海外こぼれ話 126                     2011.11

 

空港でトランクが出てこない

 成田空港からフランクフルト空港を経由して、スイスのチューリッヒ空港に飛んで、そこからタクシーで1時間ほど走って、再びドイツに戻りジンゲンという町に移動する日程だった。フランクフルト空港に着いて、乗り継ぎのチューリッヒ行きの待ち時間が3時間もあったので、JALのラウンジを利用させてもらい訪問先の予習をじっくりやることができた。トランクは成田からフランクフルト空港経由チューリッヒ空港まで「スルー」といって、そのまま荷物を転送する手配を成田空港からしてもらった。そのために手ぶらだったこともあり、気が抜けたのかラウンジに入った時に、荷物が確実に次の便に載ったことの確認をしなかった。普通は何もしなくても問題はないが、天災は忘れた頃にやってくるという諺はこの時にやってきてしまった。

 チューリッヒ空港の荷物の受け取るコンベアで、待っていてもなかなか出てこなかった。数人が指を咥えて待っていたら、「荷物が出てこない人は集まれ!」とはげ頭のおっさんが叫んだ。バッゲッジ・クレーム(荷物か届かないなどの不具合処理場)に移動せよといっているらしい。乗り継ぎした数人が同じ運命になって、荷物がそのままフランクフルト空港で止まっているという。この手続きを海外でしたことがなく、(過去1000回以上飛行機を利用しているが初めてのこと)、どうしようかと思ったが、通訳のCさんが既に空港に着いていたので、電話してこの場に来てもらうことにした。本当はいったん出たら入ることが出来ないが、特別に了解をもらって再入場し対応してもらった。Cさんも初めての体験が出来たとびっくりしていた。何度もあったら逆に困るわ。

着替えの下着がないので、そのまま使うことになった。それでも「お泊りセット」という肩掛けのバッグに、LLサイズのTシャツが1枚、それに洗面道具、整髪料や櫛、救急セットなど盛りだくさん入ったものを支給してもらった。肝心のパンツと靴下がなかったのは残念だった。ホテルについて久しぶりに手洗いの洗濯をした。後で海外保険の契約のしおりを見たら、荷物が届くまでに10万円以下の買い物をしたら保障してもらえることがわかったが遅かった。保険の詳細を説明する保険屋はいないので後の祭りになるが、今後は荷物が届くまでに買い物を済ませたい。また6時間以上の飛行機の延着も、保険対象になることも記述してあった。

イスラム圏の航空会社の笑い話

 飛行機の話題になったので、おまけの話を付け加える。これは通訳のKさんに聞いた話で、あるドイツ人がチュニジアからドイツに戻る時のことだったようだ。出発準備万端になったが、突然機内アナウンスが機長からあった。「ただ今よりお祈りの時間になりましたので、お祈りをしますので、しばらくお待ち下さい。」そして操縦室の機長らのお祈りが始まったという。

つまりチュニジアはイスラム教の圏内であり、1日5回のお祈りにたまたま遭遇したのだった(几帳面だなあ)。約20分の遅れで無事に空に飛び立った。飛行機の運航もアッラーの神の思し召しか。そして無事に着陸した時には、大きな拍手があったという。その後に機長が再び「無事に到着したのは、私も少しお手伝いしたのですが…」とアナウンスをしたという。このようなユーモアが出るとは、つい先まで紛争があった国とは思えなかった。

ちなみに30年前に利用したアエロフロート航空(当時ソ連国)の飛行機は、主翼のリベットの色が4色もあり、ところどころリベットが抜けてなくなっていたことをはっきり確認することが出来、座席のシートはパイプ椅子のようで、何度も塗装が塗ってあり段差だらけだった。その時にも空港に着いたときは大きな拍手があったが、私も思わず拍手をした。良くも飛んだと思ったが、それ以降アエロフロート航空は、安いけど使う気にはならなかった。

ドイツの昔からの薬

 ドイツは工業国であるが、最も素晴らしいのは、機械や自動車ではなく、なんと化学部門であるという。その証拠に博士が一番多く入社するのがこの化学分野で、大卒や修士ではまるで高校生扱いされ、出世は出来ないといわれているほどだ。街の中は日本のコンビニ(約44,000店/1億3000万人)と同じように、薬屋の前にも薬屋が並んで商売しているほどたくさんある(約21,000店/9,000万人)。ちなみに日本の郵便局が約25,000局あり、ドイツの薬屋の分布に近い。ドイツは気候の変化が極端で、1日の内に気温の上下が激しく、風邪を引くことが多いので薬で対応するようだ。湿気が非常に少ないので、気温の変化が大きいようだ。ドイツの薬屋の看板は、赤色で「A」(Apotheke)の頭文字に蛇がトグロを巻いている絵になっている。

 通訳のMさんのおじいさんが、戦中戦後に医者をしていたようで、色々なことを聞いたようだ。数年前に突然歯痛に襲われて、のた打ち回ったことがあった。そこでMさんはすぐに薬局に飛び込み「カーネーションの油」を店員に指名した。ところが店員は知らないといったので、Mさんはキチンと説明して探してもらった。「Nelkon(直訳:カーネーション、丁子、なでしこ)」オイルと表示してあり、わずか5ccの小さな「茶色の小瓶」に入っていた(なんだかグレン・ミラーを思い出すなあ、ああ涙が出る)。これが良く効く。ただし「良薬口に苦し」であり、とても臭いのが欠点だった。病院に行った時に臭ったあの懐かしいニオイである。でも今でも洗面道具の常備薬に必ず携帯している。

もう一つ教えてもらった薬があるのでご紹介しよう。これは誰もが常時携帯している薬?である。しかも多くの人が、特に女性が口に出せないが密かに悩んでいる病であるようだ。それは水虫であって、その特効薬がなんと自分のオシッコである。水虫には自分のオシッコをかけるのが、一番効くというのがMさんのおじいさんの説であった。これはもう伝説かもしれないが、当時お金のない時に身近にあるものとして、カーネーションやオシッコも医療に利用した生活改善だろう。現在は薬として儲けることが主体になっているので、安い薬はなくなっていく傾向にあるが、生活の知恵は残したいものだ。

 

1015日は

日本デー、夜には花火

 10月に入るとデパートの模様が、クリスマス仕様に段々と替わっていくのがわかる。一番目に付くのはチョコレートの種類である。土曜日になると散歩を兼ねて数軒の店に入り買い物をするので、いやおうがなしに目に飛び込んでくる。買い物をして街中に出ると午後からは一気に人出が多くなり、鳥取の田舎とは比べ物にならない。しかもデュッセルドルフの近郊から高校生くらいの団体がやってくる。メイン通りのインマーマン通り(ホテルや書店だけでなく、多くの日本企業の会社がある)、そしてクロスター通り(日本食の「やばせ」、「きかく」、「なにわ」などがある。いずれも店の名前は、短く覚えやすくしてあるようだ)にも日本食の店が非常に多いので、多くの人が集まる。午後1時半に行き付けのデパートに行く時に、ラーメン屋の「なにわ」の前に多くの人が順番待ちをしていたので、人数を数えてみたらなんと55人も待っていた。長椅子の下には暖房用のパイプが敷かれていた。

あっと驚くラーメンではなく、この9年に1回しか入ったことのない店であるが、舌の味覚の違いなのであろう。1時間後に買い物を済ませて再びこの「なにわ」を通り過ぎようとしたら、まだ人は並んでいたので、また人数を数えたら41人もいた。30m先の韓国人がやっている寿司屋は、なんとその日は満席だった。いつもは回転寿司がターンテーブルに一杯載っかっているが、さすがに今日はほとんど載っていないほどの賑わいだ。日本=寿司という公式ができるかな?でも日本人がやっている店は少ないので、食べるには勇気が必要だ。

さらに戻ってインマーマン通りに、日本食材を扱う、これも2軒とも韓国人が経営している店が隣接しているが、黒山の人だかりで店に入ることが出来ないほどの混雑であった。今までにこれほどの人山は見たことがない。10m先に歩を進めると持ち帰り寿司のデュッセルドルフのチェーン店「丸安」があり、ここも入れないほど賑わっていた。しかも若者のドイツ人の女の子は、ほとんどがコスプレで身を包んでいた。細い人もそうでない人もミニの真っ黒な衣装に原色の赤、黄色、緑、さらに金髪に髪を染めて、スパンコールなどの光モノを身につけて変身しようとしている。似合っている人は極わずかであるが、そのチャレンジ精神は見事である。多くはこの姿でライン川近くの旧市街まで、お散歩しながら歩く。可愛い自己主張である。人は好きであるが、人混みは人の流れがこっちの流れと違い、挙句の果ては酔ってしまうので大嫌いである。

夜になると花火がライン川に上がり始めた。夏はいつも日没が遅いので22時半に開始されるが、もう秋なのでかなり肌寒くなっているため21時半に一発目が上がった。ベランダから良く見えるので、ワイン片手に秋の花火と洒落込んだ。10分もすると酔いも冷めるほど寒くなってきたが、外気温度は10度になっていた。いつも銀行のビルが花火を邪魔しているが、あえて夜間写真を撮ってみた。夏の花火より豪勢であったのは気のせいか、それともワインのせいか。

いつものイタリア料理店

 訪問する工場がほぼ決まっているので、いつものホテル、いつもの部屋、そしていつもの店とワンパターンになりつつある。でもこれは理由がある。毎週2社、3社訪問するので、転々とホテルや部屋が変わると、環境の変化に脳みそが追従できなくなり、イライラという精神不安定になる恐れがある。このために変えるべき点と変えてはダメという点を見出した。そこで宿泊関係はいつも一定化して置くようにしたのだ。料理の内容は、季節に応じて変化させたいという重要な要素である。Stuttgart近郊にプロヒンゲンという街がある。ネッカー川沿線ということもあり、ベンツなど多くの企業がこの川の運河を利用して、工業がドイツでも非常に盛んな地域になっている。

ボッシュ社の研修センターもこの街にあり、多くの客がいつものホテルを利用している。このホテルの部屋は、206号室にしてもらっている。そして夕食は、いつものイタリア料理店に決めている。ホテルからわずか50mであり、飲んだ酒も冷めない範囲だ。今まで気にしていなかったが店の名前は、「サービス」という。当然イタリア語であるが、ドイツにサービスという概念がないので、さすがイタリアと思わせる。欧州の一流のレストランやホテルはイタリア人の優秀な人で占められるといわれるほど評判がよい。ちょっとお調子者の人もいるのはいるが、ワインのお勧めのプレゼンは非常に上手い。

この店はイタリア人のおばちゃんのコックさんである。もう長い付き合いなので、必ず厨房から出てきて握手をする。ウエイトレスもおばちゃんの仲間である。お勧めの赤ワインから始まるが、アンティパスタ(前菜)は自家製の猪のハム、そして数種類のチーズが恋人のようによい組み合わせになっている。メインはメニューにいつもない、「フルーティ・ディ・マーレ(海の幸)」のパスタのトマト味である。パスタがスパゲティーになったり、きし麺になったりすることもある。イタリア料理はとにかく客の要望に、積極的に応えようとする姿勢がよい。前夜に早めにホテルに着くとすぐに出かけ、連日訪れるようにしている。行き付けの店は、移動の疲れを癒してくれる止まり木のような存在だ。ワインと共に夜は更けていく。

チェコへの単身赴任

 チェコの某工場には、今年3回の訪問依頼があった。チェコの人は元々勤勉で優秀な労働者であったが、40年間の暗黒の世界に侵されて勤労意欲を一気に削がれてしまったある意味可愛そうな人たちだ。40年というのは余りにも長い時間であり、いくらやる気のある人でも長い間に完全につぶされてしまう。それは遺伝子に組み込まれた感じであり、ドイツの本社から指示してもすぐに後戻しをしてしまったと担当者は漏らしていた。訪問して指導する時にはいい顔をしているが、帰るとすぐに舌を出すようであったらしい。

それを打ち切るために、本社から2人の改善専任者をこの工場に派遣することになった。ドイツでは保守的な人が南ドイツに特に多く、自分の生まれ故郷から離れて生活をすること非常に苦手にしていることを耳にしたことがあった。それはやはり事実らしく、今回社内で募集をしたが誰一人も手を挙げなかったという。お金を余分に出してもらっても断る人がほとんどであり、今回も結局管理職の人が派遣されることになった。日本では上司から指名があると仕方なしに服従せざるを得ないが、ドイツは組合が非常に強くまた保守的なこともあって単身赴任は難しいようだ。

2人も日曜日の昼から移動して、6時間以上も車を運転して赴任地のチェコに毎週通うことになった。チェコは田舎道なので、思うようにスピードが出せない。しかし毎週通うには、体力と精神力が強くなければやっておられない。通うだけでなく考え方を180度変えていく仕事も毎日なので、それこそ苦労の連続だろう。今回は私も彼らを支援するために、チェコの人たちに動機付けをたっぷりとしてきたが、どの企業も結局は人材育成に掛かっている。

幸い宿泊するホテルの料理が非常に美味しく、しかも安いと来ているから救われる一面もあった。チェコなのに、ピザやパスタのイタリア料理も出来、レストランにはピザを焼く釜もある。通訳のSさんに訊ねると、チェコ人は思ったよりも海産物が大好きという。それまでは周囲に海がなかったので、滅多に食べる機会がなかった。EUになってから物流面の国境が事実上なくなって、北の北海からと南のアドレア海から仕入れることが出来るようになった。トラックで7時間も走れば、海の幸が入手できるようになり、その恩恵を受けるようになったという。早速それを聞いて、ここでも「フルーティ・ディ・マーレ」のピザを注文したが、余りに大きかったので半分しか食べることができなかったのは残念だった。翌日はパスタに替えてリベンジできた。

携帯電話を忘れた

 今までに財布を忘れたり、パスポートを自分のではなく家内のものを持って移動しかけたりと、こぼれ話のネタには困らなかった。今回はドイツのアパートに携帯電話を忘れて出張する失態をしでかしてしまった。デュッセルドルフ駅に着いて、通訳に電話しようとしたが見当たらない。余りにも準備が早すぎて、机の上に携帯電話を置いたまま別な作業をしていてうっかり忘れてしまった。これを機会に5日間携帯電話無しで、どのような生活になるか試すことにした。電話を使うのは、家内に1日10分程度情報交換に使うのがほとんどであり、余り問題はなかった。通信はインターネットで別のモバイル機器を使うので問題もなかった。しかし話をすることが出来ないので、メールで入力する手間は全然違っていた。話をするとすぐでも、メールは何倍も掛かってしまう。

その次の問題は、電話とIPod(音響機器)で移動中にリラックスするために音楽を聴くことが出来なかったことだった。電話といいながら、実は音響機器として90%以上使っていたことが改めてわかった。これからはドアの前に立ち、チェック表に向かって、財布、パスポート、カギ、携帯と指差し呼称することにした。これ自体を忘れるようになったら、コンサルもできなくなる。

よく似た人は海外にもいるものだ

数年通っている某工場が、今回は仕入先2社をワークショップに招いた。その1人はうら若き女性(多分20代後半)しかもドイツ人にしては、極めて珍しくワンピース姿であった。しかもきちんと化粧(付けまつげもアイラインも)もして、身だしなみも非常に良かったので好印象だった。丁寧に化粧をする女性はドイツではまれなことだ。講義の最中に何度も目線も合うので、何か気になるなあと思っていたら、なんと顔の輪郭や目元が家内にそっくりであった。

世界に3人は似ている人がいると聞いたことがあったが、ドイツにいたとはびっくりした。彼女の写真を撮ることをすっかり忘れてしまったが、ドアの前に料理以外にも「写真を撮ること」と記述する必要が出てきたようだ。