海外こぼれ話 松田龍太郎(在デュッセルドルフ/ドイツ)

連載110

チェコの通訳

 今までのチェコの通訳は女性のベロニカさんだったが、6月には第一子の産休に入るというので交代する連絡があった。新しい通訳は、彼女の日本語の先生である大学教授のRさんになるという。だがプラハを離れられない急用が出来たため、そのお弟子さんに当たるDさんに交代することになった。初めての通訳してもらう人には、予め電話を入れて声と人柄を確認することにしていたので電話しようとしたが、Dさんの応答はなかった。そのような訳でプラハ空港にて、直接初めてお逢いすることになった。出口で待っておられたDさんは、お顔を拝見するとなんとドイツの通訳のLさん(元ロックバンドの歌手)とそっくりではないか。初めてであったが、顔を見ただけでも親近感が出てきた。名刺を頂くとDさんは、大学教授でありしかも博士であるようだ。日本語はもう20年以上の経験があるという。

プラハ空港から目的のS市までは、東に240kmの距離である。チェコは高速道路が余り整備されていなく、130km以上は田舎道を走ることになった。従ってスピードを出すことが出来ないので、結局3時間半も掛かってしまったが、その時間は有効に活用できた。車の移動時間は、方言の倉吉弁が通用するか、日本語の理解度、改善の話も分かるかどうかなどの相互確認を行なう貴重な時間でもある。30分も話をすると問題ないことが分かった。

Dさんの大学では、1年から3年まで20人ずつ、そして2年間の大学院では10人ずつ、合計80人が日本語を勉強しているという。趣味は奥様より上手だというオルガンで、好きなのはバッハだという。私の話をするスピードが普通の人より早いようで、聞き取れない場合には早過ぎる時に待って!と声を掛けるように打ち合わせした。講義をする時には、話しながら次々と台詞が浮かんでくるのでつい多く話したくなる悪い癖があるが、これはもう直らないかも。

工場長は自動車工場からスカウト

 ホテル到着時には夏至の頃であったので、外はまだ十分に明るいが、それでもデュッセルドルフに比べると30分以上も早く陽が沈む。緯度が少し違うと日没の時間もずれてくるので、地球は丸いことを思い出させてくれる。ホテルで夕食をしようとすると、その工場の工場長も同席することになった。彼はチェコで唯一の国産車の「スコダ」という自動車工場で15年以上も働いていたので、トヨタ方式の改善活動を非常に良く理解している。3年前にヘッドハンティングされて、工場長になった人だ。そして私のことを、「マツダサン」と「さん」付けで呼んでくれる珍しい人だ。しかもお礼や挨拶される時には、両手を(お釈迦様のように)合わせられる。これは私が欧州でお礼をする時によくやるポーズであるが、それを見ておられて真似されているようだ。それでも東洋人のように極自然にその形で挨拶をされるのは、心から感謝されているからだろうか。

話が弾むとご自分の話になった。ご自宅は2000uの庭があり、その草刈は大変だといい腕や腰が痛くなるという。犬が趣味といい同じ犬を8匹も飼っていて、庭を走り回っているという。犬の写真をいつも財布の中に入れるというので見せてもらったが、同じ犬なので101匹ワンチャンのようだ。ちなみに奥さんの写真を尋ねると、それは見せてもらうことはできなかった。

チェコの田舎はお金が余りなくても一戸建てで庭も付いており、どの家も綺麗に花などを植えて手入れが行き届いている。土地代が非常に安いだけではなく、自分の生まれた土地に住み続けたい意識が強いという。都会に出てお金を儲けるよりも、慎ましくとも生まれ故郷で住み続ける風土がまだ残っている。日本は豊かになりすぎてしまい、田舎の暮らしを敬遠するようになっているが、本当にそれで良いのか考えさせられる。

丼のようなティーカップ

このホテルのレストランのお勧めはステーキだというので、焼き加減は「レア」でペッパーステーキにした。肉は200gもあり、これだけでもお腹一杯になるがさらに付け合せの温野菜がたくさん付いてくる。ペッパー(黒胡椒の粒)はソースと一緒に煮てあり、その粒は50以上もあり刺激的ではあったがまろやかになっていたので、すべて食べることができた。胡椒は普通少し磨り潰して食べる程度だが、どのレストランも大量に粒の胡椒を入れてくれる。

この田舎のホテルのレストランは、美味しい味付けがしてあり、レストラン内にはピザを焼く釜もあって、いつも電話注文をした人で賑わっている。ここのピザも食べてみたが、直径32cmの皿一杯のビザが出てきた。(月末に北イタリアのベルーシアで出て来たピザは、さらに大きく直径40cmもあった)これは標準サイズというが、オジサンの食べる量としては多過ぎた。各国のピザを食べてきたが、この店のピザは美味しかった。料理している若者に尋ねると、これを教えてくれた師匠が丁寧に教えてくれたという。

このレストランの紅茶は、まるで丼のような大きなティーカップで出してくれる。混智恵流都(倉吉市の喫茶店)のようにポットとティーカップを出してくれればよいが、最初は何が出されたのか分からなかった。チェコでもこのような丼サイズのカップはないというので、この店のサプライズと心意気のようだ。

まだ改善意識が低い

翌朝8時から講義を行なう日程になっていたが、時間になっても15人の内1人が教室にやってこない。工場長自ら何度も電話を掛けていたが、結局12分遅れてやってきた。その間は何も出来なかったので、大きなムダであった。工場長は15分話をするつもりでいたようだが、3分で切り上げ私にバトンタッチされた。朝一番で叱るような話題は参加者の意欲をそぎ落とすので、今回は話題を変えて講義を始めた。講義が終わり3つのチームに分かれて、現場観察を行なった。問題点のまとめ、さらに改善案の作成と進める手はずであった。

昼食後に各チームに巡回していると、1つのチームが行方不明になっていた。残党の一人を探すと、午後からは解散したと抜かすではないか。このことでついに工場長は爆発した。再びメンバーを集めてくれたので、もう一度進め方を確認した。彼らは問題が分かればそれで良いと考えていたようで、事前の説明にも上の空で聞いていたようだ。こんな勝手な途中解散は記憶がない。(が、)これは自分の仕事をして置けばよいという自分勝手なやり方が、まだ残っているようだ。

また1日の終わりの反省や感想、気付いたことを20秒くらいで順番に全員で話をしてもらう機会を設定している。ここもやってみたが、朝の集合時間に12分遅れたオペレータの話になった。WSに参加することを開始時間の5分前に上司から聞いたので対応できなかったという。確かに開始5分前に聞いてもすぐに職場を投げ出してセミナーに出られる訳がない。このようにまだまだ社内のコミュニケーションが取れていないことも露呈した。工場長が8時過ぎにその上司に電話した時は、上司はその人に伝えたといっていたが、実は数分前に伝えたことがばれたみたいだ。その上司には、工場長から原爆が投下されるだろう。

最終日の活動の発表は、作成したフリップチャート、写真、グラフなどをつけて説明するように確認したが、その場になってどのチームもメモ用紙を持って説明するだけだった。1時間前の合意はどこに行ったのか?信じられない光景だった。そのことを責めるよりも出来映えに対する評価を示し、彼らのやる気を引き出すことの方が重要である。指示したことを素直に行動に移すことが出来ないので、イライラしてしまう。まだ彼らを開拓するチャンスは十分にある。

夏至の頃は最高の旅行季節

次の訪問先は、プラハ空港からウィーン空港から西に向かって230km先のアルプスの東端にある田舎町、いや村に向かった。空港から150kmはアウトバーンなので快適に車は走る。しかし、ウィーン空港に着いたのは20時であったので、ホテルには22時過ぎになってしまった。タイミング悪く夕ご飯を摂ることが出来なかったので、このホテルのレストランでワインとチーズとパンで夕ご飯にした。田舎にしてはかなり良いワインを置いている店で、ドイツの赤ワインよりも断然コクのある美味しい地元ワインが楽しめる。ホテルのオーナーは私より若い50歳くらいだが、既にアル中で手が震えているが舌の方は確かだ。オーナーが一番大好きだというワインは、地元の赤ワインであった。これが3種類のチーズに良くマッチした。合計で47ユーロとは、結構いい値段だった。

夏至のこの頃は、緯度が50度もあるので22時でも真っ暗にはならない。欧州を旅行するには、この季節が最もよい。太陽の出ている時間が極端に長いので、ゆったりと夕方の観光やオープンスカイの店先で、食事や酒を楽しむことが出来る。夕方になると完全に凪状態になり本当に清々しく、団扇も扇子も不要だ(事実欧州にはない)。家にはほとんどエアコンはないので、逆に外で夕涼みを楽しむ。だからほとんどのレストランは、夏場用に庭を持っていてそこで食事を提供する。翌日は山の中腹にあるレストランに行ったが、そこは4月中旬から9月までしか営業しない。雪の狭く曲がりくねった坂道を登るには、随分危険な思いをしなければならないので無理もないか。

オーストリアは山のような大きな壁がある

ドイツと隣国のオーストリアは、ほぼドイツ語を話すというが、ドイツでも地方によって方言があるのと一緒で、地方によって通訳も聞き取れないくらい訛ったドイツ語だという。ちなみにドイツは北と南の人との会話は成り立たなく、結婚も滅多に成立しないほど格段の差があるという。この意味でスイスも北側はドイツ語が通じるが、その点訛りも十分覚悟をしておく必要がある。ある程度学歴のある人は、われわれに話をする時には標準語に近いドイツ語で話をしてくれる。しかし、仲間同士だと通訳も解読不明になるくらいひどい訛った方言を使う。言葉か違うということは、文化も違い考え方も違うという方程式が成り立つ。

最近分かってきたことだが、オーストリア人はやはり少し考え方がドイツ人と違うようだ。ドイツ人も考えることが好きだが、オーストリア人はもっと考えることが好きで、疑って掛かりなかなか結論を出さない。しかも組織の壁を作りたがり、自己防衛を図ろうともする。さらにフランスほどではないが、プライドも高いときている扱いにくい人たちでもある。この工場は今年3回目の訪問であるが、この部門間の壁が余りにも高い。そういえばドイツと違い周囲は2000m超える山々があり、隣どうしの谷でも方言が違うところだ。地形によって人の性格まで似てくるのかと、改めて考えさせられた。

今回は壁で仕切られたメンバーを意識して、混ぜ合わせて活動することにした。しかし問題はもう分かっているので、コンサルに教えてもらう必要はないといい出すA部長もいたほど混成チームを嫌っていた。ドイツ人の工場長がそれをなだめて、とにかく現場で観察するように指示したほど反発していた。嫌いといったら顔もみるのもイヤのようで、山のように壁の厚さを感じた。しかしこれもやりがいのある仕事を提供してもらったと思い、修行だと頭を切り替える。(注:ドイツ人とオーストリア人は、日本人が思うほど仲良くはない)

説得工作も仕事の内

そこで使うのが手のひらの例え話だ。それは講義中に皆さんに手のひらを10秒間全員に見てもらう。そして手を握ってもらい、手のひらの大きなシワ(生命線、頭脳線など)を描きなさいというと、大きなため息や笑いが出始める。毎日見ているが描けないでしょうと切り返す。次に人差し指を見させる。さて指先にある指紋は描けるかと問いただすと、もう笑いの渦になってしまう。反対していた人たちも少し納得したようであり、現場観察を始めた。

しばらくすると別なチームのB部長が、一気にステップを越えた改善をしたいと言い出した。このチームの改善は必ず順番に取り組む必要があり、まだ実力のない時点では危険な行為だと諭したが、彼は機嫌を損ねだした。そこでチームリーダーも呼び出しで、打開策を練ることにした。彼らのプライドも傷つけないようにして、こちらの思惑も筋を通したい。二人を外に連れ出して、妥協案を提案してみた。改善の活動範囲は広すぎて、このままでは成果が見えてこないので、思い切って活動範囲を最も問題のある部分に限定して、私のやり方をして余裕があれば、B部長のいうステップに取り組もうと切り出してみた。

数分のやり取りの中で、B部長もチームリーダーも合意をしてくれた。実はB部長のやり方では、失敗の可能性が高かった。自分たちの実力を侮っていたが、それを露骨にいっては彼も傷つく。そこで対象範囲を思い切って絞って、結果を出すことにした。彼の顔は既にホッとしたように和んでいたが、プライドの方が先行していたようだ。失敗すると結局は私の結果になってしまうので、必ず成功するように誘導しなければならない。このさじ加減は雰囲気を感じながら、そして彼らのやる気も考慮する必要がある。コンサルは、あくまでも黒子や太鼓持ちにすぎないのである。

手描きのマイク

 出だしでかなり手こずったが、どうにか滑り出すことが出来た。気を抜くと悪い方に結果は流れ出すので、顔は笑顔であるがいつも神経はピンと張っておく。1日の終わりにチームごとに今日の活動報告を紹介してもらい、こちらからさらなるヒントを出すようにしている。それが終わると一人20秒の時間を与えて、今日の気付いたことなどのフィードバックをもらうようにしている。それはA4サイズの紙にマイクを手描きして使用するが、これはそのマイクを持った人しか話さない暗黙の了解が含まれている。何かと発言の多い民族なので、この方式は非常に役に立つ道具だ。しかも費用は掛からず電源も不要だ。

それは参加者全員に、参加意識を持たせることも兼ねている。セミナーや会議には発言しない人もいるが、それでは参加意識は低くなる。短くても発言することで、参加意識も高まる心理作戦である。しかも顔には出さない考えをいう人が多く、何を考えているかも言葉にしてはじめて分かる。中にも本音もいう人もいるし、いわない人もいるが、つい本音が出てしまうようで面白い。

反対派が賛成派に変わった

たまたま最初の日は報告に時間が掛かってしまい、このフィードバックを中止にしようと考えていた。しかし終わりそうになった時に反対していたA部長が、不満を漏らした。露骨に「松田のやり方は嫌いだ!」などとわめき出した。それなら全員からのフィードバックをもらおうと、私はマイクを描いてA部長から遠い人から順に発言をしてもらった。A部長のチームのメンバーは、部長に合わせるかの様な発言をしたので、雰囲気が悪くなりそうであった。

このセミナーに3回参加してくれていた、あるリーダークラスの人の番が来た。彼は大きな声で「私は、松田のやり方に非常に賛成する」と、「Sehr(非常に)、SehrSehr Gut(良い)」と3回も繰り返して発言してくれた。それから雰囲気が全く変わってしまい、結局8割の人が賛成表明をしてくれた。A部長はそれらの意見を聞いてから、急に大人しくなってしまった。

次の日から現場に出て、色々とヒントや指摘をして改善の結果が出やすくフォローをしていったら、メンバーはさらに良いアイデアを出すようになった。A部長のテーマは工場長から押し付けられた、年間目標クラスの大きな課題であったようだ。それを短期間でやってしまうと、A部長のプライドを傷つけることでもあったようだ。チーム力とは素晴らしいものがあり、考えられないアイデアを生み出す。私も少し無理な課題かと思っていたが、コンサルが出来ないというと彼らもやらなくなるので、もっと発想を変えてみようとヒントだけを出すに留めた。しかし小さな改善の積み重ねから、発想の転換ができた。

最終日には思いがけない素晴らしい結果が出て、反対派の2人の部長は一気に賛成派に変わってしまった。A部長は笑顔で、私に握手を求め寄って来た。