海外こぼれ話 135                    2012.8

 

1000年以上の

歴史のある村

 南ドイツのLauffenとい歴史の古い町は、通い始めてもう2年以上にもなる。実は数Km離れた隣町には7年も通っている印刷会社もあり、何度も車で通っていた町だった。今ではその会社同士が訪問しあって定期的に改善活動を行っている。いったん通い始めたら、ほぼ毎月のように訪れるようになった有難い会社になってきた。この地方一体はワインで有名な産地で、ドイツで珍しく赤ワインの美味しいものが手に入るので、通うことに俄然動機付けができる。

そこの工場長がひざの手術をするということで、お見舞いの絵手紙を描いておいた。それは工場長が松葉杖をサッカー選手のように蹴飛ばした絵を絵手紙にして、「早く元気になりますように」と描いたものだった。そのお蔭かどうかわからないが手術の結果は非常に良好であり、予定より早く治り会社に出社することができたと大喜びであった。そのお礼も込めて、工場長自ら松葉杖なしで、この町の特に歴史のある家並みを紹介してくれた。

 いつも食事の招待を受けているレストラン「SONNE(太陽)」のある石畳の坂を歩いてくと、家々の壁が何度も塗り替えたことが見えてくる。これだけを見ても歴史を読み取ることが出来る。納屋の木で作られた扉も風化しており、年輪のところが浮き出ていた。中には屋根がひしゃげた家があり、その家の壁はピンク色に塗られていたが、日本ではありえない光景だ。

そのような家々を探索していった。ネッカー川のそばに小さな石造りの小さな家があり、これを紹介したいと工場長が説明してくれた。それは今では民家になっているが、1274年に作られた牢屋だったという。何と700年以上も前の石の外壁がそのまま保存され、しかも現在では人が住んでいるというのは素晴らしいことだ。中をのぞくと綺麗に整理整頓されていたが、やはり見物客がいるからだろう。見られることは、家も人も美しくするものだ。南ドイツの保守的な性格がそのまま歴史を作っている。

イギリス風のパブに侵入

 ドイツの夏の夕方は陽も長く、凪になるのでクーラーは必要がないくらい過ごしやすい。従って普段は道路や通路に机や椅子を持ち込んで臨時の屋外レストランにしてしまう。しかもほとんど日本の夏に付き物の「蚊」がいないので、蚊取り線香も不要であり屋外での飲食をするのが夕涼みのようだ。今回も屋外で食事をした。その後、近くにイギリス風のパブがあるから、そこでスコッチを飲もうということになった。先の散歩道の途中にその店はあった。中に入ると、イギリスのスコッチが森の木のように並べられていた。ドイツでイギリス風のパブは記憶がないくらい珍しい光景であった。早速スコッチをもらい氷でくるくる回して香りとともに舌に絡めた。

 すると見たことのある顔が別室から出てきた。それは訪問している会社のカイゼン担当の人たちであった。彼らには何も連絡をしていなかったが、何たる偶然であろうか。彼らは地下室のようなところから出てきたので、何をしていたのか訊ねるとサッカーのヨーロッパ・カップの試合を大きなスクリーンで見ていたという。誘われるまま地下室に行くと、スクリーンの前で数十人がスペインとアイルランドの試合を観戦していた。試合は3対1でスペインが勝ち、その後優勝したのは皆さんもご存知だ。彼らと観戦していたが、こちらの人のサッカー熱は非常に熱いものを感じる。生活の一部にサッカーがあるかのようだ。グラスが空になり試合が終わったら、もう22時半だった。

ブラッケンハイムの

ワイン祭り

 翌日は隣町のブラッケンハイムでブドウ畑の中で3日間にわたるワイン祭りがあるので、招待したいと申し出があった。これは日本酒でいえば、新酒のお祝いと同じで披露しながら皆で飲む風習がある。飲むことに何とか理由をつけたいのは飲兵衛の考える浅知恵であるが、世界共通の行事だ。2日間は車が置けないほど大勢の人が参加したというので、夕方の6時から陣取りを行うようにした。夕方の6時といえばドイツはまだまだ昼間のように明るいので、早くからワインを飲むのは遠慮したいと思うが祭りなので、空が明るい暗いは関係ない。祭りの会場は一面の畑の中にオーストラリアのエアーズ・ロックのような台形状の山の左側に設置されていた。特に駐車場はないので、道端に車を置いて会場に向かったが、一面ブドウの木が一杯であり圧倒される風景だ。このたくさんのブドウの実を食べないかと心配になるが、ワインにするブドウはそのまま食べても不味いというので誰も取って食べることはしない。

 クリスマスマーケットのような移動が出来る露店が何軒も出ており、中には大きなテントもありそれは料理を作るレストランになっていた。工場長は地元の人なので、3軒のレストランを良く知っており、この料理はどのレストランが美味しいなどと解説をしてくれる。席を取って最初の白ワインをボトルで頼んで乾杯しようとしたら、工場長のお母さんが登場された。といっても偶然にお母さんも出かけてきたそうだ。しばらくすると工場長の奥さんも近所の人と一緒に現れた。これは申し合わせかと工場長に訊ねたら、まったくの偶然だという。数人で行ったのでボトルのワインはすぐに空いてしまうので、結局4種類で5本のワインを飲ませてもらった。いずれもスッキリした香りと味わいであり、今年の新酒だと頷けた。

飲んで食べて踊って

 やがて一人の男性がギターを持ってカントリーソングやフォーク、そしてポピュラーな曲を演奏し歌い始めた。すると中年のダンス好きの夫婦が踊り始めた。若い女性も踊り始めたので、私も一緒に踊ることにした。若い女性は目が合った瞬間に手を出すと乗ってきたので、ジルバを踊ることにした。クルクルと女性をターンさせてもすぐに反応してくるので、止められない、止まらないという状況になった。お腹も減ってきたので、ストロガノフ風のスッペツレ(ショートパスタ)を頼んだ。スペッツレは南ドイツのバイエルン地方のいわば郷土料理であり、それに色々なトッピングをすればよい。このスペッツレの作り方は見たことがなかったが、テントの中でコックが手際よく仕込んでいたので、カメラで撮影をさせてもらった。コックさんは、「日本に持って帰ってやって見なさい。」といってくれたが、地元のものははやり地元で味わうのが一番だ。

 スペッツレは、小麦粉、卵(これが入っているので、麺の色は薄い黄色だ)、塩であり、これを練ってドロドロにしておく。それをナイフで取り上げて、羽子板のような板の上に塗りつけ、ペタペタと形を整える。そして大きな鍋に湯(色を見るとコンソメ風の出汁も入っている感じ)にナイフでそぎ落としながら、鍋に投げつけるように投入する。見ていてかっこいい!と叫びたくなるほど素早くしかもリズミカルだ。これは中国のちぎり麺のようだ。大きな塊から小刀で細切れにして鍋に入れるスタイルは、麺をうどんやラーメンのように伸ばして畳むという繰り返しがなく、麺も非常に短いのが特長だ。湯掻く時間はすぐで、湯から浮かび上がるとそれでよい。褒めると注文以上に何度も作ってくれたが、うどんのように伸びてしまわないか心配になる。

 7時になると会場は人でいっぱいになったが、空から雨が降り出した。人は慌てて屋根やテントのある場所に移動する。そうすると隣同士が接近するので、話が弾んでいく。にわか雨のようであり、またすぐに雨が上がると椅子を広げ始める。何度もにわか雨が降ったが、ここに来ている人たちは一向に気にする様子もなかった。このように飲み会の雰囲気が良いとカイゼンの成果も正比例していく。いつものように良い結果が得られた。

チェコのホテルとレストラン

 チェコのSumperk市(プラハ市から東に車で4時間)にはC社のドイツの子会社があり、本社の意向で毎年3回は訪問することになっている。今回の通訳は、2年前に妊婦さんだったベロニカさんと久しぶりにコンビを組むことになった。今回産後で初めての外泊をするので、子供さんは随分と泣いたという。彼女はダンス、音楽、ヨガなどもやっているので、リズム感が良いのでツラツラと翻訳をしてくれる。二年半ぶりのコンビネーションは問題なかった。

 いつもその工場に訪問する時はこの町の郊外のペンションに泊まるが、今回は街中のホテルになってしまった。工場には5分と近かったが、食事が心配だった。案の定、その想定は正しかった。4つ星ホテルなので普通は料理も良いが、このホテルのレストランはまだ共産時代の名残があった。今回は7人の団体だったので、個室を取ってもらったら、少しウェートレスには見にくかったようで、対応が遅く、次ぎの注文を取りになかなか来なかった。チェコはビールの本場であり、以前のペンションのレストランも色々なビールやワインがあったが、このレストランはわずか2種類のビールしかなかった。オープンワインも頼んだが、赤も2種類しかなく2つとも美味しくなかったのでガックリきた。

 こうなると料理の味も想像できるようになる。美味しいとはいえない予想通りの結果であった。さらに朝食は7時からというので、その時間は講義の始まる時間なので、6時半からにしてもらえないかと頼んだがダメであった。その代わりに夜の間に朝の弁当を作って部屋に持ってくれることになった。夜の食事が終わって部屋の弁当を見ると、ナイフ、フォーク、スプーンがなかった。パンにバターを塗ることも、ヨーグルトを食べるのも、ハムやチーズを切るのも、手でやってくれという嫌がらせのようであった。翌朝レストランを見ると準備のお手伝いさんが既に朝食の準備を終えていた。早く食べることができないかと交渉してもらったが、ダメの一点張りだった。まったく融通が利かないので頭から湯気が噴出してきた。もう絶対に次回から使わない方針にした。

Sumperk

市内の家並みの美しさ

 悪いことばかりではなく、以前のペンションとは逆の方向にホテルがあったので、市内の中心を通ることになった。いつもは最短距離で通勤のラッシュに遭遇しないようにして工場に通っていたので、街中は知る由もなかった。今回はカーナビが利かなかったこともあり、何度も道を訊ねてようやくホテルを探す羽目になった。しかし道に迷っている間に、一戸建ての綺麗な家並みに気づくおまけがついた。しかもホテルから歩いて数分のところにあったので、散歩がてらに写真も撮る機会も得ることができた。

 仕事は5時までなので、散歩には十分な時間があった。天気も良く、家並みの色や形も面白いものがあった。一戸建てなので、塀だけではなく庭も見ることができたが、犬も庭に放し飼いになっていて、突然吠えられて心臓が口から飛び出ようになったのは一度や二度ではなかった。やはり忍び込む人間がいるらしい。ドイツの家並みは国の規格で決まっていて、ほぼその通りに造られるので、余り面白い家は期待出来ないが、チェコの建物は割りと自由な感じで作られているようだった。

 一気に数十枚の写真を撮ることができるほど、題材というか家並みの美しさは尋常ではなかった。色や形が様々であり、見る側にとっては楽しかった。大きな家は表札を見ると三軒の家族になっていたが、大きな屋敷を一軒で賄うのは、かなり裕福でないとやっていけないだろう。通訳のベロニカさんに訊ねたたら、この地区は90年前に建てられた建物で、当時はドイツなどの裕福な人たちが住んでいたという。それでかなり高級感のある建物や庭が、形成されたかと想像できた。この建物だけでもヨーロッパの家並みの個展ができるほど内容が濃いものであった。料理やサービスが悪くとも、何かしらいいものが存在するものであり、この海外こぼれ話の話題になにかと登場出来る。

着実に成長を続ける工場

 この工場は通い始めて3年になるが、ようやく定着してきた。当初はセミナーを終えた後に、現場観察をしないでそのまま自分の作業場に戻ったり、反発して駄々をこねたり、集合時間に遅刻をしたり、色々と問題を抱えていた工場であった。回数を積み重ねることで、彼らも次第に理解をし始めてきた。集合時間に遅刻をすることはなくなり、発表の時間もダラダラしないで、シャキッとしてプレゼンもし始めてきた。それに伴って成果が目で見えるようになってきたので、反対派も次第に納得するようになってきた。これは地道な本社からのサポートの効果も大きく影響している。半年間毎週ドイツから6から7時間も掛けて訪問して5日間懇切丁寧に指導してきたことが非常に大きな効果を発揮したと思う。やらなければ変わらないことも指導する側、指導を受ける側の双方が感じ始めた成果だと思う。これはコミュニケーションの重要性が証明されたことと等しいと思う。

 人材育成にはまだ遠い状況下にありながら、それでもできことはやってみようという精神が芽生えつつあることを感じざるを得ない。この地域にはその他にも名だたる日本企業の工場が進出してきているが、単なるコスト削減でなく、本当に良いものを作り出そうとしているように思える。人間は考え方次第で大きく変化できることもこのような国で感じることも出来るようになってきたのは、コンサル冥利になるかもしれない。ドイツと違って後もどしも非常に少ないことはいいことである。 

新規客先に予備診断の訪問

南ドイツの黒い森の北にあるCalwという非常に珍しいCから始まる町(どう考えても村だなあ)に、新しくコンサルして欲しいという要望があり出かけた。Suttgartから谷の隙間を縫うようにして車を走らせて、約1時間谷の底を目指すような地形の村を目指した。通訳も初めて訪れたという村だったが、木組みの家並みを見ただけでも古い町には間違いなかった。小さい企業ながら納品する製品は大手の自動車企業や電機メーカーが多くある堅実な企業だった。

別なコンサル企業の指導を3年間受けていてかなりの自信を持っていた。言うことは素晴らしいことを並べ立てるので、この高い鼻をポキンと折ってやろうと別な意欲を掻き立ててくれる。簡単な自己紹介と企業哲学、さらに現場診断の見方を説明して現場に出かけることにした。自信を持ってカイゼンしたことを説明してくれるが、レベルはお世辞にもよいとはいえなかった。このため教育的指導も必要かと思い、B29的爆弾を投下することにした。爆弾の調合は非常に大好きで、どのようなこともすぐにできる。特にガンガン攻めることは非常に燃えてくるので、次々と指摘項目が目に入ってくる。

現場観察の最初は物流部門になったが、気づき項目を機関銃のように、間髪入れることなく発射したので、彼らは反発できなくなる。彼らの持っていたい自信は、一瞬で崩れ去った。これは快感になっていく。変な自信はカイゼンには不必要だ。これを払拭して正しいやり方と考え方に置き換えていく。その意味を次第に彼らが納得し始めると、目の色が段々と輝き始める。なんて俺たちは馬鹿だったのかとわかってくると、素直になってくるが、これが可愛いのである。今までのコンサルタントは5日間掛けてやっていたことを、私のやり方だと1日か2日間でやりとげることができるので、目を丸くして驚いていた。そうこれは魔法か、手品か、いかさまか?いやいや、ちょっとしたヒントの出し方だけに過ぎないのだ。彼らは俄然やる気になった。

宿泊したホテルは4つ星だったが、至る所にヘルマン・ヘッセの水彩画が飾ってあった。彼は文学者(ノーベル賞を受賞)であって画家ではなかったはずだ。それは間違いで彼の生まれ故郷がこのCalwであった。そういえば、私もコンサルタントはするし、文章も書き、イラストも描き、写真も撮る、いわばマルチ人間だ。ドイツ語を40年前に習った時に彼の作品をドイツ語で読んだことがあった。今はドイツ語をまったく読めず、書けず、話せずの三重苦になっているが、それでもドイツとドイツ人は大好きである。そのホテルの夕食時に、向かいのテーブルに東洋人らしきご婦人がおられたので、「今晩は」と声を掛けたら、何と姫路からの旅行者であった。世界は豆のように狭いことを実感した。