海外こぼれ話 128                     2012.1

 

ドナウ川の船上レストラン

月曜日の1日座学セミナーの前に、日曜日に早めにデュッセルドルフ空港を出発して、ハンガリーのブダペスト空港に着いた。通訳のキッシュさんとハンガリー商工会議所の担当のペーターさんが出迎えてくれた。クリスマス前だったので、ブダペスト市内まで1時間移動するのに各家のクリスマスの飾り付け(電飾)を楽しんだ。食事の用意をしたというので案内をしてもらうと、それはなんとドナウ川に浮かぶ船上レストランであった。何艘も岸壁に停泊をしていたが、観光ガイドに掲載されて日本人も良く知っている「スプーン」の隣の「ヴェーン・ハヨー」というレストランに案内された。

船内の通路を渡っていくと巨大なエンジンがむき出しになっている。心配しなくてもこれは展示用のエンジンで、この船は動かすことはない。船自体も古く1910年頃の建造らしい。しかし内部はレストラン用に改装されているので、お洒落な作りになっている。船内の通路には、模型の船がデコレーションとして飾ってあるので、目の保養になる。船内の真ん中の円形テーブルには、10人ほどの日本人グループが陣取って関西弁で喋っていた。予約されていた席はその隣であったが、ハンガリーまで来て某企業の愚痴話まで聴こうと思わなかったので、ウエイターに頼んで離れたテーブルに移動することにした。

月もくっきり出ている寒空の下では、ドナウ川の対岸にはライトアップされた丘にそびえ立つ王宮がいい雰囲気を醸し出してくれる。窓枠からちょうど見られるようにレイアウトしたかのように、夜景が素晴らしい。カメラを用意するが、どうしても手振れになってしまう。やはり心のフィルムに焼き付けた風景がベストだ。電子ピアノの生演奏も耳に心地よい。

ハンガリー料理を堪能

ハンガリーは料理も美味しいがワインも素晴らしい。今年の新酒も出来が非常に良かったというので、スターターはその新酒の発砲中のワインを選定した。前菜は、いつものグヤッシュ・スープにした。これはアパートにグヤッシュ・スープの素やパプリカは十分に在庫してあり、この冬に挑戦したい料理なので、もう一度本場のスープの具をチェックしたかった。本式のレシピで料理をしようと思うとかなりの食材を準備しなければならず、アパート暮らしにはもったいない買い物になる恐れがあったからだ。結局、単純に牛肉と人参、玉ネギ、ジャガイモの具があればよいことを確認した。あとは色付けにパセリがあればよいので、これらならいつでも準備できる。

メインのフォアグラは、以外かも知れないが、隠れたハンガリーの産地であった。フォアグラ=フランスと思いがちだが、ハンガリーの名産でもあった。これに牛肉のステーキにマッシュルームの天ぷらを載せた料理にした。当然これには赤ワインがお友達として登場しなければならないので、ウエイターに選んでもらう。3人のメイン料理はそれぞれ違うので、絵画を見るようで写真を撮っても楽しい。白磁の皿に盛られてテーブルに料理が登場すると、色付けとしてパプリカの粉末が散りばめられる。明日のセミナーの下打合せをしながら、といってもいつものことなのでほとんど内容自体の打合せは必要なく、何時始まりで何時終わるか、休憩時間のタイミングをどうするかくらいのものだ。結局4種類のハンガリーワインを堪能することが出来、エネルギーを十分に補給することができた。ホテルは超近代的なホテルで、一人泊まるには十分過ぎるほど広かった。

またまたハンガリーの

座学セミナーは大好評

商工会議所の入っているビルの会議室には、45名の参加者が集まった。地方からも参加があり、中には前回のセミナーでは物足りなく再度聴きたいという参加者もいた。そしてその会社の仲間まで連れてきていたが、本当に熱心だ。同じ内容でも毎回の説明は違うので、聴く方も飽きないだろう。こっちも同じことが喋れない頭の構造になっていて、その場の雰囲気にすぐに溶け込んでしまう性質を持っている。これは落語の枕詞やアドリブに長けたジャズ演奏家のようでもある。いいたいことだけをメモを見ながら、会場の雰囲気や質問をやり取りしながら、今日も来場者の最も必要な情報を提供するにはどうしたらよいかを常に意識して話をしているので、通訳も大変であろう。

慣れとは恐ろしいもので、やれば出来るものでもある。12年前はとてもこんな大それたことはできなく、おどおどしていた記憶がある。しかし何を言いたいのかがわかってくると、面白可笑しくした話の方がお互いリラックスして話の内容が通じ合うのだ。壇上から降りて、参加者との距離を狭くすることも効果がある。質問を投げかけることも大切だ。聴くばかりになっていたら、とても眠たくて8時間のセミナーの半分は寝てしまう。でも私のセミナーでは色々な眠気覚まし爆弾を多々用意しているので、彼らは寝ることは不可能に近い。

今回もセミナーの後にアンケートを記入してその場で提出するようになっていたが、その前に挙手をして今日のセミナーの出来具合を確認することにした。

満足したか?さらに感動したか?の2つの選択肢を出してみた。満足が2割、感動が8割だったが、狙った通りの結果だった。100%感動というのは、何やらインチキ臭く、ばらつきのある人間に100%はありえないので、8割は非常に妥当な値だ。終了したらすぐに自分の会社でもセミナーを開催したいという希望者があったので、このセミナーは成功したようだ。つまり、セミナーは次の注文を取ることが商売になっていくのだ。話をして満足ではダメで、次の注文が取れるかどうかである。

ハンガリーからはいつもお土産を頂くことが、習慣になっているのは大変有難く嬉しい。いつもは南ハンガリー地方の赤ワインであるが、今回は1泊の日程だったので、リュックサックのみの軽装だった。つまりワインをトランクに入れることが、できなかったのは計算外だった。そこで会議所のメンバーは機転を利かして、手作りのクッキー、手書きの手紙(もちろんハンガリー語、読んでもらい意味は感じ取った)、チョコ、パズルなどリックサックにギュウギュウに詰めるだけ詰め込んだ。まるでサンタクロースになった気分だった。

キッシュさんが

NHK衛星放送に出演

ハンガリーの通訳のキッシュさんが、急に明日のNHK衛星放送にハンガリーのレポーターとして生出演すると告白があった。最初は話が見えなかったが、セミナーの翌日から2日間に渡って、NHKBSで毎晩月曜から金曜まで夜11時から放送されている「エル・モンド」(スペイン語で、世界という意味)の番組に出演するということだった。火曜日には、子供たちで運営している「子供鉄道」を取り上げて、実際に蒸気機関車に乗ってレポートするものだ。約100人の子供たちが実際に駅業務から列車運行までやっている姿を伝えるものだ。

翌日の水曜日には、1930年代の家具を集めた老夫婦のアパートを訪問するレポートだった。家には数千冊の蔵書があることなどの紹介をするなど以前の打ち合わせ内容を伺った。生中継なので上がってしまうのが心配だとそわそわしていたが、「舞台度胸は社交ダンスで鍛えてあるので、大丈夫ですよ」と背中を押してあげた。早速自宅に電話をして録画をするように依頼した。これらの状況を帰国した後で見ることができた。家内も録画ができるようになったのは、非常に喜ばしいことだ。家内には写真を見せたことがあったが、映像ではまだ紹介をしていなかったので、声や立ち振る舞いを伝えることができなかったが、今回の放送で伝えることもできたのはラッキーだった。

デュッセルドルフ市役所に

ようこそ

デュッセルドルフのアパートに住み着いたのは、2003年の4月だったのでもう10年になろうとしている。年末に郵便物が届いたが、当然読めるわけもないので、通訳に訳してもらった。それはデュッセルドルフ市役所からのもので「長年届出もなしに住んでいるので、罰金を支払いに市役所に来い」という手紙だった。それまで何の音沙汰なしであったが、よく発見したものだ。アパートに入居した時に申請をしておけば何の問題もなかったが、10年放置したのは問題のようだった。前の事務所の怠慢か忘れたかのどちらかであるが、市役所には言い訳できない。しかし彼らの指定する日は出張中であったので、何とかデュッセルドルフに在中している月曜から金曜までに出頭するように調整をした。

事前にインターネットで関係書類をコピーして記入しかけたが、実にややこしく通訳も理解できない帳票のようであり、彼自身も記入ミスをしていた。どうもある個人が関係者を巻き込まずに適当に作成したもののようだった。ドイツはこのように自分勝手な帳票を重んじている。それが個性だとも自慢する工場の人たちもいるので、容易に想像できたが使う人の気持ちになって欲しい。

雨の降る中を駅裏にある市役所(なんと初めて気づいた)は、アメリカ大使館の隣にあり、表札も非常に小さく訊ねないとわからない場所だった。それでも日本の銀行などで採用されている番号札を発行してもらい、その番号の表示される窓口に行って手続きする方式になっていた。デュッセルドルフ駅も今年それが採用されていたが、これは時代の流れだろう。20分ほど待って指定された窓口に行って、手紙を渡し指示を待った。

その担当者も理解できなかったので、実際に作成した人に訊ねに席を立った。机を見ると整理整頓された状態ではなく、いわゆる「喝」というレベルだ。コピー機への移動は、コロのついた椅子を座ったまま足で蹴って移動するような仕事のスタイルで、いかにもやる気のない感じが丸出しだった。担当者はグダグダ文句を言っていたが、悪気がないことがわかったようで、15分ほどで書類の手続きを終了した。罰金は本来数百ユーロくらいだったようだが、クリスマス前ということもあったのか35ユーロにまけてもらった。外は雨模様であったが、これでようやく晴れてデュッセルドルフ市民になった。

忘年会はまず謎解きから

新年から通訳のMさんと一緒に新しい会社を立ち上げることを7月から準備をしてきた。ほぼ見通しがついたので、忘年会を企画したいとMさんからもしであり快諾した。しかし決まったことは、12月10日の土曜日だと、日にちだけで場所も教えてくれず、また会わせたい人もいるというが誰なのかさっぱり教えくれなかった。これがサプライズですよと煙に巻くだけで一向に教えてくれなかった。しかも飛行機でStuttgart空港に行くというので、ますます頭がこんがらがってしまった。前日になって飛行機のチケットが取れないので、カールスルーヘ駅まで電車で来て欲しいと連絡があった。Mさんはどうするのと訊ねたら、奥さんと車で先に行っているという。カールスルーヘ駅には、タクシーの運転手が待ち構えているので、そのタクシーに乗って移動して下さいという指示まで出てきた。これは謎解きか?Stuttgart空港ではなく、カールスルーヘ駅に変更になったので、2つのことが読み取れた。1つはStuttgartならば、レストランは、ピルツ社の社長によく連れて行ってもらった「ドルチェ」(一品ごとにそれに合ったワインをセットしてくれるソムリエがいる)ではないことがわかった。もう1つは、会う人がピルツさんではないこともわかった。

ヒントが2つ解けた。ホテルが、フランスのアルザス地方にあるSelbの町の「ホテル・デ・ボア(森のホテル)」だとピンと来た。このホテルの女将さんのマリーさんに会うのだと思った。このホテルのマリーさんは、数々のホテルに泊まったが最も家庭的な女将さんであった。仕事の関係でアルザス地方に来なくなり、4年も経っていたので、ここをセットしたと考えた。Selbの 町にはカールスルーヘからは、30分で行くことが出来る。そうなればディナーは、ウエイターのタニアのいる「森の家」というレストランとなりそうだ。

謎解きが終わり再会に大喜び

その忘年会の日になり、指定された電車に乗り、乗ったことをMさんに電話を入れる。彼も既に家を出発して移動しているという。ホテル到着は同時くらいだというが、まだホテルの名前も言わない。電車に乗って誰に会わせるのか想像するがフランスには知り合いが少ないので、ますます混乱してきた。2時間半の移動でカールスルーヘ駅に着いた。タクシーの運転手を探すには、看板を持っているはずなのでトランクをひきずりながら出口に向かっていると、2mもある長身の姿が見えた。なんとS社のKさんであった。

まったく想像できなかったが、この年一番お世話になった人であった。まだ仲間が2人参加するとのことであった。これでようやくMさんが誰を招待したかわかった。ホテルは予想通りであった。ホテルにはマリーさんが、鴨を数羽ナイフで捌いていた。なんともフランスらしい光景であった。日本ではもう鶏を家庭で、包丁1本で捌くことは見られないが、アルザスでは当り前の光景らしい。何度もハグをしてお互いの肉の塊を確認しあった。このように会った時にハグする女性は、海外ではあとピルツさんの2人だけだ。Mさんは既に到着して待ち構えていた。

早速コーヒー代わりにアルザスの地ビールを飲む。このアルザス地方が有名なホップの大産地であり、フランスのビールもここで生産している。だからフランスにしてはビールが美味しい。ドイツ圏に近いということもあり、また以前ドイツ領でもあったので、ことのほかビールは美味い。ビールを片手に雑談が始まると、さらにBさんもさらに社長も来られた。今日のメンバーが揃うことになった。まず酔う前に今後の話をその場でまとめた。非常に前向きな話ができた。

話が終わってホテルの周囲を見渡すと景色が4年前と一変していた。林に覆われていたが、すべて伐採されてこじんまりした住宅が10軒も建っていた。値段はユーロになってから土地代が一気に何倍も値上がったというので、マリーさんは大儲けかもしれない。しかも建築費もそれに合わせて上がったという。景観がまったく自然から住宅地になってしまい、ホテルの名前を違うものになってしまった。マリーさんは11年前にホテル業を開始したが、この町でも評判の良い楽しい女性なので、お客さんもどんどん増えて、半年単位で泊まる客も増えてアパートまで増築したという。23歳になる一人娘のゾフィーはどこにいるかと訊ねたら、大学を卒業してルクセンブルクに就職をしたという。月日はあっという間に流れるものだ。

忘年会はアルザス料理で

7時からレストランで忘年会をするというので、大型のタクシーで皆が乗り込んで出掛けた。7時前には誰もいなかったが、どのテーブルも予約の札が立っていた。2つのメインのコース料理があったので、当然美味しいものを食べたいので、皆さんが多くの料理のある方を選んだ。タニアは既に退職をしたというが、もう子供も小学生になるだろう。最初はフランスらしくシャンパンで乾杯する。その後は白ワイン、赤ワインと料理に合わせる。アルザス地方は赤でも白でも美味しいワインが生産できる土地柄であるので、この地方にもお客様を開発していきたいと欲望が出てきてしまう。飲み物や食べ物もその地方でコンサルするかどうかの大きな要因である。そういった単純な楽しみも持っていないとやる気も出こなくなるものだ。

食事と共にワインが入ってくると冗談話にも花が咲くといった感じではなく、火がついてくるようだ。会話が弾むと自然にワインの封を切ることになる。デザートは、ケーキ派とチーズ派に分かれたが、当然チーズに挑戦する。盛皿には6種類も登場したが、本当にあらゆる飲み物から食べ物まで美味しいので訪れるのが楽しみだ。このような答えを見つけにくかった謎解きのある忘年会を企画したMさんに感謝である。彼も答えを言うと面白くないので、秘密にしておくことも大変だったようだ。人を喜ばすにはいずれにしても苦労というか努力は必要であるが、それを楽しみに変えていくことで、仕掛けた本人も一緒に楽しむことで楽しさが倍増するものだ。朝食では、マリーさん手作りの焼きたてのパンであり、相変わらず香ばしくてほっぺたが床に落ちるほど美味しかった。