので、時間があるときにはどれかの原稿に向かっている。原稿書きといってもパソコンになるわけであるが、その素案はやはり手書きのメモだ。タイトル、サブタイトル、キーワードなどを、2Bの鉛筆でメモに書き出す作業が不可欠になっている。色々試した結果、2Bの鉛筆が一番書き込みやすかった。

勢いが良いと考えていることの方が断然早いので、書くことが追いつかなくなり、後で読めなくなる。その時は眼鏡を外して、これは何を書いたかいなあと考え込むことがしばしばある。最近のスタイルは、キーワードから下調べ、数回脈絡を掴みながら、全体のイメージと流れを掴むと、ほぼ一気に書き上げるようになっている。手書きは手間であるが、頭の中を整理するには非常に効果的である。しかし、今朝は騒音で錯乱してしまい作業にならなかった。バレンタインディーの日に街中で、何が起こっているのかわからなかった。寒かったけれど気分転換に、いつもの散歩コースで散策することにした。

 

大通りにはきぐるみで溢れていた

 

100mも歩くと昨日遭遇した別のきぐるみ集団がおり、旧市街の方向に向かっていた。数百mも行くと、さらにきぐるみだけではなく、ピエロなどのコスチュームをまとった数人のグループもどこからともなく集まっていた。それぞれのグループには、猫車のような台車に飾りつけを施していた。それに、ビール、ワインなどの飲み物やソーセージなどの食べ物を積んで、そぞろ歩きというかおしゃべりをしながら戯れていた。それはどこに行くというものではなく、気分の向くままに移動をしているかのようだった。中には音楽をかけてそのグループで独特のダンスをして、観客の関心を集めているものもいる。デュッセルドルフで一番賑やかであり、高級ブランドが集まっている通りが、ケーニッヒアレーという。そこは普段ウィンドーショッピングで賑わうが、お洒落をしたカップルが主体で、着飾った様を周囲に見せ付ける通りでもある。しかし、今日はまともな服を着た人がほとんどいなく、しかも朝から酒を飲みながら騒いでいる。写真を撮ろうとすると、彼らの方からポーズをする人たちもいた。足元は多くの人が歩いたせいか、雪がべちゃべちゃに解けて、非常に滑りやすくなっていた。足元をよく見ると、壊れたビール瓶、ワインの瓶が、まるで絨毯のように敷いてあるかのようであった。彼らが空き瓶の処理を地面に投げつけて、壊すことを楽しんでいたようだ。足元が危険になったので、1時間ほどで引き上げることにした。昨日から異様なものばかり見てしまい、現実なのか幻想なのか分からなくなるほどだった。

 

それは翌日の月曜にも続いた

 

翌日の月曜日は、ドイツは休日だった、今日はゆっくりできるかと思ったら、また今朝から賑やかくなってきた。食料も尽きかけていたので、買い物に出かけることにした。日本ではメモ用紙に買いたいものを、リストアップして買い物に出かけることはほとんどない。ドイツではメモを持っているのが、一般的である。物忘れが頻繁になった私も、メモを必ず書くようにしている。そして買い物の内容を基に、店の順番も書くようにして、買い物の効率を上げると共に、余分なものを買わないように心がけしている。

メモを持っていつものデパートに行くと、人がいなく電気も点いていなかった。気がつくと、全ての店が閉まっているではないか。商店街は、まるでゴーストタウンだった。結局買い物が出来ず、ムダな散歩になってしまった。今日が何の日か知りたくても、日本のカレンダーを持っていても役に立たない。仕方がないので、冷蔵庫の残り物と干し椎茸、ワカメ、缶詰類で何とかすることにした。ワインの在庫だけは、確保してある。

天気が良くなり昼からまた散歩に出かけたが、まだ多くのきぐるみの集団が戯れていた。また今日もかと思ったが、そのまま散歩を続けて旧市街の方まで足を伸ばした。またこの場所も、賑やかなきぐるみの軍団たちで溢れていた。どうもカーニバルのようだと、ようやく気付くようになった。普通のジャンパーを羽織っているのは、私だけであった。非常に違和感を持ったので、1時間ほどで退散することにした。帰りにデパートのショーケースを見ると、子供から大人までもきぐるみの衣装が展示してあった。15から40ユーロと比較的安く買えて、色々な動物に変身ができることがようやく分かった。

 

カーニバルの由来はユダヤの祭り?

 

通訳に電話をしてことの有様を話したら、やはりカーニバルだった。しかも3日間も続くものだった。詳細を訪ねたが、その由来までは分からないという。10年もドイツに通っているが、このカーニバルを意識したのは初めてだった。ドイツではバレンタインディーよりも、このカーニバルが重要だったようだ。また冬にはなんの楽しみもない北国では、色々な楽しみを見つけて待ちわびる春を迎えるのだと思う。

さて何のカーニバルかと考えたら、以前読んだ本にあったユダヤ教にある「プリム」という祭りから来たと思った。一言で言うと、大騒ぎをしても良い日である。その由来は、2500年以上も前にユダヤ人が、ペルシャ人から攻撃されかかったが上手く回避した記念に、それを絶対に後世にも忘れないようにと継承されている祭りのようだ。

その日だけは、子供から大人まで仮装して遊び浮かれる日だ。また冗談を公然に言っても良い日であり、そのユーモアを介しない人は逆に馬鹿にされるようだ。またその日は、部下が上司を皮肉ることも許され、上司はそれを受け入れなければならない。これで部下は、一年に一度大きな息抜きをするらしい。こんなことに、世界中で大活躍しているユダヤ人のしたたかさが見えてくる。日本で言う無礼講の日だが、日本では上司にこんなことをすれば絶対に仕返しはあるので、事実上出来ないのは残念だ。私は、大昔に「今日、本当に無礼講」と言うので、その通りにしたら言った本人から大目玉を喰らったことがある。

 

オーストリアの田舎に新しいお客様

 

オーストリアには、今年2ヶ月のうち3回も訪問することになった。この国で、また新しいお客様が増えたことによるものだ。その新しいお客様は、ウィーンから車で、2時間半も移動する田舎にあった。夕方に到着してからの移動だったので、田舎のホテルに着いたのは夜の10時だった。ホテルに着くと、玄関には鍵が掛かっていた。そこで、オーナーの自宅に電話を掛けて開けてもらうことになった。田舎のホテルは良くあるケースで、普通の人ならおどおどするかもしれないがもう私は慣れっこになってしまった。夕食をまだ摂っていなかったので、レストランはあるかと訊ねた。この村では、ここだけでしかも日曜日は休みだという。別のレストランはここから2km先にあるというので、行くことを断念した。

仕方ないので、ビールとパンかチーズは今から用意が出来るか訊ねた。カウンターを見ると、数十種類もあるワインが並んでいたので、お勧めのワインに切り替え、チーズとパンを用意してもらうことにした。レストランの内は既に冷え切っているので、ホテルの部屋で食事をすることにした。結局酒盛りになったが、4人で2本のワインとてんこ盛りのチーズとパンを平らげた。その3種類のチーズの量は、なんとどんぶり3杯分もあったほどだ。しかし、この食事でお客様と通訳と私の人間関係は、非常に上手く行くことになった。まるで日本で鍋を一緒に囲んで、食べ合った感じだった。

 

いよいよ工場訪問

 

新しい会社で、自己紹介を兼ねて30分と短い挨拶をした。それは何のために、改善に取組むのかというものだった。いつものスタイルで参加幹部の皆さんにアピールするもので、特に初めてであればこちらも気合を入れていく。話の内容は、頭で分かっても心に響かせないと相手に伝わらない。そして、こちらの想いが伝わらなければ、どんな良いことを話しても意味がない。つまり、コンサルの世界ではお金にならないのだ。

講義が、終わった途端に大きな拍手があった。その後に、工場内の現場視察に出向こうとした時だった。社長が歩み寄ってきて、「先ほどの講演は、心から感動しました。」と握手まで求められた。これは、ものになる(今後お付き合いが始まる)と直感した。今までにお世辞の言葉は数知れず聞いたが、この社長の言葉は違っていた。さらに伺うと、以前自分もコンサルタントをしていたので、私の話したことが非常に良く理解できたという。

工場視察をしてみると、多くの指摘事項が出てきた。今までに改善をやってきたということが、表面的であったことが明白になってきた。さあ、ここからがこの会社と契約ができるかどうかの真剣勝負だ。この会社からコンサルのリクエストを頂戴するには、如何に話を進めていくかである。人と合った時の第一印象がほとんどを決めるということは、この世界も一緒だと思う。最初の一言や指摘が、相手の心に印象付ける。人の言わないことを言うことは、相手をはっとさせて気を引くことである。同じことを指摘しても、お客様はうんともすんとも心に響かないものだ。一見反対のことを言うとあれ?と思わせることでもある。そして、なるほど!と思わせること。実は、戦略のコツでもある。

 

食事の招待は成功の証か?

 

最初の日が終わろうとした時に、社長から今晩是非食事を一緒にとのリクエストがあった。これは先行きが、明るいことを示すものだ。食事に誘われるのは、興味を示した証拠でもあり、上手く話を運ぶことが必要だ。食事の時間に遅刻してはならない。招待されても相手を待たせることは、もうそこで話は終わるものだ。約束の10分前には、両手を前に組んで直立不動で待機するようにしている。その緊張感が大切であり、事を上手く運ぶ印象を与えるものだ。

食事のレストランは、われわれが宿泊しているホテルの店だった。社長は、やはり10分遅れて到着された。テーブルに着いて四方山話から入っていくが、およその所がワインの話に落ち着く。オーストリアは、ビールよりもワインが良く飲まれる。山国であるが、ちゃんと白も赤も良いワインを産出する国だ。このホテルのレストランには、地下室にワインが相当あるらしい。結局話がドンドン弾み、地下室まで行くことになった。数あるワインの中から選りすぐりのものを頂いたが、最後にはワインよりも笑い話に花が咲いてしまった。お腹から笑えることは、気持ちが通じたというものだ。翌日の結果が非常に良かったので、すぐに次のリクエストがあった。

 

オーストリアの風景を見ながら移動

 

翌々日は、その会社からいつも通っている別な会社に移動する日程になっていた。朝ゆっくりとして、12時から移動することにした。タクシーは、いつもオーストリアで頼んでいる人であり、もう顔なじみになっていた。彼の方からの提案で、最短コースかそれとも山の景色を見ながらのコースかと尋ねられた。時間があるので、山のコースにすることにした。雪景色を見ながらのドライブは、快晴だったのでとても気持ち良かった。良く考えると昼飯を摂ってしなかったので、途中に眺めの良い場所でレストランに立ち寄ることにした。

早速、ビールを頼んで飲み始めた。しばらくしてグラスが空になり、ウエイトレスを呼んだ。「このグラス壊れているみたいで、知らない間にビールがなくなってしまった」とグラスを持ち上げて、グラスの底を覗く仕草をして見せた。彼女は、「オーストリアのグラスは、全て壊れているのよ」とさらりと言ってのけたので、大笑いになり話がさらに輪をかけて弾み出した。その後は何を言っても可笑しい話になり、笑い過ぎて逆に腹が減ってきたほどだ。このようなユーモアがあると、移動も仕事も楽しいものになる。

高速道路ではなく田舎道を走ったが、オーストリアの山々は鋭く尖った山が多い。岩が剥き出しになっていたり、中国の桂林のような山水画のような山もあったり、普通の観光では見られない日本と違った風景を楽しむことが出来た。目的のホテルに到着したが、運転手からの提案で、先ほどの食事代のお返しにホテルの先にある山の案内をしたいと申し出てきた。喜んでと言って、7km先の山頂に向かった。そこまでの道のりは、除雪してあり楽々到達できた。そこは、スキー場になっていた。雪はさらさらであり、団子を作ろうとしてもできない。このような雪を「パウダースノー」といい、歩いてもふわっと雪が舞うくらいだ。そこにはロッジがあり、コーヒーを飲むことにした。その店には、親子連れから老人の仲間が集まって談笑を楽しんでいた。私たちもコーヒーとデザートを頼んだ。ここのアップルパイは名物なので、お勧めと言う。デザートが大好きな通訳のMさんは、アップルパイのバニラ付きと言うメニューを選んだ。それは直径30cmもある大皿に、バニラの入ったミルクスープに葉書大のアップルパイが浮かんでいた。さすがのデザートマニアのMさんも、今回だけはお手上げだったほど、オーストリアのデザートは偉大であった。