海外こぼれ話 124  2011.9  松田龍太郎

 

ドイツのナンバープレートの付け方

 

 ドイツの南西に位置するジンゲン市は、数万人の小さな街である。(昨年末の倉吉勤労青少年ホームでの写真展でも、「ジンゲンの空」で紹介したこともある場所だ。)その証拠に車のナンバープレートが、「SI」ではなく「KN」になっている。その訳は、ドイツのナンバープレートの付け方にあり、所轄する街の頭文字を付けることになっている。大きな都市からアルファベットの1つの文字を付ける。例えば、デュッセルドルフだと「D AB 1234」となる。Aはアウグスブルク、Bはベルリンなどである。十万人以下の都市だと、コンスタンツは「KN AB 1234」となる。もっと小さな2万人以下の田舎町だと、コースフィルドは「COE AB 1234」となる。つまりジンゲン「Singen」は、25km離れたコンスタンツ市の所轄になっていることがわかる。ナンバープレートの付け方がわかるとどの街から来たのかがすぐにわかる。

例外はどこでもあるもので、レンタカーの場合はレンタカー会社の本社が所在している都市のナンバープレートを使うのが習慣になっていて、一括して車を購入して登録し全国にばらまくのである。日本のレンタカーの見分け方は、4桁の数字の前にあるひらがなに「わ」が付いているので、どの都道府県でもすぐに判別ができる。ちなみに乗用車は「さ」行から始まり「ら」行まで使われるが、「し」と「へ」はその性格上(多分、「死」と「屁」)排除されている。最近の若い人の車に、ドイツのナンバープレート(横長で日本のナンバープレートから少しはみ出ている)を付けているのを見かけることがある。

 

田舎町にも大企業が3つもある

 

ジンゲン市内には世界的に有名な企業が3社もあり、しかもいずれの工場も3直で24時間操業している。その一つは調味料の「マギー」社であり、「マギーブイヨン」でお馴染みの会社で、現在はスイスのネッスル社の子会社になっている。その工場の前を通り訪問先のG社に出向く途中、マギー社の創業者が最初に調味料を生産した小さな小屋が、そのまま博物館として残されているのが道路から見える。今では2000人くらいが働いている大企業である。風向きによっては、例の醤油のような臭いが流れてくる。これをG社では、「マギーの臭い」がするといっている。

さらに本社がアメリカにある「アルコア」社は、アルミニウムを生産する工場で、この町では何と3500人も働いている。もう一つがコンサルとして一昨年から毎月のように訪問しているG社で、鋳鉄で車の部品を製造しており、この工場は1000人以上が働いている。多くの人たちが地元で働くことができるので、代々家族で勤務している人が非常に多い。倉吉の人口はほぼ同じ数万人であるが、大きな工場が見当たらないのは非常に残念である。改めて企業は生き物であり、生き続けることが使命だと感じたが、これらの企業の肝は“技術力”と“製品力”だと思う。

 

改善チームのボスは女性

 

 G社の改善担当のLさん(勤続30年のベテラン)とHさん(勤続15年)からコンスタンツ市で夏にワイン祭りがあり、招待したいと申し出があったので即OKの返事をした。親睦を図るためには飲みニュケーションが最も手っ取り早い。彼らに加えて、今年からこの改善チームのボスになったSさんも一緒に来ることなった。このSさんは、36歳の女性で昨年初めての子供さんができて、1週間のうち3日間勤務する変則形態を取っている。以前は人事部にいた人で会社のトップだけではなく、組合との人間関係も非常に良いという、K人事部長からの推薦の人であった。

彼女を改善チームのボスにとの推薦があった時に、現場にはほとんど出ていない人だったので、最初は非常に疑問だった。でも3ヶ月も経つと優秀な人であることがわかってきたので、期待もできるようになった。彼女は人とのコミュニケーションの取り方が非常に良いので、積極的に現場に出て人を巻き込んで問題を共有化することが上手だ。彼女のヘルメット姿も様になってきた。ドイツをはじめ欧州では、このように優秀であれば男女の差別はほとんどない。それに大卒であると入社した時から、その人はマネジャーになるのが当たり前という習慣もあり、日本のように気持ちの上での抵抗は余りないようだ。

彼女の出身地は何とコンスタンツ市だという。現在は結婚してスイスのチューリッヒに住んでいて、通勤は1時間掛けて鉄道や車を使っているという。日本の感覚では、隣の国から通勤しているなんて考えられないが、狭い欧州は陸続きなので、このような現象が多くある。スイスも失業率が1%以下と非常に景気が良いので、隣国のドイツやフランスから通勤者が多い。しかしスイスも日本の円高と一緒でスイスフランが多く買われて、ユーロとはこの半年で大幅に極端なスイスフラン高になっており、スイスは不景気になっている。欧州といってもユーロに加盟していない国もあるので、一国だけでなく全体を見渡すことが必要である。

 

広場には露店の匂いがする

 

2日目の訪問日の夕方にホテルを出発して、7月末から4日間開催されるコンスタンツ市のワイン祭りには30分車を走らせばよい。Hさんが所有する自慢のBMWのアルピナ仕様(車をチューンアップする専門会社のもので、値段は3から5割も高くなる。ドイツ人は本当に車にお金をかける人種だ)で行くことになった。このコンスタンツ市は、スイスと隣接している大きな湖のボーデン湖沿いにある約2000年も前から存在する古い街だ。古代ローマ帝国から続いている歴史があるようだ。そのためにワインが好んで飲まれるのだろうが、古代ローマ人の歴史の置き土産のようだ。しかも大きな戦争に巻き込まれなかったので、中世の頃の建物も多く残っており、散歩をしても眼の保養にも良い。目的のワイン祭りの広場は、教会と市庁舎の前にあり、遠くの駐車場から歩いていくことになった。

広場は一面にテントが張られて、既に多くの人がワインを飲んでいた。ざっと見て3000人以上の人がここに集まっているようだ。テントの外側を囲むように、多くの露店がきちんと整列して商売をしている。聞くと日本と同じように的屋の縄張りがあるようで、いつも同じ場所で店を開くというが何とも律儀な国民である。広場の入り口近くからいい匂いが漂っていたが、それは焼きアーモンド菓子の匂いであった。店から200m先からでも匂う代物だ。日本でいうなら焼きイカや焼きそばのような感じで、その匂いを嗅ぐと縁日の匂いを連想する。この菓子はお祭りになるといつも出てくる露店であり、定番中の定番といったものである。これに加えてソーセージがあるが、今回は見られなかった。ソーセージはやはりビールに合うようだ。

するとその店のオヤジにLさんが、話しかけて握手をするのでビックリした。Lさんに訊ねると、その人はG社で一緒に働いていた同僚で、そのオヤジのお兄さんは、今でもG社の鋳造部門で働いているという。この的屋の商売はドイツでは非常に儲かるようで、半年ほど働くと後の半年は遊んでも暮らせるという。ただ全国を移動して商売の時は立ちっぱなし、暑い時も寒い時もエアコンはないのが欠点だといっていた。どの商売も実際には辛いようであり、傍から見ると隣の芝はいつも青く見えるものだ。

 

退職したサビーネさんに出会う

 

Sさんは、チューリッヒから直接来るというので、携帯で連絡を取り合って待ち合わせ場所を設定していた。Sさんが現れたが、彼女は20年ぶりにこの生まれた街に来たという。大学生になってからは一度も訪れていないというが、電話でもすぐわかったようだ。この祭りの名物はワインだけではなく、ピザのようなフラムクーヘンがこれまたいい匂いであり、空腹の虫を奮い立たせていた。

フラムはそぼろ状という意味で、クーヘンはお菓子とかケーキの意味である。この菓子はフランスのアルザス地方で、何度も食べたピザであった。クーヘンとは、鉄板に生地を流して平らにして焼いたものを長方形に切り分けたものだ。ドイツではさらにトルテという菓子がある。これは円形のケーキを放射状にして三角形にしたものをいうが、日本ではこのトルテをケーキと呼んでいるようだ。トッピングは2種類だが、両手大の大きさで(小)が2.7ユーロ(約300円)、2倍ある大が4ユーロだ。その大きさにカットするのは、何と韓国式のハサミを使っていたが驚いた。そして紙のトレーに乗せてそのまま頬張る。ちょうど良い塩加減であり、空腹時のお助けになった。

皆で食べていたら、Sさんの元同僚で人事開発課長だったサビーネさんが、別な方から4人の友人を連れてやってきた。サビーネさんは、このコンスタンツからG社に通っていたことを知っていたが、まさかこの祭りで出会うとは思ってもみなかった。

実は彼女は2ヶ月前に退職したばかりであり、お別れの挨拶もしていなく一緒の写真も撮っていなかった。30歳くらいでドイツ人にしては化粧品を多く使っているようだが、非常に笑顔の可愛い人であった。ワークショップにも参加してくれて積極的な人だったので、改善チームのボスの候補に考えていたが退職するとは思っても見なかったので非常に残念だった。彼女が勤めていた時にはツーショットの写真が撮れなかったので、今回記念撮影をした。彼女の住んでいる街がこのコンスタンツなので、会えるかなと思っていたが思いは叶うもののようだ。

 

行き着けのワイン屋を探す

 

食べてばかりいてもせっかくのワイン祭りなので、Sさんが一番気に入っていたというワインの店に案内してくれることになった。20年ぶりでも探せることから、ドイツの保守的な民族性が顕著に理解できる。店はいつまで経っても一向にその位置を変えないというところが、いかにもドイツらしい。大きなテントの周囲をほぼ一周して探し当てたが、今までと同じ場所だったという。その周囲は大きなテントの影になっていて、見えなかった方にも別なテントが張り詰められていた。探し当てた店のお勧めの白ワインを、ワイングラスに注いてもらい乾杯をした。

グラス1杯が2.5ユーロで、そのグラスは買取りになる。毎年そのワイングラスのデザインは変わるので、記念にはなるが余りいいグラスではないことがすぐにわかった。周囲を見渡すと多くの人はグラスで買うのではなく、ボトルでワインを買っている。良く見るとテーブルには、何本ものボトルがビル群のように立ち並んでいる。彼らは何時間もワインを友にして、知人と話しをするのだ。良く飲むドイツ人のお腹も凄いが、なかなかトイレに行かない膀胱の容量にもいつも感心させられる。

この地方はフランスのアルザス地方に近いので、白ワインだけではなくロゼや赤も収穫できる。実際に白、ロゼ、赤の3色のワインが次々と店の冷蔵庫から取り出されていく。クリスマスマーケットの時に売り出されるグリューワインのグラスは、店に戻すと1ユーロ返却してくれるが、この祭りのグラスはお金の返却がないようであり仕組みが違うようだ。

 

本当に良く飲むドイツの人たち

 

ワインを飲みながら世間話をしていたら、空の雲行きが悪くなってきて、雷まで鳴り出し空は一面に真っ黒になってきた。テントにある座るところはまったくないので、仕方なくハンバーガーの店先に陣を取ったら、とたんに雨が降り出した。テントの前のステージでは生バンドがビートルズの曲を演奏しているが、人は雨をしのぐ場所探しで、てんやわんやの大騒ぎになってきた。

テントに陣取った人たちは勝ち誇ったように、雨が降っても槍が降ってもそれでも我関せずといった感じでワインを飲み続けている。ハンバーガーの店はアメリカの国旗でデコレーションされており、売り子のお姉さんもアメリカを真似てかかなりの巨漢であった。

ハンバーガーの由来は、ドイツのハンブルクである。ハンバーグの起源は、ドイツのハングルクで労働者向けの食事として流行したタルタルステーキとされている。タルタルステーキは、13世紀頃にヨーロッパに攻め込んだタタール料理を原型としているようだ。モンゴル地域に住んでいた遊牧民族のタタール人は筋の多かった硬い馬肉を細かく刻むことで、食べやすいものに調理していたが、生活の知恵はいつも食事に登場してくれる。それは今日のアメリカの食事の特徴を象徴するものになった。ポパイの漫画に出てくるウィンピーが、いつも手に持っていたのがそのハンバーガーだ。

さらに雨脚がかなり強くなってきて、その店で雨宿りするにはやはりハンバーガーを買わなければならない雰囲気だったので、Lさんが気を利かして皆さんで食べようと提案した。店の方も雨のせいで売れ行きが途絶えたので、これ幸いになったようだ。何十年ぶりかの大きなハンバーガー(直径20cm近くもあった)だったが、最後まで食べ尽くすことができたほど美味しかった。大雨が降っても家には帰ろうともせず、テントや大きな木の下で雨宿りをしてさらにワインを飲もうとするその根性は素晴らしいものだ。というわれわれも軒先の下で1時間近く話をしていた。雨がなかなか小降りにならなかったが、時計も8時半を回ったのでホテルに帰ることにした。それにしても南ドイツの人たちは、ビールだけでなくワインもしこたま飲むものだと感心してしまった。

 

次第に成果が見えるようになった

 

毎月訪問していると色々な企業でよく見られる改善の後戻しが少ないようで、この工場も次第に改善の効果が着実に見えるようになってきた。この工場の評価方法として、改善した項目がどれくらい維持継続されているかを毎月評価することになった。LさんやHさんが熱心なので、そのフォローが確実にできるようになったお蔭もある。毎月従業員が入ってくる通路の壁にある、大きな改善の活動板(縦2mで横幅は8mくらい、ドイツ人はスケールが大きい)に改善前と改善後の写真を貼ったり、今までの活動の成果をグラフで見えるようにしたりしてきた。最初の頃は7割くらいの実施率であったので、段々よくなってきて最近は9割以上にもなってきているという。やったものが確実に成果に結びつくようになると、嬉しくなってくるのはコンサルだけではなくトップも従業員も一緒だ。見えるようにすることは、人の脳に刺激を与え行動を起こさせるきっかけを作ってくれる。

すべてが上手くいくこともないが、上手くいかないこともチャンスになる。すぐにその現場に行って、担当者と顔を合わせて本音を聞きだしながら、心と心で語り合う姿勢が非常に大切になってくる。結局人と人との信用、さらに信頼の問題になってくるようだ。彼らの不満や悩みを聴いてあげて、そこから前進するためのヒントを探し出して提供していく。答えを出すのではなく、あくまでも彼らにはヒントを出すだけにとどめることが肝心である。

自分で気づくと次々に自分で答えを見つけ始めるのは、この工場だけではなく人間の共通な力である。ただし条件としては、消極的ではだめで積極的に取組む人に与えられる力である。悩みを受ける時には、コンサルはいつも笑顔で対応するべきである。悩んで相談に来ても、コンサルが疲れている表情では相談に来た方もしょぼくれてしまうだけだ。私は聖徳太子級の人間ではないので、答えは出せないことも多くあるし、実際にまったくわからないこともあるが、話はいくらも聴いてあげるようにしている。

そして笑顔での対応をしていくと、彼らの悩みや問題はほとんどの場合が氷解することが多い。話をすることで、このように問題が問題でなくなってしまうのは、不思議なことのようであるが、いつも答えは彼らの手の内にあるものだ。そのためにもいつでも、誰でも、気軽に話しかけてもらえるように、こちらも受け入れ態勢を常に整えておく必要がある。今日も笑顔で頑張ろう。