海外こぼれ話 松田龍太郎(在デュッセルドルフ/ドイツ)

連載112    2010.10.

残暑厳しいが

欧州はまるで避暑地

7月末に帰国する3日間の南ドイツの朝は、気温が13度から15度と涼しいというより肌寒かったほどであった。しかし成田空港に到着した時には35度もあり、一気に汗が噴き出すほど暑かった。それから3週間というものは、ご存知のとおり連日35度前後の猛暑を通り越しての酷暑だったので、干からびてしまった感じであった。盆の後に再び欧州に戻ると、そこは天国か避暑地かと思うほど過ごしやすい気候になっていた。到着したフランクフルトは23度で、翌日からアパートのあるデュッセルドルフは20度前後の天気の良い日が続いている。

それから2週間は北ドイツや南ドイツを回ったが、朝には気温が1213度とキリリとするような温度であった。しかも湿度が非常に低いので蒸し暑さも感じることはなく、首に手ぬぐいを巻く必要もない。デュッセルドルフの緯度は51度であり、北海道の札幌の43度比べてもはるかに高緯度に位置していることがわかる。ちなみに鳥取や東京は35度である。

アパートの部屋は南北にベランダがあり、一面がガラス戸になっている。暑い時にはこの窓を開ければ、涼しい風を呼び込むことができる。特に南側は10mも窓ガラス一面になっていて、真夏には日差しが飛び込むかと思ったが細工が施してあった。前の住民が、幅6mの手動のテントをつけていたのだ。日差しが入り込もうとすると、コキコキと古く錆びた歯車をL字のハンドルで回転させながら太陽をさえぎることができる。取り扱いに苦労するが、遮光の機能はまだまだ十分に保っている。

挨拶の言葉は色々

ブレーメンの郊外にある訪問先は、北海が隣接して輸送に便利で、戦前は戦闘機のメッサーシュミットを製造していた場所だった。このために吹き付ける風は雨が降ると、とたんに夏でも寒く感じるほどだ。8月下旬というのに気温は12度に下がり、日中でも16度と、とても夏とは思えない。日本では連日35度を超えたニュースばかりだったが、こちらの寒さをタダであげたいくらいだった。

この地方の挨拶は、「Moin(モイン)」が多く使われる。この「Moin」は、朝の意味だが、実は昼でも夜でもこの言葉で挨拶をしている。夕方になってホテルの近くの「REWE」というスーパーに、ワインとつまみを買いに行った。レジでの挨拶が、「Moin」であったので、この人変だなと思ったが、誰もがこれで挨拶をしていたのでようやく納得できた。工場では夕方には「さよなら」の挨拶なので、この「Moin」を使うことがなかったため気づかなかった。日本の青森でも寒い?ので挨拶は非常に簡素になる。「く?」、「け!」とは、「飯を食ったか?」、「食った!」を簡略したものだ。「め?」、「め!」は、「美味い?」、「美味い!」のようであり、習慣化すると本当に簡素化するものらしい。

北ドイツは「Moin」で、少し南に行くと「MoinMoin」と2回いう。さらに南のつまりルール地方になると、標準の「Guten Morgen(グーテン・モルゲン)」になり、南ドイツではカトリックが多くなるので、「GruessGott(グルース・ゴット)」に変わる。この「GruessGott」は日中にも使われる。このために朝の挨拶は、日本語に統一して彼らに紹介することにしている。「OHAJO(オハヨー)!」を共通の挨拶にして、日中にも使うようにしている。

これが面白い効果を表す。色々な工場内で巡回している時に出会う人たちは、私を見て挨拶を「OHAJO!」といえば、ワークショップに参加した人とすぐにわかる。これを「目で見る管理」といわず、「耳で聞く管理」と称している。そして歯を見せて満面の笑顔で握手も交わす。「JO」は、「ジョー」ではなく「ヨー」と発音し、ハンガリーでも「JO」は良いとか素晴らしいという意味である。

笑顔の挨拶が商売になった

この挨拶が今年新規客先で、来年の契約をどうするかの評価に決定的な決め手になった。この客先は毎月通い始めており、世界に10工場以上も抱える大手の企業であった。これまでの活動の評価をする人がW部長であり、前任者が昇進されたので今回着任された。前任者のS部長は、私を呼ぼうとした張本人だったので安心していた。しかし世の中は甘くなかった。W部長は今回私と逢うのも初めてであり、十分に見極めるために3日間ワークショップのメンバーとともに改善活動に参加された。そのようなお試しの時はいつも自然体で対応することにしている。下手に愛想を作ってもそれが誤魔化したものであると、そのしっぺ返しは大きく返ってくるものだ。結局いつもの姿を見せてそれを評価してもらえればよく、ダメならダメでまた自分の波長に合った企業を探せばよいと開き直るくらいが良い。

2日目になると改善メンバーは実施することに夢中になるので、こちらから声を掛けることはほとんどなくなる。そこでW部長と一緒に今まで取り組んだ経緯や成果を、現地現物で見ながら紹介するために同伴してもらった。この工場でワークショップに参加した人が、全従業員の1割強の170人になっていた。入り口の近い所から案内をしていったが、至る所に今までのワークショップに参加した人やその職場の人たちから例の挨拶が次々あった。「オハヨー」の挨拶がお互いに飛び交い握手を交わす。中にはフォークリフトからわざわざ降りてきて挨拶する人もいた。しかも皆さんは笑顔一杯だ。それらを第三者のW部長も大いに感じ取ったようだ。

色々と案内していたが、その改善の成果よりも一般従業員との挨拶に興味を持たれたようだった。W部長曰く「今までに多くのコンサルに出会ったが、現場の従業員と気軽にしかも笑顔で挨拶のできるコンサルは初めて出会った」と何度も口にされた。3日目にはW部長と懇談の時間が取れた。改善した金額の成果と共にこのことをトップに投げ掛けるなどと、期待以上の効果があったことを聴かせてもらった。後日談、来年は今年以上の契約日数が内定したようだ。

信頼関係は

仕事に不可欠なもの

昨年は一昨年のリーマン・ショックで欧州も多くの企業が、経費を大幅に削減した。それが真っ先に影響するのは日本とまったく同じで、出張費、教育費、経費である。教育費の中にコンサル費用があり、キャンセルが多くあった。そこで営業活動を積極的に行った結果、今年は数社が新規に顧客になってもらった。すべて従来の客先からの口コミによるものであり、この業界はトップ同士の口コミ情報の影響と波及効果が絶大だと改めて感じた。それはトップとコンサルの信頼関係の強さそのものであるようだ。

コンサルである私は、機械や機器などのハードは売らないし、コンピュータソフトや書籍などのソフトも売らない。何を売っているかといえば、本人そのものである。つまり目に見えない考え方や思想などといった、いわばハートやヒューマンウエアといったものだ。見えないものには価値を付けるのは難しいので、その企業でやってきた活動の成果をトップが認めるものである。言い換えると自分自身そのものが商品になっている。考えてみれば恐しきことで、私がいなくなれば価値はまったくないということである。

そこでいくらかの活動の形跡を残したいというささやかな欲求が、このような文章に形を変えるのだろう。有難いことに月間5本の連載があり、原稿用紙に換算すると50枚に文章が相当するが、納期遅れもなく継続している。これも習慣化してくると別に汗をかくこともなく、しかも楽しくやることができている。原稿のネタ探しのためのアンテナを張ることが、いつでもどこでも無理なくできるようになった。少し要領も良くなった感じだ。この海外こぼれ話も当初は必死になって書いていたが、それが9年も積み重なっていくと確実に踏み石のようになっていることがわかる。

そのネタの秘密は、胸ポケットに入る小さなメモ帳である。これは一冊50円で2から3ヶ月も書き込め、効果金額を換算すると何万円の価値があるメモ帳になる。その時に気づいても覚えたつもりが後ろを振り返るともう忘れる年代になってきたので、すぐにメモを取ることにした。でもこれでかなり効果があった。鶏は三歩歩けば忘れてしまうというが、何がしかの道具が必要になった年になったということは確かだ。

F会社も今年から改善開始

そんな状況下で、今年で3回目の付き合いとなるWさんがいた。彼との出会いは6年前になる。そこでは製造部長として、2年半一緒に改善をしてきた。さらに彼は別な工場の工場長となって、再び1年ほど改善を共にした。さらに彼は別なF会社の取締役になり1年ほど現場の受入準備をして、今年からまた一緒に改善することになった。日本と違って欧米は、このように会社を替わる毎に、できる人材は次々と昇進ができる環境が整っている。彼は元旋盤工であったが、夜間の大学に行った人だ。6年前の会社の社長に、ビシビシと徹底的に鍛えられたのが良かったといっていた。その出会いからずっと続いており、彼は私のことを「センセイ」と呼ぶがちょっと気恥ずかしい面もある。

一年も経たないのに、至る所で大きな成果が出始めているのは、Wさんの今までの体験が大きく影響していることが感じ取られる。3ヶ月前に彼自身が探してきたというH製造部長は、非常に前向きで行動力もある人だ。口癖は、「素晴らしい、非常によい」と笑顔と一緒に語りかける。部下も自然とウキウキしてくるはずだ。今までに改善してきたノウハウを植えつけるために、この2人がトラクターのように荒地をガンガンと耕しているのがわかる。成果も確実に出るようになり、従業員も考え方や行動が変わりつつある。私の講義は、毎回2時間ずつ幹部全員とワークショップの参加者が聴く。硬い頭も何度も聞くと次第に軟化してくるものだ。次第に理解し納得するようになってきつつあるが、その成果も見えるようになってきた。結果が出ると嬉しくなるのは、頭の固い人も同じである。

良い店と悪い店

このF社からも早々に来年の契約日数を多く頂いたが、これも信頼関係の賜物である。今回もこの地方にある5つ星のホテルのレストランで、楽しく食事した。このレストランには「SASHIMI」というメニューがあったが、刺身であった。魚はマグロであり、醤油やわさび、箸、刺身のツマまでついていた。このホテルは有名人や要人が数多く宿泊したり、食事に来たりするので味は本当に確かに良い。ハンブルクの郊外にあるが、実はドイツで一番お金を持っているのが、この地方の人らしい。港がありその貿易で儲けて、お金持ちが郊外に引っ越して来ている。

ところがそんな良いレストランばかりではないのが世の中だ。宿泊しているホテルはそこから車で10 分ほど離れているが、その隣にある2軒のレストランにも出かけた。いつも行っているイタリアの店は、従業員とも顔馴染みになっている。今回もアンティパスタ(前菜)と海のもののパスタを頼んだ。この前菜の中にハエが鎮座していて、十分にオイルに漬かっていた。原型そのものだ。ウエイターを呼んで、どんな反応をするかイタリア人独特のユーモアを期待していた。「今日の料理は、格別な味だ。その調味料は、このハエか?」と投げ掛けた。しかし、彼は「本当で最初から入っていたのか、今入ったのか、どの野菜に入っていたのか」と訊ねるだけだった。そして「コックに伝えます」と厨房に消えてしまった。しかも通訳の頼んだ野菜スープは塩辛いもので、3口ほど味を確認しただけでさじを投げた。ユーモアがなく味も悪かったので、チップは払わないと宣言した。当分の間この店には来ないことにした。どうもコックが変わった感じだ。パスタの具も海老から鮭に変わっていたが、経費削減か。

翌日はその隣のドイツレストランに入った。店の構えは素晴らしくビスマルクの庭園のすぐそばにあり、レストランの名前もビスマルク・ミューレになっている。人が多く入っており、米語も聞こえてきたので接待も入っているようだ。今日のお勧めである鴨の丸焼きのコース料理にして、奮発して赤ワインも頼んだ。ワインはよろしい!料理に期待できそうと思った。出てきた丸焼きの鴨は、飴色の焼き具合になって美味そうだ。皿にとってナイフを入れると、脂身がない、探してもない、まだ食べていないのに脂身がない!どういうこっちゃ!!怒りが爆発する。昨日はハエが入っていて、今日は肝心の脂がない干からびた鴨か?どうもお勧めといって予め焼いていたようで、予想に反して客は頼まず、そのままになって脂が完全に落ちてしまった不良品だった。

これまたウレイトレスを呼び出し指摘した。彼女も認めた。お詫びにコーヒーサービスをしますというが、問題が違うのだ。無料にして欲しいくらいだった。ここもチップなし!と宣言して、もうこの店には来ないことも宣言して帰ったが、災難続きだった。何の食い物の恨みだろうか、何故かと疑問が続いた。

チェコの音楽事情について

いつものチェコの通訳は、うら若き女性のVさんだ。今回は妊婦さんになっていたので、もうしばらくしたら産休に入るのでしばらくは通訳ができないという。プラハ市内の大学にも通っていて、この前までは針治療を数年間勉強し中国に実習に行っていたという。今は妊婦さんになったが、ヨガの勉強もしているという勉強家だ。日本には岐阜大学に留学して和食を下宿先のお母さんに教えてもらったといい、和食のファンになり毎日だんな様と和食を食べているという。その彼女がダンスをすることは知っていたが、なんと合唱団にも数年間入っていたというので、音楽事情を紹介してもらうことにした。

質問票 

@プラハの人口はどれくらいですか、クラシック聴衆人口の割合はどれくらいでしょうか?→プラハの人口は約100万人です。割合がわかりません。

Aオペラハウスのような音楽施設はどのようなものがありますか、そして、それらの収容人員はいくらくらいですか?→オペラハウスのような施設はいっぱいあります。国民劇場、国立オペラハウス、貴族劇場、芸能人の家、市民会館、聖ニコラス教会などです。国民劇場は歴史が一番長くて有名な劇場で収容人員は986人です。市民会館で春と秋の音楽祭などが開催されます。収容人員の1200人のスメタナホールなど、有名人の名前で名付けられるコンサートホールがあり、コンサートはほとんど毎日です。国民劇場でもほとんど毎日オペラまたはバレエなどの演劇が行われています。

Bその料金の代表的な金額はどれくらいでしょうか?→オペラの料金は50コロナから1000コロナ(約3270円)までです。

Cその演奏会の運営は業者でしょうか、どのような人がやっていますか、ボランティア?市役所の職員?施設の係員? →場所によります。劇場と教会であればプロの歌手、音楽家が演奏を行いますが、芸能人の家などでは素人の合唱団のコンサートもあります。

D地元のオーケストラはありますか、指揮者は地元の人ですか→チェコフィルです。最初のコンサートは1896年に行われ、指揮者は作曲家のDVORAK様でした。2009年からの指揮者は、外国人のEliahu Inbal様です。

E一流といわれる演奏家はどれくらいの頻度で演奏されますか?→チェコで演奏するより外国で演奏する演奏家が多いです。もし演奏するとしたら年に一回、二回ぐらいです。

F自主的な演奏会の運営費用はどうされていますか、赤字ですか黒字の運営ですか、赤字の場合はどうされていますか?→プロの演奏会の情報がわかりませんが、CKDという素人の合唱団で歌った時はマネージャーが上手でしたので、黒字になり、頻繁に日本、カナダ、アメリカなどで演奏が行われました。

G地元演奏会ができる演奏家はどのような人がいますか、ソプラノ歌手は?→色々です。女性のオペラ歌手はメゾソプラノが多く、PECKOVA DAGMARKOZENA MAGDALENAwww.kozena.cz)などです。H合唱団はいくらくらい存在しますか、彼らの演奏会は大体どれくらいの頻度で演奏会がありますか?→素人の合唱団の数は数えられないぐらいです。プロの合唱団は国民劇場、 国立オペラハウスなどで頻繁にコンサートをやります。

I学校教育でどれくらい音楽はありますか、主にクラシックですか?→学校教育には毎週音楽のクラスがあり、それから趣味としてピアノ、ギター、歌を習いに行く子供が多いです。女の子さんが誕生して、名前はソフィア(智恵)ちゃんといいます。