海外こぼれ話 134                    2012.7

 

34年ぶりの憧れのワインを飲む

 

 南ドイツのフランケン地方は、白ワインが非常に美味しい地域であり、気質としては保守的な民族で構成されている。いわば古き良き物を何時までも大切にする精神が実に浸透している。モノづくりには、この気質が伝統をしっかりサポートしてくれる。ワイン作りも昔ながらの製法を実直に守っているようだ。34年前に初めての海外旅行はドイツとオランダであり、当時一人で飛行機のチケット、鉄道のパス券、ホテルの予約などすべて準備したことを思い出す。

安い飛行機のチケットを探して、シンガポール航空を選定した。シンガポール空港について、いきなり「飛行機から降りろ」と指示された。なんでドイツに行くのに、当惑しながら途中下車ならぬ途中下機?した。その時トランジットという乗り換えがあるなんて知る由もなかったが、隣にいた米国人がパリに行くので、乗り換え場所に連れて行ってくれると誘導してくれた。ドイツ行きの乗り場に来て、初めて別の飛行機に乗り換えることを知った。今はもう笑い話だが、その時は心臓が止まるかと思ったほど慌てふためいていた。その時の顔写真を撮って置けばよかったと悔やまれる。教訓として、困った時はすぐに大きな声を出して助けを求めると誰かが助けてくれるものだ。結局フランクフルト空港に到着したのは、日本を飛び立ってから28時間も経っていた。現在は直行便となって、12時間で到着するが本当に便利になった。

 ドイツ国内を回っていたおりに、フランケン地方のヴィルツブルグのワインで「ルンプ・ワイン」を飲みなさいと知人から教えてもらい、そのワインを探した。ボックステイル(袋状の形状)の緑のボトルから注がれる白ワインを飲んだが、ドイツに来て飲んだ最初のワインであり、その美味しさに感動したことを思い出す。訪独するまでは、ドイツ=ビールとソーセージのイメージしかなかった。今回その「ルンプ・ワイン」を再び飲む機会を得た。商工会議所の知人から一緒に仕事しないかと誘われ、Amberg市のレストランで会食した時に、そのワインに34年ぶりに巡り合った。注文してからはハエ男のように両手をスリスリしてしまったほど、待ちわびた瞬間であった。

この地方には何度も訪問したが、不思議に巡り合えなかったワインであった。しかも後日相談のあった知人から、企業の紹介があった。この「ルンプ・ワイン」の特長はサラリとした甘みにビシッとした強さを秘めている味で、香りはとてもフルーティーだ。このワインが余りにも美味しくて、散財してルンペン(つまりルンプ)になったという逸話のあるワインである。

 

デュッセルドルフの旧市街で結婚式

 

アパートのあるデュッセルドルフ市は60万人の都市であり、わが鳥取県の人口より多く人がわずかの土地に住んでいる勘定になる。そして駅前通りに数百mの位置にあり、移動と買い物には非常に便利な場所にある。人は好きであるが、人混みは大嫌いであり、都会で行列を作ってまで待って食事をすることが性格上できない。適度な運動も必要(減量対策も)であり、週末は2時間程度の買い物兼散歩をするように課している。道中の景色もよく写真の題材にもなる場所は、このアパート生活10年間でほぼ収束して数パターンがある。いずれにしても2km先のライン川に通じる道ばかりであった。“すべての道はローマに通じる”というフレーズが浮かんできたが、その通りであった。

実家のある琴浦町は砂浜があり遠浅の海岸で海水浴もできるが、子供の頃は野球などをして夕陽が海に沈む光景を何度も見てきた。だから海、川といった水を見ると心が落ち着くので、ライン川まで散歩に行くのはそのせいかもしれない。天気の良い土曜日は買い物も散歩も絶好の日だ。今日の帰り道は、教会のある道を選んでかえろうとしたら、いつも人が少ないのに人ゴミ状態になっていた。タイトスカートのご婦人やスーツを着た紳士らしき人たちが集まっていたが、ちょうど教会で式を挙げたカップルを囲んでの宴会だった。

そうなるとどうしても目が行くのは新郎新婦のお姿になってしまうのは、野次馬根性の固まりか、それとも小庶民のおせっかいか。一番奥にその後両人が、お祝いをする人たちと握手をしたり、ハグしたり、談笑していた。新郎を見てハッと思ったが、何と彼は頭にまったく毛が、いや髪がなく完全なツルツル頭であった。太陽がそのまま反射して逆光になって、写真が撮れなくなるか心配したほどだ。新郎の年は三十路か、新婦もそれくらいか、いやいやこの場面では25歳にしておこう。欧州の男性は、髪の毛には執着はほとんどない。むしろ散髪が不要でドライヤーも不要だと頭を叩いて笑い飛ばしていることが多い。幸いわが家の系統は、髪がなくなることはなく白髪になるようだ。

テーブルを見るとシャンパンとビールだけが用意されていて、オードブルのようなツマミは一切なかった。日本の結婚披露宴とはいささか様子が違うようだ。しかし皆さんの喜びに溢れた顔を拝見するのは、気分も良くなるもので帰りの歩は非常に軽く感じた。帰ったら買い物を忘れていたが、これはもう年なのだろうか頭の中身がちょっと心配になってきた。

 

ローマはドイツにもあった

 

もう6年以上も通っているC社は、ドイツ国内だけでなく世界中に工場を持っている。そこで次ぎは「ローマ工場」にも指導をして欲しいと本社の改善担当から依頼があった。「ちょっと待って、待って」と反論を申し出た。イタリアはワインと食事は最高だが、仕事の面は国民性で問題があるので辞退したいと切り出した。するとこの「ローマ」はイタリアではなく、ドイツのケルンの近くの「Lohmer」だという。そういえばそのような工場があったことを思い出したが、「L」と「R」の発音の違いはまったく聞き取れないので、このような誤解となった。このケルンもドイツ語では、「コロン」と聞こえる。そうオーデコロンの「コロン」の地名である。

今回はその工場にも初めて訪問することになった。工場に行くと数人の見覚えのある顔が数人いた。本社工場の改善に何度か来ていた人たちであったので、初めての工場訪問という感覚はなかった。今まで本社関係だけの訪問であり、彼らは手招きして待っていたのでやる気満々であった。講義から現場観察、そして改善まで非常に熱心に取り組んでよい成果を出してくれた。人の説得には、権威、論理と感情の3つが必要といわれているが、最後の感情に訴えることを最近は特に重点を置いてコンサルしているが、この工場も瞬く間にやる気に火が点いたようだ。すぐに良い結果を出してくれた。

工場内を巡回中に古い設備があり、よく見たら日本製のO社の旋盤機械があった。凄く古いようで銘板に刻印されている製造年月日を確認しようをしたが、見つからなかった。製造部長が気になったようで調べてくれたら、何と1954年製だった。私は1953年生まれなので1歳違いだ。しかも現役で毎日切削しているのだ。ドイツは古いものを上手に使いこなす文化も能力も持っている。それとともに丈夫で、長持ちしている日本製機械も世界に誇れるのだと感服した。

 

ローマのイタリア料理

 

この工場に訪問した翌日がホテルのレストランが休みだったので、工場の人たちからイタリア料理の美味い店を紹介してもらった。その店は小さな城砦のような造りになっており、門は真っ赤に塗られていたが窓も綺麗に配色されていた。その中は石畳になって何軒かの店も連なっていた。早く到着したら一番客になった。早速店主らしきイタリア男が挨拶に来て何と日本語で、「コンバンハ」というので驚いた。なぜ日本語を知っているのかというと日本のコピー機のメーカーに勤めていたという。

ついでに英語、ドイツ語も出来ると自慢し始めた。なるほどたくさんの会話が出来ると感心して、なぜそんなに勉強したのかと彼に訊ねた。するとニヤッとウインクをして、「語学はその国の女性から直接教えてもらうのが一番良い」と答えてくれたが、さすがイタリア人だ。営業をやっていた人が今やレストランのオーナーになっていた。

よくイタリアンレストランで頼む白ワインがなかったので、それに近いお勧めのワインを紹介してもらったが期待通りだった。前菜の“鴨の胸肉とルッコラのサラダ”はサービス満点というか凄い量だった。格闘しながら前菜を食べかけていると次々とお客が入ってきた。美味しい店は人を吸い寄せるようだ。最近はインターネットの情報網から検索して初めての客も口コミでなくてもやって来るので、人気の店は予め予約に必要な店もドイツでも出て来ている。店の入り口には、ワインを仕込むための皮袋がいくつか飾りになっていた。やがてメインのキノコソースがたっぷり掛かった大きなステーキがやってきたが、楽しい会話とともにすべて胃袋に押し込むことができた。

 

ベルリンの市内観光

 

ベルリンは仕事で何度も訪れたことがあるが、ゆっくりと観光をすることがなかったが今回はその機会に恵まれた。ベルリン市内を横断しながらシュプレー川から市内を眺める観光船による1時間のツアーに参加した。観光船が川(運河のようだ)のあちこちで行き来しているので、適当な停舶場よりお金を払って乗船すればよい。停泊場には手動の時計が出発時間を表示していた。気持ちの良い天気だったこともあり、川に流れる風は実に爽快そのものだ。

他の観光客に混じって日焼けした船頭さんのアナウンスに耳を傾ける。いつも思うが水面から見上げる風景は、立っている視点と違って足元から上が見えるので視界が広く感じる。しかも座ったままで首振り人形のように、自由に景色を眺めることが出来る。歩きながらだと安全のことが気になって、景色に集中できない。メルケル首相が住んでいる首相官邸もこの川のそばにあり、外観を眺めることができた。食事をする部屋も見えたが、監視用のカメラもたくさんあった。腰を落ち着けてご飯くらいゆっくり食べたいものだが、つくづく庶民でよかったと思った。この川に沿って旧東西のベルリンの境界もあったが、今は完全に面影はない。

またこの川の中州には、世界遺産になっている“博物館島”と呼ばれる地区があり、色々な博物館や美術館の建物が5つも集まっているので観光には非常に便利だ。この中に「ノイエス・ムゼウム(新しい博物館)」があり、そこにはエジプト新王国時代の「王妃ネフェルティティ(美しい人の訪れの意味)の胸像」があるので、この際に是非とも見せたいと通訳からの推薦があった。中に入るとひんやりとした空気で、ピラミッドの中に入っていく雰囲気があった。

目指す彫刻は案内図からは、読み取れなく何度も聞いて辿り着いた。実物とは少し小さいかと思うくらい可愛い胸像で、でも実に美形の顔立ちであった。当時戦争がありすべての物が破壊されたが、この胸像だけはその破壊行為から免れた。それは左目がまだ挿入されていなかったため未完成品であり、それが現在まで存在した奇跡になっている。何度もその周囲を舐めるように見たが、見とれるほどの魅力があった。その他にもエジプト時代の美術品や実用品などが数多く展示されており、タイムマシンに乗った気分になれる。他にも「ベルガモン・ムゼウム」などもこの近くにあり、入場料金の14ユーロを払えばいずれの建物を通しで観て回れる便利なチケットがある。

またベルリン市内からはどこからでも見ることのできるテレビ塔が旧ベルリン地区にある。1時間でグルリと回転するレストランなどがある展望台の入った球形であるテレビ塔だ。しかしその球形部分に太陽の光が当たると窓ガラスが光って十字になって見える。これは宗教的に問題があるようで、当時意図的に設計したのか、それとも偶然になったのかと物議を醸し出したそうだ。

 

移動式屋台を発見

 

この観光船が停泊する橋のたもとに、初めて見る奇妙なソーセージ売り屋があったので紹介しよう。普通ソーセージやビールなどを売る時は、移動できるようにタイヤのついた屋台を用いる。ところがここのソーセージ売りは、一人の男が背中に燃料を背負い、お腹には駅弁スタイルで特別仕立てのバーベキュー用コンロを装備していた。その事実は写真にてご覧頂きたいが、まるでチンドン屋の姿だ。言い換えるとオイコを背負って、駅弁を入れた番重(バンジュウ:肩さげ台)を首からぶら下げているスタイルの一人二役の姿である。ソーセージを駅弁のコンロで焼いてパンに挟んで売っているが、その珍妙な姿に誰もが吸いよせられる。しかも値段は普通のほぼ半額という安さだ。それは屋台の固定費が不要なので、この値段で勝負できるのだ。

一人で一日中立って商売をやるのは大変だろうと、しばらく様子を見ていると相棒が隣にいた。それならトイレ交替もソーセージの補充も、相棒がいればこの商売は問題ないと合点がいった。このチンドン屋方式は、なんていっても移動が簡単であり、場所要らず、しかもパフォーマンスもでき、宣伝効果が抜群だ。観光よりもこの光景の方が目に焼きついてしまった。コンサルタントで企業訪問をしているが、このような改善事例は実に目からウロコという発想のものだと紹介している。アイデアとは異質なものの組み合わせであると考えると、まだまだ奇抜な組み合わせはあるはずだ。固定観念、先入観を外すことだ。

 

ベルリンの企業の表敬訪問

 

ベルリンには友人が何人かいるが、今回は3人に会うことになった。一人はGさんで、今社長の就職活動中で状況確認を確認した。前からの約束でディナーに招待してもらった。彼には社長の推薦状を書いてあげて、内容が非常に良かったので是非ともお礼の食事をしたいと申し出あったのだ。紹介されたレストランはテニスクラブが所有するもので、ちょっとした金持ちが集まる場所のようだ。彼も非常にワインが大好きで、嗜好も合うので話も弾んだ。食事をしているとシェフ自ら挨拶に来た。「グリュース・ゴッド(南ドイツ地域で使う挨拶)」というので、南ドイツ出身かと訊ねたらそうだというので、またそこで話が弾んでしまった。来年からは定期的な訪問が出来るようにと祈った。

翌日には、2年前まで訪問していた企業に挨拶に行った。Mさんとは2年ぶりに再会をした。この2年間はどうしていたか詳細に伺ったら、別のテーマを実行していたので、どうしても1つに絞らざるを得なかったと釈明があった。でも来年からしっかりと再開すると約束があった。工場視察をするために一歩工場に入ると、一目でわかるほどカイゼンが実施されており、以前よりレベルアップしていたのは驚いた。教え通りに皆でカイゼンを進めているので心配ないと、Mさんも笑顔で答えてくれた。工場内ではカイゼンメンバーがあちこちにいて、皆さんが「オハヨウ」と手を振って挨拶をしてくれた。皆さんが私を待ち構えていたようで、久しぶりの再開にホッと安堵した。カイゼンした事例を張り切って説明してくれる姿に、期待以上の活動をしてもらったのでワクワクとしてきた。来年からの再開が非常に楽しみだ。特に間接部門は取り組みに自主性を発揮して、フロア全体が非常に整理整頓された職場に変わっていた。

もう一人はその会社の向かいの敷地にある工場のWさんだ。彼は製造部長であったが、出来の悪かった社長をオーナーと一緒に追い出して社長になり、1年間で赤字を黒字にして、さらに今年は利益率を10%以上にしようとしていた。本当は20%以上にもしたいそうだが、少し自重することにしたようだ。この劇的変化はトヨタ生産方式によるヒントとWさんの意気込みの賜物であった。間接部門は大部屋化にして情報を一元化したことにより、停滞と間違いが大幅に減り、正しくしかも素早く情報が流れるようになった。さらに製造部門は生産管理板を設置して、これも情報の共有化と目で見る管理を徹底的に実施した。9ヵ月前に比べると工場内の仕掛は、半分以下になってスッキリしてきた。

さらに社員の多くにやる気が出てきて自主的にカイゼン活動に取り組むようになったという。さらにこの半年間で自作のロボットを4台も製作して、無人化ラインも作ったといってその生産ラインを見せてくれた。それは私の教え通りにお金を使わないで、しかも簡単にできるロボットを工夫していた。このように1年で一気に製造だけでなく、間接部門も一気に取組めたのは強いトップダウンの意志の表れだ。来年からの取組みが楽しみになってきた。