海外こぼれ話 松田龍太郎(在デュッセルドルフ/ドイツ)

連載111   2010.8

 

サッカー狂想曲

欧州の最も熱心なスポーツは、なんといってもサッカーだ。国民の8割は、サッカーファンともいわれている。今年も6月から7月にかけて欧州は、ワールドカップのサッカーで本当に狂っていた。ワールドカップの2年置きには、欧州カップが開催されるので、2年ごとに大きな大会があることになる。ドイツのある会社は予選リーグ第二戦の観戦のために、水曜日から3日間のセミナーの開始時間を1時間早めて朝7時からに変更したほど熱狂的だ。ホテルの朝飯は7時からだったが、会社でパンを用意するという段取りもしてくれた。

そして金曜日の午後12時半にはすべて終了して、即解散してテレビ観戦に間に合うようにと会社ぐるみの取り組みだった。しかも金曜日の朝には、終了の時間厳守を何度も約束させられたが、そこは時計を見ながら正確に事を運ぶことが出来、しかも成果も期待以上に出来た。そのドイツの会社を出てからいったんスイスのチューリッヒ空港に1時間ほど車で移動して、そこからデュッセルドルフ空港に飛んだが、1時間のフライトなので欧州が狭いことを感じる。

デュッセルドルフに着いた時は試合も終わっていたが、空港がやけに静かであった。タクシーの運転手も浮かぬ顔をしていた。アパートは駅前通りにあり、色々な人種も混じった界隈で飲食店が非常に多い。金曜日の夕方となると非常に賑やかな通りでもあるが、それが水を打ったように静かだった。アパートに着いても周囲が非常に静かであったので、これはドイツが負けたと思った。

早速アパートでパソコンをインターネットに接続して、結果を確認したら案の定ドイツが負けていた。2対0で勝つつもりであったが、結果は0対1で負けてしまった。だから夜になっても全く騒ぐ人はいなく、まるでゴーストタウン化したようであった。今まで7年間ここに住んでいるが、このような静かな日は記憶がないくらいだ。その余波は、なんと土曜日と日曜日にも及んでいた。それほどドイツが負けたことが、大ショックだったということだ。

またあるドイツの工場では、次の試合に備え当日を最初から休みにして、代わりに日曜日に代替出勤をしていたことを知った。改めてサッカー自体が、生活の一部になっているかのようであった。最終結果はドイツの2大会連続の3位で、優勝はスペインの初優勝だったのは皆さんも記憶に新しいはず。

サッカーで儲けた人は誰?

 この度は南半球でしかも初めてアフリカでのワールドカップの開催だったが、これの思わぬ弊害が民族楽器のラッパ「ブブセラ」であった。これは読者の皆さんもテレビでご覧になったと思うが、莫大な騒音の何物でない代物だった。これを静かな通りで、真夜中でも鳴らす子供がいたのは本当に参った。アパート群の壁に反響して、頭が割れそうになったほどだ。これは公害の何物でしかない。親も騒音でうるさいと思うはずだが、ドイツの子供の教育も日本と一緒で乱れているという。ドイツ人といってもこの界隈では、10カ国くらいの人種が入り混じっているので、具体的にどの国の人かは不明だ。

 ワールドカップで一番儲けた人たちは、どこかという話になった。それは多くの国旗を造った中国でないかといったら、実はデュッセルドルフの小さな事務所(従業員が数名)が、大儲けしたとテレビで紹介されたという。各国の国旗や「ブブセラ」などの応援グッズのコーディネートと輸入権利を、この小さな事務所が一手に取りまとめたという。儲けるヒントは、人の気づかないところに隠れているようだ。またドイツが勝ったら、ビールの売上が上がるかとある人に尋ねた。そしたら勝っても負けてもビールは美味い!といい、どうなっても飲みますという返事が返ってきたが、呑み助に理由は不要のようだ。人気者になったのは、勝敗を占ったドイツ某水族館のタコの「パウル」君であった。しかも決勝戦までの8戦ともすべて的中したので、世界中の話題にもなったのは皆さんも記憶に新しいと思う。タコにも不思議な才能があるようだが、タコの寿命は3年ほどなので、次回は新しいタコを探す必要がある。

 オーストリアの人はドイツを応援しないといい、隣の国なのにと思うが、だからこそ仲がよくないために国境があると気づかされる。ドイツとオランダもそうであり、国境付近の人たちはお互いを軽蔑しあっている。ドイツの周囲は10カ国が隣接しているが、ガラス玉のようなバランス感覚で国境が成り立っているようだ。

イタリアで

初めてお客様が出来た

 イタリアでは今までに3回の企業訪問をしてきたが、3回目にミラノとベネチアの間にあるブレシア市で、よくやくコンサルの仕事が決まった。過去2回は、冬季オリンピックのあったトリノ市、そしてミラノ市の各企業を訪問したが、いずれもイタリア人の性格が災いしたのか仕事に結びつかなかった。ある企業では、「イタリアに標準という言葉はない」とまでいわれたことがあり、逆になるほどと感心したこともあった。料理やワインそして芸術やファッションでは、素晴らしい才能を持った国であるが、ある面では不良品や粗悪品はイタリア製などと陰口もささやかれるほどだ。車でもフェラーリのような芸術品のような高級車があるかと思えば、不良の多いフィアットのような大衆車もある国だ。

 今回の企業は、ドイツの企業の協力工場で昨年その企業に招いたことがきっかけになった。その時に感銘をしたイタリアのC社のM営業部長が、C社の社長を1年間掛けて口説いた経過があった。昨年7月に表敬訪問として2日間私がC社を訪問したこともあったが、その後社内で色々と検討したようだった。

 訪問する際に事前準備を行なうが、その連絡をしてもなかなか返事がもらえなかった。前日になっても、当日の朝になっても事前準備の回答の情報が流れてこなかったので、非常に不安であった。結局C社に行ってから30分経過した時点で、ようやく情報が見えるようになった。やはりここイタリアは他の国とは違うと実感した。情報のやり取りに関しても、他の国々では事前に双方向で出来ていたのでなんとも思わなかったが、ようやく違いが分かった。その場で軌道修正しながら日程を進めていったが、彼らはラテン系なので柔軟に対応してくれる。標準がないので、適当にやるのがイタリア風かと錯覚しそうだ。

 昨年の7月以来1年ぶりの訪問だったが、少し工場内を綺麗にしていたことが分かった。前回訪問した時には20人が入る会議室がなく倉庫で講義をしたが、今回は会議室も冷房付きで準備されていた。通訳のPさんは、私の早口に付いていけなく何度もストップを掛けた。しかしそれは想定内のことなので、都度話をゆっくりとギアチェンジして講義を再開する。通訳の訳が通じたかどうかは、聴いている皆さんの目を見て判断する。これは人種が違っても目を見れば大体理解できる。講義が終わって現場に出て現状把握を1時間観察するが、問題はイタリア人のおしゃべりなことだ。何度も2つのチームを巡回して、おしゃべりをしないか監視を続けたが、やる時にはやるもんだ。しゃべらないと真剣になり観察することが出来、当然結果も出てくるものだ。

店の名前は、

SANPEI(三平)」?

昼食時間も結構いい加減で、1時間といいながら1時間半になってしまう。昼食は幹部の人と会社の近くのレストランに行くことになった。店に入り一番奥に通されたが、そこには2m角の大きなパネルがあった。拡大写真のようであったが、子供が釣りをしている姿だった。どこかで見たようなもので、「釣りキチ三平」(矢口高雄の漫画作品)のようだったがまさかと思った。イタリアに来て「釣りキチ三平」の絵が、目の前で見られることはありえないことだった。何度も見てもやはりその三平の漫画だった。

ウエイターをしているその店のオーナーが、注文をとりに来た時に訊ねてみるとやはり「釣りキチ三平」だった。だから店の名前を、「SANPEI」としているという。このブレシアは海から遠く、釣りのできる綺麗な川もないのに、何故この漫画があるのか?なんでも、イタリアのどこかの新装開店した店が、短期間に物凄く繁盛し、その店の名前が「三平」だったという。それにあやかって、この店も新装開店した時に繁盛するようにとオーナーがこの名前を命名したという。お陰でこの店も繁盛しているというが、店名は重要である。逆に日本人の奥さんがイタリア人と結婚して、日本でレストランを開いた話がある。イタリア語で乾杯は、「チンチン」とか「サルーテ」というが、「チンチン」の方を名前にしたら、店はしばらくして閉店したという。デュッセルドルフには、「サルーテ」という店はまだ残っている。

好物の「海のもののパスタ(細い麺)」をトマト風味での仕上げで注文したが、メニューにはなくても材料があれば、適当にアレンジして作ってしまうのがイタリア料理だ。値段を確かめたこともないが、大抵は適切な値段でやってくれる。他の人はリゾットのようだったので、私一人に焼肉屋で出される紙製の使い捨て前掛けが用意される。出て来た四角の皿の大きさは、なんと横幅が50cmもあった。その中にムール貝、アサリ、海老、烏賊が一杯入っており、パスタも2人前くらいのてんこ盛りだった。それも値段は18ユーロほどであったが、とても食べきれる量ではなかった。このサービス精神というか、イタリア人の胃袋の大きさに脱帽だ。

隣の席では若い奥様方が数人で食事だったが、そこに運ばれるピザの大きさはなんと直径40cmはあろうかという巨大なものだった。それも一人前であり、それぞれの奥様はすべて平らげてしまった。(チェコでは32cmが標準サイズ)その食欲の原動力は、おしゃべりの凄まじさだ。食べる・喋る・笑うが入り乱れ、食べたものをすぐに消化してしまうのだろう。アンティパスタ(前菜)、パスタやリゾットにデザートやエキスプレッソなど、会話が弾み食後のコ―ヒーまでは1時間以上かってしまう。それでもなんとなく、昼からの開始時間に問題はないところがイタリアらしい。

議論好きには参った!

午後からは問題点のまとめと改善案の作成だ。問題点のまとめまでは順調に進んできたが、安心できたのはそこまでだった。改善案の検討に異常なまでの熱気が伝わってきたほど、議論が白熱するのであった。身振り手振りしかも室内は禁煙になっているが、ペットボトルを灰皿代わりにしスッパスッパと煙は吐きながら、まるで蒸気機関車のような迫力であった。こちらも声を掛けるような雰囲気でなく、まあやらしてみるかと思ったら、なんと1時間の予定が翌日まで持ち越して結局合計5時間の議論になっていた。しかし全員が指示したとおりメモを取りながらやっていたので、彼らの理解度は想像以上に良かった。ええ加減というか、いい加減というか不思議な国民だ。

あとで聴いたら、メンバー同士が初めて会話をする人もいたので、知り合うためにも色々と議論をしたといい、いいきっかけができたと非常に喜んでいた。100人に満たない小さな会社であるが、まだ話をしない人同士がいたのは少し驚きでもあった。このようなきっかけで交流が出来れば、個人や部門間、そして組織間の壁もなくなっていくはずだ。徹底的に議論をしたお陰もあり、改善は思ったよりも進んだ。毎日の終わりに開催する全員のフィードバック(感想、反省、気づいたこと、要望などを一人ずつ手描きのマイクで話してもらう)の反応は非常に良いものだった。雰囲気がよければ結果も出てくる。

一年で味の変わった

高級レストラン

社長から夕食のお誘いがあったので、喜んで招待を受けた。レストランは前回行った丘の中腹にあり、街が見下ろせる格好の場所だ。日中は32度にもなっていたが、夕方の8時なので陽の落ちようとする凪の時間で少し涼しくなっていた。外のテーブルに席が用意されていた。前菜には鹿肉のカルパッチョを頼んだが、酸味が強すぎて期待以下の味だった。隣の席のK部長は牛肉ミンチに香辛料や卵の黄身を混ぜたタルタルステーキだった。昨年も彼はそれを頼んだが、Kさんは一口試食してみないかと目配せしてくれたので、これ幸いと思い一口食べた。これも少し香辛料が肉より勝っていた感じだった。タタール民族の発明したタルタルステーキを焼き上げるとハンバーグになり、その発祥地はドイツのハンブルクに由来する。本来は馬肉を使う料理で、しかしその肉が硬く繊維が多いので、切り刻みさらに馬の鞍の間に入れて磨り潰して料理したという名残であった。食べ物から色々な文化を知ることが出来る。

メインはチャボの焼き鳥にした。間違った料理かと思うほど、まったく脂身がなかった。焼き過ぎたこともあり、身は硬くパサパサの肉になっていたが本当に不味かった。昨年折り紙を作ってくれたウエイトレスはどうしたと尋ねたら、ここのコック長と結婚し今月に赤ちゃんが出来て今育児中だという。社長らが頼んだリゾットもKさんが試食させてくれたが、まさかと思い二口頂いた。リゾットなのに酸っぱいヘンテコリンな味だった。彼らも途中にサジを投げ出していた。1年前とは大違いの味に成り下っていた。せっかく昨年良かった印象が、一気に変わってしまったのは残念だ。

ドイツの諺に多くのコックがいると不味い食事になるという諺があるが、イタリアもそうだろうか。コックが増えたのかそれとも結婚を機に舌が変わってしまったのか、とにかく不味い食事であった。これからはこの店には、もう来ることはないだろう。食べ物の恨みは恐ろしいことを思い知らしめてやろう。でもお客は高級そうな服装をまとい次々と訪れるが、味の分からない人たちなのか不思議だ。食事は不味かったが、今日の改善の取り組みに対して社長から非常に良い評価を受けたことは幸いであった。話が弾んできた時に、社長がM営業部長とは義兄弟と言い出した。Mさんの奥さんが、社長の奥さんのお姉さんだという。なるほどそれで、Mさんは一昨年からこの会社の営業部長をしていたのかと分かった。まだ二人とも30代で、上の子供も4歳と小さかった。

仕事の成果はやる気が肝心

翌日からの改善実施には最初戸惑いもあったが、自分で考えそして自分で行動する人間本来の喜びが少しずつ分かってきたようだ。次第に喜々とした顔に変わってきた。3日目のフィードバックを聴くと、皆さんのやる気がビンビンと伝わってきた。一番喜んだのは、1年間も掛かって社長に嘆願し続けてきたMさんだった。想像以上の成果が出たと評価してくれた。社長も大喜びをしてくれて、今年はあと2回訪問することになり、来年以降も継続が期待できる。その後の報告でも参加した人たちの熱気は継続しているようで、残った宿題も片付けているという。今までで彼らの喜々とした顔を見たことがなかったと正直に反応があったが、誰でもそのように楽しく仕事はしたいものだ。

多くの会社に見られることは、従業員を活用していないことである。単に物を作るという作業者としてか考えていないトップが実に多いことで、これは日本だけでなく欧州も一緒のことである。特に米国ではそれが非常に顕著だ。成果や効果を表現する方程式がある。例えば、「成果=考え方×やる気×能力×チームの人員数」がある。人の能力には余り差がないが、特に考え方ややる気は大きな差が出る。特にやる気にさせる秘訣を、コンサルは持っていなければならない。このヒントは、従業員一人ひとりにはまだ分かっていない潜在能力や才能があるという前提で接することである。それに気づかせて引き出すヒントを、タイミングよく出すのがコンサルだと思っている。従って目線をいつも彼らと一緒に合わせるようにしている。単なる労働者や作業者ではなく、知的な従業員に仕立て上げることが、変化対応力や競争力を身につけていくのだ。

今回宿泊したホテルは、昨年にも利用した同じホテルだった。昨年利用した2日間のインターネットと電話代がなんと8万円だったので、請求書が2ヶ月遅れで来た時には腰が抜けてしまった懐の痛い思い出があった。いくらドイツ国外の通信費が高いといっても、これは異常な金額だった。そのことをフロントに申し出て安くインターネットが使えないか相談をしたら、ロビーのビジネスコーナーに20分だけ無料で使えるコンセントがあるという。実際には私以外に使う人がいなかったので、毎日1時間接続させてもらった。知らないことは本当に恐ろしいことだと思った。まずは訊ねてみることだ。