海外こぼれ話 130                     2012.3

 

新会社の滑り出しは順調

 

 昨年末にドイツでコンサルタント会社を通訳と一緒に新たに設立して、1月から本格的にスタートした。以前所属していたコンサルタント会社では、3年間まったく営業をしてくれなかったので、すべて通訳と一緒にやってきた。また企業からの日程表や計画書もでたらめになってきて、訪問した客先でトラブったことも何度も発生していた。そしてホテルや企業へいく移動時間が段々と長くなってきて、疲労や不満が蓄積していた。2年前から改善案や提案を何度も出していたが、暖簾に手押し、糠に釘、豚に真珠、猫に小判、馬に念仏といった態度に終始していた。これ以上話をしてもムダなことなので、昨年末に独立することにした。しつこかったから逆に嫌われたかも?

幸いなことにすべての訪問していた企業が、新会社に快く移行してくれた。逆に当てにしていなかった企業も仲間になってくれたが、日頃感謝して訪問していることが形になってきたと思った。さらに他の企業に紹介をしたいので、新しい名刺を持っているだけ出して欲しいとか、訪問する時に合わせて関連企業を招待してくれるなどと配慮してくれる。また直接日程表や計画が通訳に入ってくるので、疑問点もすぐに対応できて非常に精度が良くなってきた。日程計画もこちらの都合に合わせて客先の日程も調整することができるようになったので、移動もホテルも楽になったことが実感できるようになった。また年内の仕事もお蔭様で埋まってきた。

 

社長の推薦状の作成

 

ベルリンのV社で、9年前に知り合ったGさんから連絡が来た。V社から転職して、D社に移り技術取締役になっていた時にもセミナーの依頼があってお会いしたことがあった。最近Gさんは最近また独立して今度は社長になりたいので、私に推薦状を書いて欲しいと依頼があった。最近ドイツでは社長になるためには、トヨタ生産方式の知識や経験を持ち合わせていることが必須になっているという。また不思議かと思われるが、欧州はこのようにオペレータだけではなく、工場長、秘書、部課長を始め派遣が盛んに行われている。工場長が入院したので半年ほど雇うという。日本では考えられないが、こちらでは日常茶飯事に行われている。さらに最近は医者の派遣も盛んになっているという。その派遣の医者の給料は非常に良いので人気もあるという。その訳は、ドイツ人は車の移動は好きだが、住んでいる土地からは離れたくない気質を持っているようだ。特に南ドイツの人たちはその傾向が顕著である。このため人材不足になった時、穴埋めに使う派遣の医者が非常に重宝するので、引き手数多という。

このGさんは、生粋のベルリン人でこの土地からは絶対には離れたくないといっていた。奥さんは医者であり、お金のことは心配しなくても良い。当初は会社そのものを買ってそのオーナーになりたいといっていた。でも色々相談してみたようだが、どの会社のオーナーも手放したくないようで、結局オーナーの下で社長になる決心をしたらしい。その推薦状の依頼が通訳からあって、30分で原案作成して、校正と清書をこれまた30分で書き上げて翻訳に回した。そしてGさんに送付したが、彼はバカンスに出掛けてしまっていた。

そして今週バカンスから帰ってきたGさんから、感激の電話が通訳にあった。それは推薦状の内容が非常に素晴らしいもので、感激したので電話でお礼をいいたいとのことであった。この文章は一種のインスピレーションのようであった。一瞬の閃きがあって、一気に書き上げることが出来た。それはGさんにお世話になっているという感謝の気持ちが、心に充満していたからだろう。後はそれを持って、各オーナーに会って自己宣伝するそうだ。上手くいけばまたコンサルとして呼んでもらえる。Gさんは今まで一番しつこく、何度も何度もトヨタ生産方式について質問をした人である。いったん納得してからは、疑問をまったく持たなくなったという信者である。

 

ようこそドイツへ、アパート編

 

昨年末に以前のコンサル会社との契約が切れたので、アパートの管理が新しい会社に引継ぎがあった。その時にアパートの大家から、もう9年になるので室内の壁紙を張替えしたいと要求があった。仕方ないので整理整頓も含めて、半日掛けて寝室にすべての荷物か家財を押し込んだ。私が年末年始に帰国している間に壁紙の張替え、さらに修繕すべき個所を10箇所写真に撮って通訳に説明しておいた。ところが年明けにアパートに入るとそこは戦場であった。床は泥だらけでまったく清掃されていなく、逆に汚したまま工事屋は帰ってしまっていた。清掃担当が金曜日に来て綺麗にしている手はずだったが、来ていなかったようだ。唖然としてしまい、フライトの疲れが一気に出て30分は何も手を付けることが出来なかった。トイレと浴室の床を雑巾掛けして、キッチンとベッド周りを片付けたら4時間も経っていた。

翌朝も壁紙を張替えた部屋の床には、ペンキや足跡が付いていたので清掃した。しかしペンキは既に乾いていたので、擦っても取れなくなっていた。またカーテンの後ろには隠すようにゴミが集められていた。また私が作った段ボール製のゴミ箱はペンキ屋が使ったらしくなくなっていたが、散々な仕事のやり方であった。工事の方は頼んだ10件の内半分しかやっていなかった。材料がなかったなどと言い訳しているが、事前に写真まで付けて依頼していたが我関せずだ。これは2月末なるというが、まったく仕事になっていない。

清掃係が翌週の土曜日朝9時に来るというので待っていた。10分遅れで来た。既にほとんどの清掃は終わっていたので意味なかったが、それでもその仕事ぶりを観察した。部屋は丸くモップ掛けして隅々は手抜き、ソファーの下は奥までではなく手元にモップが入る程度、テーブルも丸く拭いただけ。カーテンの下のペンキは手でなぞって、取れないことが分かると何もしないで立ち去った。結局40分の間モップで床をなでた程度で、「これで終わり」といって帰ってしまった。2時間ほどしてアベックの別の清掃係が来たが、どんな清掃をするか分からなかったので、彼らを追い返すことにした。壁紙の張替えの日程が4日間遅れたのと、大家の連絡ミスだった。まったく管理されていなく、通訳から厳しく苦情を言ってもらい、高圧態度だった大家もようやく低姿勢になった。

電話線の工事も依頼していたが、9時から12時までに来るといっていたが、時間を過ぎても来なかった。電話会社に問い合わせると、それは外注に任しているので、われわれに責任はないという回答だった。日本でありえますか?信じられますか?これがドイツなのです。ドイツにようこそ。

 

ドイツにようこそ、レンタカー編

 

マンハイムから南ドイツまで3日間のレンタカーを頼んだ。日本にもHertz(ドイツはヘルツ、日本ではハーツと呼ぶ)という会社があるが、これはドイツの会社だ。あとAVIS、ユーロカー、さらにSIXTの大手4社が競争している。通訳のMさんは、SIXTが好きなようでほとんどこの会社を選んでいる。ご多分に漏れず、これもマイルが溜まる方式になっていて、溜まったマイルで車のグレードアップも出来る。以前ポルシェのSUVタイプを借りたことがあったが、リッター5kmしか走らず、しかも坂道で小型車に追いつかれたこともあった。

今回のレンタカーもSIXTであった。営業所はマンハイムの駅中にあるが、日曜日は午後2時までしか空いていなかった。そのためSIXT社に42ユーロも余分に支払って、アルバイトのお爺さんを待機させて夕方6時まで待ってもらっていた。これがドイツのサービスですが、信じられますか?。手続きをして駐車場に行き、車を探してカーナビを探した。頼んだはずのカーナビがない。またコンソールには、空のペットボトルがあり、助手席には鼻紙が捨てられてあった。使った後の清掃がまったくしてないレンタカーだった。そしてエンジンを掛けると、なんとガソリンが半分しか入っていなかった。これは一大事!すぐに営業所に戻り事情を説明しようとしたが、既にお爺さんは帰宅して不在だった。仕方なく車に戻り、その半分しか入っていないメーターを写真に撮り、SIXTの本社のクレームをつけた。この点今の携帯は便利だ。動かぬ証拠写真が撮れる。レンタカーの約束事に車を返却する時には、最寄のガソリンスタンド(市内ならOK)で満タンにして返すことになっている。時間がなくて満タンできない場合には、申告すると罰金料金が加算される仕組みになっている。このレンタカーはその後始末がまったく出来ていなかった。このような不備は今まで一度もなかったことだったが、サービスの悪さが伝染してしまったようだ。

事件はやはり伝染してしまった。ハノーバーからまたレンタカーを頼んだ。今度はまったくの新車で、フランスのシトロエン製のピカソという名前だった。走行距離はまだ300Kmで卸したてのほやほやだ。しかも今度はガソリンが満タンだ。安心したらと思ったら、またまたカーナビが搭載されていなかった。ちゃんと依頼したがまたまた彼らの連絡ミスだろう。フロントパネルと見るとすべてデジタル表示になって、ダイヤル式のメーターが一切なかった。文字は普通の文字ではなく、丸っこくて醜い文字だったがこれがフランス式なのか。座高が高い車で走っていると横風でふらふらして危険であった。まあスピードを出すなというサインだろう。ドイツ車はシート暖房があるのが当り前なのだが、このフランス車にはなかった。フランス人はケツが暖かいのだろうか。カーナビがなかったので、携帯を使って道案内する羽目になった。それでも道を間違えて、余分に20分ほど走ってしまった。ドイツへようこそ。

 

1年半前に頼んだワインを再び

 

1年半前ぶりに訪問した会社は、見違えるように工場が変わっていた。生産性は当初訪問した時の4年前に比べて2倍以上になり、生産ラインや倉庫もきちんと整備されていた。Iさんは自分から手を上げて改善担当者になった女性で、話をしていたら私と同級生だと分かった。昨年3月11日に孫も出来て、タバコを止めることを考えていたが、大地震の映像を見てタバコをきっぱりと止めるきっかけになったと話してくれた。だからこの日は一生忘れないといっていた。彼女は優しいお母さんのような話し掛けをして、問題をすんなりと収束させる才能を持っている。

いつも穏やかで慌てることがまったくないが、芯は本当にしっかりしている。120人の工場を一人で、改善をコーディネートしている頼もしい人だ。今年からこの年の人は、67歳まで定年延長して働くことになったという。これは長寿命になって年金を賄う金が不足してきたために、ドイツは定年延長を65歳からまた2歳追加した処置のためである。こうやってやがてやってくる高齢化社会のインフラ整備が着々と進んでいる。日本はどうか?政府が何も手を打っていなくて、老後が心配になってくる。

その夜はいつものイタリアレストランにて、関係者で食事をした。老ウエイター(当然イタリア人)が私を見て、前回頼んだ2種類のワインの銘柄を覚えていた。そのうちの美味しかった方を今回も用意してくれたが、よく記憶しているものだと感心してしまった。南ドイツのレストランでも、1年前に頼んだワインの順番まで覚えていたウエイターもいたが、これがプロだ。

 

もう早くも10年が経った

 

もう通い始めて10年になる工場の改善担当のLさんは、私の一番弟子(免許皆伝にしてもよい)で信者でもある。10年間、この工場の改善組織はまったく変えることなく、一筋で取組んでいるので、一番の成功モデルになっている。今回はLさんがニコニコしていたので、どうしたのか聞いてみた。すると長女が結婚して、すぐ孫が出来るだけでなく、嫁に行っていた旧東ドイツから旦那さんが転勤で、自宅のすぐ近くの会社になるという。その長女とは以前何度か彼の家で会ったことがあったが、まだ中学生くらいだった記憶がある。

その頃家庭科教育で、長女が宿題と称してバナナに避妊器具をつける練習を、テレビを見ながらやっていたのをLさんが見つけた。Lさんの方が顔を真っ赤になって、慌てて娘に「そんなことは止めて、すぐにお母さんの手伝いしなさい」と話してくれたことを思い出した。彼女も子供ができる年齢になったかとしみじみ思い出した。女の子を持つ親はこうなるのだろうか。家は息子だけだ。

この工場は、従業員が1600名で改善専任が20名以上もいて、毎日改善をコーディネートしている。さらに各職場には、70名以上の改善だけをするチームリーダーを配置している。訪問するたびに工場が変わっていることを実感する。今の市場環境は激しく変化しており、この業界もリーマン・ショック前には標準品と特殊品の割合が、8対2だったのが2対8に逆転してしまった。それでも以前より素早く生産できる取り組みをしてきたが、まさに人材育成の成果だ。

 

スイスの見やすい時計を購入

 

最近視力が落ちてきたというか、素直に言えば老眼の気配が忍び寄ってきたようだ。腕時計の文字盤や針が克明に見えなくて、ぼんやりして見えるようになってきた。3年前に購入した自慢の機械式腕時計の心臓部や針が見えなくなったのである。これはオーダーしてから半年間待って購入したもので、ぜんまいの心臓部にはトゥールビオンという独特な機構が付いているもので、本場スイスで買うと非常に高価なものだ(日本で買ったところにミソがある)。でも文字盤が見えなくなるとまったく時計の意味がないので、息子の誕生日祝いと言う事にしてプレゼントした。

代わりの時計は3つもあるが、いずれも文字盤と針が良く見えないものだった。若さとは貴重なものだとようやく感じるようになったが、もう時は遅かった。そこで文字盤と針が一番見やすいといわれている、ドイツ鉄道とスイス鉄道の時計に採用されている時計を探すことにした。毎月チューリッヒに行っているので、免税店で探すことにした。そのメーカーは、「MONDAINE」(そのまま読むと、問題ねえ!いいねえ♪多分故障しないだろう)である。その筋では有名なメーカーである。

当然カードで支払うが、「円でいいか?それともユーロか?」と聞くので、通訳のCさんのアドバイスでユーロ払いにした。円にすると少し割高になるという。それでも15,000円くらいと、思ったより安かった。私が時計を買ったら、Cさんも欲しくなったといって別の時計売り場に行った。そうしたら東洋系の顔をした女性の販売員(60歳くらい)が、時計の紹介をしようとして目を丸くした顔になった。それはCさんが流暢な日本語で話をしているので、びっくりしたそうだ。その販売員はなんと日本人だった。彼女は私を音楽関係の人に見えたようで、この空港内で日本人が通訳を連れて買い物をしたのは、初めてだったといっていた。皮のリックサックを背負って、しかもジーパン姿ではコンサルタントには見えないだろう。そしてCさんはこの店で新しい時計を購入した。

いつも2つの国で鉄道の時計を見ているが、まったく同じかと思ったら微妙に針や時間の黒い棒が違っていた。スイスの秒針が赤色は同じだが、先端が丸くなっている。しかしドイツの秒針の先端は矢印になっていて、その途中は丸であって穴が開いていた。長針と短針も微妙に違い、スイスのそれは少し先が細くなっている。ドイツのそれは同じ幅になっていた。

 

カーニバルが始まった

2月の中旬には、ドイツ中でカーニバルが1週間続く。アパートのあるデュッセルドルフの昨晩も鼓笛隊が、20人ほどでアパートの通りを3時間以上も練り歩いていた。音がしなくなったと思ったらなんと22時半であった。まったくご苦労なことだ。行く先々の店で多分ビールを飲んでしばらくいて演奏して、また別な店で演奏しているようだった。日中街を散歩すると小雨にもかかわらず、きぐるみを着た二本足の動物たちが、顔にも化粧をして闊歩していた。檻もなく彼らは数百匹に達していた。デパートは近年になく、今年はこのきぐるみの衣装売り場が異常に広くなっていた。ドイツ経済は、昨年1兆ユーロの最高の輸出になったと1週間前に報道されたばかりだ。ドイツの景気は最高潮である。