海外こぼれ話 132                     2012.5

 

マンハイムでレンタカーを借りる

 南ドイツへの移動する機会が多くなってきたので、最適な移動手段を考えることにした。それはデュッセルドルフからマンハイムまで列車で移動して、そこからレンタカーにする方法が良いと判断した。大手のレンタカー会社も4社もあり、色々と試した結果SIXTをいう会社を選んだ。南ドイツ方面の移動の多くは、日曜日の夕方になることが重なった。レンタカー会社は、飛行場や大きな駅の構内や近くに隣接していることが多い。

マンハイム駅構内にあるSIXTの受付は、日曜日には午後2時までしか開いていないので、パートの係員を呼んで対応するようになっていた。そのパートの人は70歳くらい老人だった。日曜日はできるだけアパートにいてゆっくりしてから移動したいので、マンハイムには1730に到着する予定にしていた。SIXTの本社に連絡すると、午後2時以降はパートを雇うためにレンタカー代とは別に追加料金を請求された。何と40ユーロという高額な値段だ。

時間通りにマンハイム駅に到着したが、SIXTの受付は閉まっていた。いつものパートの老人はいなかった。本社に電話をすると、他の業務もあり今移動しているので、10分待って欲しいと回答があった。その間は指をくわえて待つことはできないので、隣の喫茶店に行ってコーヒーを飲むことにした。この会社は、その待ち時間に対しての費用は寛大であり、待ち時間の間のコーヒー代は出してくれる仕組みになっていた。ゆっくりコーヒーを飲んでいたら、15分遅れて老人ともう一人の連れがやってきた。別なところに行っていたのに何故連れがいるのかと詰問したら、実は連れは親戚の人であり、これが終わったら一緒に飲みに行くところだったと白状した。SIXT本社も適当な嘘をつくようになったのは、言い訳のために少し頭を使うようになったのだろう。

前回借りた時には、ガソリンが入れてなく清掃もしていなかったので、今回は大丈夫だろうなと念を押したら、老人は顔を真っ赤にしていた。一応恥じらいの気持ちは持っていたようだ。今回はチェコ製のスコダ車であり、初めて借りたが、フォルクスワーゲンの高級車のパサートと同等な車であり、最近の車業界の評価では、ドイツ車より品質的にも上回ってきたという。乗ってみると確かによい車であった。綺麗に清掃されてしかも、今回はきちんと満タンになっていた。運転の操作性も良いと通訳のMさんも良い評価を出した。しかしカーナビの反応は少し遅いことがわかった。車はチェコ製なので、ドイツ語に変換するのに時間が掛かったのだろう。

製造部長がクビになった

 ある会社で段取り替えについての講演依頼があった。製造の関係者をできるだけ多くの人に聞いてもらうために、2日間に分けて1時間ずつ講演を行うようにセットした。2つの工場から数十人の関係者の参加があり、彼らを前に講演を開始した。2日目の途中で、会場の後ろにいたA製造部長がなにやら周囲の人たちに何か批判めいたことを言い出した。講演の開始から少し遅れてきた社長が最後部に座っており、その話を聞いていた。私には何のことを話しているのか不明だったが、批判をしていることは感じていた。A製造部長は何度もこの講演を聞いていたので、不満だったかも知れないが、いつも同じことを説明することがないように心がけているはずなのに、何が不満か理解できなかった。しかも今回は工場長からの依頼があって、知らない人も一緒にこのテーマの話は聞くことはわかっていたはずである。

 その日が終わって社長に、別件で話をするように約束していた。社長の方からA部長を、今後講演やワークショップに金輪際参加させないと宣言があった。何かと思ったら講演の時に、やはり私の講演を批判したようであった。まさかA部長は、後ろに社長がいたとは思わなかっただろう。後から聞くとその週末には、社長からクビの宣告があり即退職させられたという。翌月訪問した時には、反対派のマイスターが心変わりして、賛成派になりつつあることも担当者から聞いた。さらにA部長がクビになったことで、職場の雰囲気が良くなってきたというのだ。A部長は表面的には良い顔をしていたが、とうとう本性を出したようで、しかも普段からかなり部下を押さえつけていたようだ。社長の権限はこの人事権にあるが、結果的には非常に良い選択だった。

ホテルの宿泊システムが故障

 毎月宿泊している南ドイツの「象さん」というホテルは、いつも決まった部屋を予約しており、今年も年間予約して風呂のある100号室であるはずだった。レストランの方は息子がやっていて、おじいちゃんは予約の方をぼけ防止で任されていた。しかしこの日は初めて、コンピュータによる宿泊予約システムを導入したという。出できた画面の文字がドイツ語ではなく、オランダ語になっていたのでおじいちゃんは錯乱したらしい。

いつも約束している100号室は、その操作を十分に知らなかったオーナーのおじいちゃんが、他の誰かに貸し出してしまっていた。おじいちゃんは、コンピュータは操作が上手くできなかったが、無理もないことだ。部屋数が20と少ないので、手書きで十分に管理ができるが、無理にコンピュータを入れること自体ムダであったと思う。ソフト屋にだまされたかもしれない。

部屋は予約でほぼ一杯になっていたが、残った2つの部屋で、今日だけ我慢することになった。204号室は狭く風呂はなくシャワーだという。入ってみるとトイレではロダンの「考える人」(実は地獄の底を見ている姿をしているのだが、トイレに行って気張っている姿しか見えない)のように頭を傾けると洗面台に当たるほど狭かった。シャワーの水は出たが、湯は10分も待っても出なかったので、結局シャワーも使うことができなかった。こうゆうのを踏んだり蹴ったりというのだろう。悪い時には悪いことが重なるものだ。翌日には元の100号室に戻してもらったが、やはり手でやる方が確実だ。

2つの会社からのプレゼント

この週は2つの会社が、合同でワークショップを行うようになっていた。2つの会社は300mしか離れていなく、しかも仕入先と客先の関係もあった。1日に両方の会社を行ったり来たりもしたが、頭の切り替えは大変だった。そう言いながらも頭のトレーニングとしては、非常に良い機会を得た。これは秋にもまたその機会があるので、良い体験になった。お互いの会社も異業種なので、同業同士よりも改善のヒントは非常に多くなる。印刷会社からは非常に感謝されて、ワインと1ヶ月ごとに個人名の入ったカレンダーを頂いた。これは1人の1冊の注文でも製作ができる代物で、デジタル印刷のデモンストレーションでもあった。欧州のカレンダーは月曜から始まるので日本では使いづらく、アパートで使うようにした。

もう一つの会社からは、夕食の招待があったので、これも有難く対応することにした。ホテルから15kmも離れた丘の上にあり、この地方でも有名なレストランだというのでワクワクしてきた。駐車場を見ると高級車が並んでおり、大体の料理のレベルが伺え、ますます期待は膨らんできた。店の玄関横に何か動く物がいたと良く見たら、何とヤギがいて庭木や草を食べていた。多分、後でこのレストランの肉に変身するかもしれないとウエイトレスに訊ねたら、食用ではなくあくまでも観賞用だというが本当だろうか。

店の中は暖炉にも火が点けられており、レトロな感じ良い雰囲気であった。招待してくれたKさんが目配せをして、ワインを推薦してくれたので早速白ワインのリースリングを頼んだ。期待通り美味い。さて次は料理の番である。前菜にホタテ貝のメニューがあったが、最近は海の素材もかなり出回るようになってきたので挑戦することにした。ワインとの相性も良かった。メインは赤ワインも飲んでみようと、ペッパーソースの牛肉のヒレステーキにした。ボトルではなくオープンワインといって、グラスに小分けできるワインがあるので、それで色々飲んで見ることにした。あれもこれもといって、結局4種類の赤ワインを堪能することができた。後は寝るだけだ。

ドイツから

アザレアに協賛してもらった

 ドイツ語の通訳として、もう13年前から付き合いのあるカースティン・クラーゲスさんを紹介したい。彼は高校生時代に仙台育英に留学したことがあり、そのことで日本語を勉強して、今は通訳とカイゼンのコーディネーターの仕事をしている。彼はミュージカルの舞台にも立ったことがあり、オペラもやっていたエンターテーナーでもある。私と一緒にセミナーをすると、まるでオペレッタをやっているかのように動き回り歌うように喋る。時には同時通訳的な状態になるほど、お互いのテンポが良い。毎日のジムと空手が趣味だ。

彼とはS社のコンサルタントのコンペで、2人で創作した大胆なプレゼンをして一番よい評価も得た。今ではそのS社のカイゼンコーディネーターも任されるようになったほど、評判の良いものを生み出せる力を持っている。このたびは30回記念ということで、アザレアのまち音楽祭の協賛をしてもらった。当然ドイツから期間中に演奏を聞くことは出来ないが、気持ちは倉吉に寄せてもらっている。アザレア室内オーケストラの指揮をしてもらっている松岡究先生とも面識があり、ベルリンで一緒にオペラも聴きに行ったこともあった。来年には、彼が住んでいた仙台の夏祭りに一緒に行こうと計画をしている。

チェコでは4ヶ国語での会話

チェコには毎年3回通っているが、いつも同じペンション風のホテルに宿泊する。そのホテルには、ドイツ本社からの派遣員が3人もいて、毎週ドイツから通っているというが本当にご苦労さんと言いたい。片道なんと6時間以上掛かっているから大変だ。しかも会話の言葉が、時にドイツ語から英語になることもあり、コミュニケーションを取るのに神経を使っているという。特に通訳を雇っているわけでないので、ドイツ語のできるチェコ人を介在して会話をしたり、英語同士で話をしたりしている。チェコの大学卒の人は、英語が堪能のようだ。

今回は半年通っていたFさんが最後の週になるということもあり、現地の人も一緒に食事会を開いた。総勢8人となったが、その会話に出てくる言語は4ヶ国語のチャンポンであった。私は当然日本語しか離せないので、それを通訳のシーコラさんが、チェコ語もしくは英語に直して話す。それを受けてドイツ人には、現地の人がチェコ語からドイツ語、あるいはシーコラさんが日本語を英語に直して、会話をつなげていく。シーコラさんは、日本語、チェコ語、さらに英語の3つの言語を操りながらの会話で、しかも食事なので大変だ。まるで会話の綾取りのような感じだが、ビールやワインが入ってくるとその会話は非常にスムースになってくる。

参加者はそれぞれ自分の好きなメニューを注文するが、同じものはないほど料理にバリエーションがある。しかもここはイタリア人直伝のピザも目の前で焼いてくれるので、非常に美味しい。今回はクワトロ(イタリア語で4つの意味)という4種類チーズがトッピングされたピザを頼んだ。その中身は、モッツアレラ(イタリア)、カマンベール(フランス)、ゴルゴンゾーラ(イタリア)、そしてエダム(オランダ)の各チーズが溶け込むように盛られている。今宵の食事会と一緒で、4つのチーズが一体となり美味しかった。しかし全部食べることはできないので、チーズの乗っている場所だけを食べることにした。栄養満点な部分だけなので、体重が気になってくる。ビールは、透明ビールの発祥地であるチェコのピルゼンのピルツナー・ビールにした。日本のビールのほとんどはこの透明ビールであるが、発祥の地はここチェコにあった。

最近のスイス事情

スイスのバーゼル市に移動した時に、金星と木星の2つの星が、いかにもお互いがくっつくように近づく「合」と呼ばれる天体ショーを見ることができた。宿泊するホテルバーゼル市から25kmも離れており、さらに山の奥に数km入った一軒家だったので、この2つの星の輝きをはっきり確認することができた。次第に暗くなってくると、二等星、三等星、そして満天の星も観察することができた。満天の星が見えるようになると、鳥だけではく獣の鳴き声がホテルのすぐ近くで2時間以上も聞こえた。ふらふらと夏に夕涼みに出ていれば、獣が襲ってくる危険もあるが、ホテルの従業員は心配ないだろうか。もしかして夜の料理に登場してはいないだろうか、それなら肉代のコストダウンができる。

毎年通っている医療機器の会社は、このところスイスフランの高騰により経営が厳しくなってきたという。世界の通貨で高騰しているのが、日本の円とスイスフランだけである。聞いたところによるとこの会社では、間接部門の人をリストラしたそうだが、まったく業務に影響はなかったと言う。つまり多くの余剰人員を抱えていたことがわかり、将来的には良い選択をしたという。スイスの失業率は1%なので、どこでも就職先があるので心配ない。ただし製造の人は私の教えの通り1人もリストラしなかったといい、会社で付加価値を生み、ノウハウを持つ貴重な人財は確保したようだ。このお蔭で黒字を確保できた。

この会社のカイゼンはゆっくりとしているが、毎回確実にステップアップし、後もどしがないことが特徴である。製品の納期遵守率も80%だったが、今では98%まで向上してきた。スイス人の特徴がそのまま反映されている。彼らの仕事も精密なことをやるようで、自分で加工し製作した治具を分解して再組立する時に、精度が良過ぎてお互いをはめ込むことが積むかしいほどの作業を見ることができた。今スイスでは、数百万円以上機械式時計がどんどん売れているという。しかもその顧客はアジアだという。最近はスイスフラン高騰でもアジアからの観光客は増えており、それが今スイスを支えているというほど景気が良いようだが、多分中国だろう。チェックアウトした後に会社に電話があり、私のケータイが部屋に忘れていたという連絡があった。この辺も律儀だ。

スイスへようこそ

 この会社の駐車場には、ハローキティーをペイントした(これ痛車というらしく、イラストなどフィルムにしてバスや飛行機などにも貼り付けている)小型車がありそれを見つけた。保守的な人たちであるが、かなり自由なことも感じた。バーゼルの隣国がドイツとフランスがあり、バーゼル空港は3つの国をまたいでいる珍しい空港だ。このため最近名前が変わり、ユーロ空港となった。このように1つの企業の中にも、スイスだけでなく、フランス、ドイツからも通勤しているのが当り前になっている。しかもその話す言葉も違うので、意志疎通はかなり苦労しているようだった。スイス語はドイツ語の方言のようなもので、スイスは谷が違うと方言も違うというほど微妙である。しかし彼らの会話の時には、ドイツ語らしく説明してもらっている。

 スイスには泥棒が非常に多いというが、その泥棒とはルーマニア人の14歳以下の子供であった。スイスとドイツの法律は14歳以下には罪は科せられないので、例え捕まってもお咎めなしである。それをいいことにルーマニアは国策として、スイスで泥棒を子供にされていると聞いた。子供は平気で盗みを繰り返すと、大人になってもその習慣は取り去ることは無理だ。何と非人間性なことを奨励しているかとこちらも腹が立つ。またスイスの男性に喧嘩を売ってはダメだと諭されたが、スイス人は徴兵制度があり、退役後は皆さんが拳銃を持っているという。そのために喧嘩すればドカンと一発やられるというので、注意しなさいと助言があった。皆さんもスイスの観光には、ご注意を!

 バーゼルからデュッセルドルフに帰る飛行機を手配したら、「Easy Jet」という航空会社の便しかないという。非常に安いチケットだが、荷物を預けると30ユーロも請求された。また席はすべて自由で早い者勝ちという。しかも受付カウンターでチェックした後にバスで飛行機まで移動するかと思ったら、300mも屋根なしの歩道を歩いて飛行機に辿り着くようになっていた。雨や雪だったらどうなることやらと感じたが、ここまで費用削減しているのは驚いた。