海外こぼれ話 115                 2010.12

 

90Km走行の

タクシーはどこへ?

2ヶ月ごとに通い始めたハンブルク郊外の工場に訪問するには、いつも決まったハロータクシーという会社に頼んでいる。契約すると安くなることはもちろんだが、顔馴染みになることと都度支払いをしなくても良いメリットがある。ハングルク空港からホテルまでは40分の距離である。以前に紹介した90Km走行したベンツのバンタイプのタクシーが送迎に来るかと思ったら、乗用車タイプのベンツでしかも新車になっていた。おまけにいつも70歳を超えたおじいさんではなく、今回は30代の青年がドライバーだった。その青年に、あのベンツはどうしたかと尋ねたら、中古車として売ってしまったというのだ。90Kmも走ってからでも売れるのかとさらに問いただすと、南米やアフリカにはまだ十分に価値があるという。

特に古いといわれる10年以上前のベンツ、そのディーゼルエンジンは、故障が少なく凄く耐久性があるという。しかも現地人でも何とか修理できるところに人気が根強いという。最近の丸いベッドライトのベンツは、電子化されてしまい現地での修理が難しいと不評だそうだ。古くなった車の修理はガムテープが主流の工具であり、これは事実だと自慢げに話をしてくれた。考えてみれば見てくればかり考えている私たちは、溶接をしてきれいに塗装を吹き付けることが当たり前になっている。しかし新興国では車は機能だけを追及し、とにかく走ればよいのだという考えに徹していることに感心してしまった。またドイツ車の耐久性にも脱帽せざるを得ない。

ついでにお話すると車の鉄板が錆ないように分厚い亜鉛めっきを最初に施したのは、あのポルシェだった。それ以来ドイツ車がほとんど錆びないのは、その亜鉛めっきのお陰である。人間が年をとっても錆びないようにするめっきは何であろうか?それは、ユーモアセンスではないか。すぐにはがれるめっきというものではなく、母体に少し付け加えることで、さらに良くなるというものは何か、ということも考える時間を持ちたいものだ。

私は教祖か?

ハンブルク郊外にある工場は、当初の一年で素晴らしい改善効果を出すことができた。短期に成果が出たのは訳がある。それは工場長が私の教え子であり、しかも熱烈な信者であるためだ。新しい生産方式には疑いがなく素直に行動してくれるので、部下もかなり早い時点で積極的になり、結果がすぐに出るようになる。工場長のWさんはもう6年の付き合いで、この工場が3つ目になるが、工場を変わるたびに出世を繰り返している。彼は元旋盤工であったが、勉強し直して出世を繰り返している。このような人たちを何人も知っている。この制度はドイツ特有のものであるが、実にうらやましい限りだ。

コンサルタントもある意味では同じかもしれない。学力や資格は余り関係なく、名刺にも大卒とか高卒とも書く必要もない。必要なのはキャラクターと人気である。この人気の中に素養や知識も含まれるが、最も重要なのはキャラクターだと思うようになった。よく見渡すとコンサルタントは、会社人間としては務まらないくらい個性の強い人が圧倒的に多い。例外なく私は変人奇人の分類に入ってしまうだろう。先日ハンガリーからセミナーを行うためのパンフレットが届いて驚いたので紹介しよう。そこにはこんなことが記述されていた。

「2010年最後のセミナーは、ちょっと変わっています。そのユニークさは、自動車業界だけではなく、トヨタ方式や改善に興味を持っているすべての関心者が心待ちにしている松田龍太郎《日本からの改善グル(教祖)》によるものです。松田氏は、ごくわずかな人しか成功しない日常生活からの事情を盛り込んだ、彼の特別で楽しい、ユーモアと威厳のあるレクチャー方式に到達しました。トヨタ方式と改善の哲学を『聴衆と同じ目線』に下げて、参加者に安心感を与えてくれます。氏のレクチャーの特別な体験は、私たちの人生に最後まで寄り添ってくれるでしょう。」というもので、ずい分とお尻がかゆくなったが、気分は爽快であった。《グル》という言葉で、一瞬サリン事件を思い出した。でもこの効果的な案内文で、セミナーは30人の募集予定が67人も参加することになってしまい、事務局はてんてこ舞いだった。

今度はワインを降りかけられた!

さてこの工場の今年の改善成果が良かったようで、彼らから食事の招待があり、有難くそして快く承知した。いつもの5つ星ホテルのレストランが、ホテルから車で10分のところにある。今回彼らは4人も参加することになり、通訳を入れて6人になった。予約の席は丸いテーブルであったが、狭苦しかったので広いテーブルに席替えをすることになった。今日のウエイターは初老の男性だった。店は時間が早い割には混んでいたので、そのウエイターはセカセカと焦っているようであった。ワインを選ぶのは招待する側であるが、Wさんは私がワイン好きということを十分にご存知であるので、私がいつも選択するようになっている。

今回はスペインワインを選び試飲もした。香りは濃厚でフルーティー、味もしっかりと重みもあるが喉越しはサラリとしているワインだ。6人で分けるので、すぐに2本目に取り掛かる。その時は同じワインでも、別のグラスに注いで香りや味を確認する。グラスにコルクの小片が混じっていたのを、見逃さなかった私は、その指摘をウエイターにした。彼は少し慌てた様子で地下室に戻り、新しいボトルを持ってきた。今度はグラスに注ぐまでは良かったが、入れた後に、そのボトルを上に勢いよく振り上げた。ボトルの先からは花火のような大輪円を描くようにワインが飛び出した。当然テーブルだけではなく、私にも降りかかってきた。一番のお気に入りだった茶のストライプの入ったワイシャツにも降りかかった。さらに膝元のナプキンもびしょ濡れだ。彼は慌ててナプキンを数枚持ってきたが、時は既に遅くしっかりとワイシャツはワインを飲み込んでしまっていた。まっすぐなストライプが、曲がって見えたのは気のせいか。

すかさず「美味しいワインは人だけでなく、テーブルもワイシャツも飲まなければならないのだ」とユーモアで介したので皆さんは笑っていたが、彼は緊張しまくっていた。ウエイターは謝罪の言葉を数回いっただけで、クリーニング代とかの話はまったくなかった。2本目のワインを飲むのに3本も要してしまった。当然この費用は店持ちであるが、もったいないなあ。多分彼らがこっそり地下室で飲むだろう。学生時代にスイカ出しのアルバイトを夏休みに毎年やっていたが、毎日美味しそうなスイカをわざと割って、食べたことを思い出した。毎日数千個のスイカを見ていたら、美味しいスイカが外観を見ただけでわかるようになったほどだ。

後で通訳に尋ねたら、こんな事件があってもドイツではクリーニング代は出さないという。そういえば飛行機で頭から水をかけられた時も「ごめんなさい」を8回いっただけで、客室乗務員は知らん顔をしていた。他の人に尋ねたら、それは「ドイツにようこそ!」という挨拶なので諦めろという。つまりドイツは「サービス砂漠」であり、サービスを求める方が悪いという。それならチップを要求するなと、逆に声を大にしていいたいくらいだ。さらにハンガリーではリゾートで料理の注文を選んでいると、ウエイトレスが「あんた早くしなさいよ」と逆に文句をいわれて唖然としたことも聞いた。リゾートはゆっくりするところなのに、「早くしないよ」と客に文句をいうのは考えられない。ちなみにJALでは、非常に丁寧な謝罪とお詫びの言葉、クリーニング代、時には手紙まで頂くこともあるが、ドイツにサービスを輸出してはどうかと思うほどだ。

4つの新しい工場に訪問

11月は非常に多忙を極めた。それは今月に新規のお客様が2社で、しかも工場が各2つ、合計4つが一気に重なったからである。知らないところに訪問するには、鈍感な私でもかなりの神経を費やす。考えられるあらゆることを想定しなければならないので、頭はフル回転になる。日本でも同じかもしれないが、同じ会社でも工場が違うとまったく違う性格を持っているかのように扱いが違うのであり、こんな私でも繊細な神経を使うのである。工場を訪問したとたんに、その工場の雰囲気を肌で感じ取ることができる。これは長年の体験から来る直感だろう。いつも通り工場の結果は、すべて床に現れるという信念から床を見ていく。

ゴミが落ちていないか、汚れはないか、線引きがしてあるか、汚れはないか、線からはみ出しはないか、そして吸殻が落ちていないかも見る。アッと驚かれるかもしれないが、欧州の現場はまだ吸殻がたくさん落ちているのが現状である。しかも咥えタバコも当たり前で、中には溶接する時の保護仮面にタバコが通せる穴をわざわざ開けていたヤカラもいた。欧州はタバコが高価で500円くらいするが、喫煙マンはそんなコストはどうでもよくて高くても吸うのだ。以前「スモーキング・ブギ」という歌があったが、まさにその通りの情景であり、洗濯する時にいつもタバコの臭いが染み付いている。水も滴るいい男ならぬ、他人のタバコの臭いがする変なおっさんのようだ。

さらに人の動きも観察しながら工場視察をする。それは右脳をフルに活用する。言語データを司る左脳はその記憶容量は非常に少なく、その値を仮に1とすると、右脳は映像や感覚で覚えるので記憶容量が莫大に大きい。その値は脳学者がいうには、なんと百万倍以上という。それなら右脳を積極的に使うに越したことはなく、訓練するとさらに脳は活性化する。もう還暦に近くなっているが、その勢いは止まらない。ただ、人のいうことにはまったく関心を持たなくなってきている点は、確実に老化現象が現れているようだ。

それでも顧客へのサービス精神は、他のコンサルタントには負けはしない自負がある。でも自信過剰ではなく謙虚にならないと、すぐに動作や言葉に出てしまい即座に顧客は感じ取ってしまう。これには国境はなく、いつも感謝の気持ちを持つことが肝心である。工場診断のプレゼンを行った結果はまだ不明だが、いずれも反応は非常によかったので、各工場からの良い返事を待ちたい。

スイスの小さな村のクリスマス・マーケット

12月のクリスマスの4週間前から、クリスマス・マーケットが各都市や町村で行われる。これを、何もない欧州の冬の行事にしたのは、ドイツのニュールンベルグ市であった。商魂逞しい人はどこでもいるものだ。デュッセルドルフでは最近はフライング気味で、6週間前からクリスマスの商品を店に出すようになってきた。デュッセルドルフの方が商魂逞しくなったかもしれない。店頭に並ぶのは主にチョコが主体で、少しの飾りでも並び出すと客もウキウキして財布の紐もゆるくなるようだ。チョコが苦手な私は、もっぱら買う方に徹して、家内や友人への土産にと、小まめに買い込んでいる完全な左党(砂糖は大嫌いである)である。

今回は南ドイツの工場に毎月訪問することになったので、その改善担当者のKさんがスイスの小さな村を案内してくれることになった。工場から国境を通って30分のところに、Stein am  Rein(ラインの石)という村に行った。この村はライン川の源流があり、その名前がついたのだろう。気温は既に0度で風が吹いているので体感温度はマイナス5度に感じる。駐車場から歩いて30秒のところの石門をくぐると、そこはメルヘンの世界だ。デュッセルドルフのクリスマス・マーケットは数百軒の露店がひしめき合っているが、そこは市庁舎というより村役場が相応しい場所で、その前にたった7軒の小屋があるだけだった。

訪れていた人たちは、午後6時ごろで総勢30名くらいと、むしろ寂しいくらいだった。しかしそれがよい雰囲気になっていた。ビックリしたのはショーウインドーのデコレーションであった。ドイツは日本より上手だなあと思っていたが、このスイスの田舎の方がさらに素敵であった。スイス独特の小さなスペースに綺麗にしかも精密に仕舞い込むのは、機械式時計でお手の物だ。まるで箱庭のようにショーウインドーも飾りつけられていたが、これがスイスの伝統なのだろう。人が少なかったこともあり、ゆっくりと観賞もでき、写真にもたくさん収めることができた。古い村であり、家の壁には色々な絵が描かれていたが、それだけでも見る価値は十分にあった。来年も毎月訪問するので、夏には明るい陽の光で見てみたいものだ。

名物の牛と豚との合体ソーセージ

ドイツのソーセージは、ビールと同じで厳格に材料が決められているらしい。ソーセージの原料の肉は、豚肉に決まっていて定説でもあるようだ。日本のビールは、ドイツではビールといわない。なぜならば、小麦の代用としてコンスターチなどが含まれると即刻雑酒扱いになるためだ。しかし厳格なスイスといえども、臨機応変な意外な一面もあった。ソーセージの形をしていれば、ソーセージなのだというかなりええ加減なところも持っている国だ。なんと豚肉に牛肉も混ぜて、これがスイス独特のソーセージだと主張するのだ。私は自分でも本格的にソーセージを何度も作ったことがあるので、やはり軍配はドイツに揚げたい。食べてみると牛肉が、ソーセージとしての味を邪魔している感じがあった。やはり豚に牛を混ぜ込むのは、邪道であった感じがした。スイスは山の斜面を利用して放牧が成り立っているので、豚舎のような建物を建造する土地の余裕がないと思う。だから牛肉がかなり生産でき、有り余った肉は加工する時にソーセージを思いつくのだろう。ソーセージの隠された秘密は、豚の脂だろう。その脂が旨味を出しているので、脂が少ない牛肉はやはり残念なことだ。しかしそれだけではなく、熱々のソーセージにスイス独特の濃い味のチーズを乗せる。それは辞典のような四角いチーズをヒーターで熱くして、表面を溶かして、ナイフですくい取り、数ミリに輪切りにしたソーセージにたっぷりと幾重にも乗せて完成品になる。

ソーセージだけで食べるわけにはいかない。茶碗には箸、ご飯には味噌汁、パンにはバター、ナイフにはフォーク、ソーセージにはビールといきたいものだが、今は冬そしてクリスマスだ。その相手は、グリューワインである。寒いので赤ワインにシナモンなどの香料や色々な添加物を混ぜ、それを熱くして飲む。3杯飲めば、確実に二日酔いにいざなってくれる悪魔の代物だ。だから我慢して一杯だけを飲む。

フーフーやりながら、チーズがたっぷり乗ったソーセージを食べる。食べている間にも寒風によって、チーズが見る見る硬くなってきた。フーフーと冷ます必要はすぐに不要となる。慌てて口に運ぶが、少し塩味が効いており、これがまた美味く感じるのは寒さのお陰か。ここはドイツとの国境の村であり、スイスフランとユーロの金額が併記されている。日本円にしたら、400円くらいだ。チューリッヒ空港のハンバーガーは、1個が日本円で1000円もする高価なメニュー(だから名前をキングにしているのか、味の方をキングにして欲しいくらいだ)に比べると相当安く、しかも独特の味がある。

海外こぼれ話のネタ

年末の挨拶は、ドイツでは「メリークリスマス、楽しいクリスマスをお過ごしください」である。「良い年をお迎えください」は、滅多に登場しないのは宗教上の違いである。カレンダーが月曜日から始まり、日曜日には休日の日なので店は閉店であり、この点も日本とは違う。このような習慣の違いは、さりげないところに発生するが、それこそが海外こぼれ話のネタになっていく。

毎月日本と欧州を往復していることにも慣れてきたが、慣れないのは日本に帰国してからの時差ぼけである。このまどろみのような感覚が、見えかなったモノを見えるようにしてくれる原動力になっているかもしれない。この夢心地的感覚が、つまりユルキャラが提供してくれるようなフワフワした状態に置かれることで、見えてくるのかもしれない。このような貴重な体験があるからこそ、ネタの尽きない「こぼれ話」が出てくるようだ。ネタを溜めて置くのは、手に収まる小型の手帳である。いつも3色ボールペンとセットにして携帯している。携帯電話よりも価値があると思っている。しかもえがきやすく安い。さらにB5サイズのノートにも、感じたこと綴っていく。ちょっとしたヒントは、日々刻々気づくことだ。