海外こぼれ話 99    松田龍太郎(在デュッセルドルフ/ドイツ)               2009.8

 

ハンガリーと日本の国交は

今年で140周年

ハンガリー商工会議所主催のセミナーがまた今年も行われ、デュッセルドルフ空港から直行便でブダベスト空港に向かった。出迎えは前日日本から帰国したばかりの女性通訳のキッシュさんKiss Ilona ハンガリー日本語教師会会長:社交ダンスでは、ハンガリーでナンバーワンという経歴の持ち主)と、商工会議所からは男性のコロシュさんだ。もう何度も一緒にこのメンバーと仕事をしているので、すぐに打ち解けて車で2時間半東方面に移動する。ポーランドはまだ高速道路が整備されていないのを知っていたので、ハンガリーにドイツのようなアウトバーンのようの高速道路が整備されていたのは、少し驚きだった。しかし走っている車は少なく、まだ車は庶民には簡単に所有は出来ないらしい。

早速近情を話し合うと、ハンガリーも非常に不況で仕事が急に少なくなったという。キッシュさんのお父さんが日本大使館の館長だったことで、彼女は日本語の通訳をやり始めた。その技量は、今年も秋篠宮殿下がハンガリーにお越しになられたときの通訳をされており、数年前には美智子妃殿下の通訳もされたほどなので日本語通訳はハンガリーで一番ということになる。しかも凄い美人であり、しかもダンスも一番なので、天は二物も三物も与えるものかと思った。

今年が日本とハンガリーの国交140周年記念に当たり、彼女とお父さんが共著で日本とハンガリーの歴史を書いた本を今年の年末には出版する予定があり、できたら私にも進呈したいとのことで楽しみにしておこう。日本が外国と国交を始めてハンガリーは、15番目という速さだったという。彼女は5年ぶりに、2週間ほど東京、横浜、下関、長崎など歴史に関する資料集めに奔走してきたという。余分な話だが、下関の河豚の刺身が特に美味しかったという。

ちょっと不満な

4つ星ホテルだった

今回はブダペストについで2番目に大きい街である人20万人のデブレツェン市の工場に訪問して、3日間セミナーとワークショップを行うものだった。街に着いたら、とても20万人の街とは思えないほど落ち着いた街で、多分余分な広告宣伝の騒々しさが少なかったたらだろうか不思議な空間を感じるほどであった。ホテルは4つ星の「LYCILM」で、格調が高そうな建物であったが、中は全面的に超モダン風に改装してあったので少しガックリしてしまった。

ホテルは周囲の建物と高さを制限されているらしく、中は4階建てでホテルとして使っているのは、日本でいう2階と3階だった。部屋のシャワーは、天井から蜂の巣のように出ていて、全くホースがなく蛇口が蜂の巣の真下にあり、水温を調整するにはまず冷たい水を頭から被らないと蛇口に触れない構造になっていた。この前のエアーベルリン航空で遭遇した時のシャワーのことを、ハッと思い出してしまった。これは昨年もその前も同様なシャワーの構造だったが、ハンガリーでホースがないのは普通かもしれない。

同ホテルの大きなレストランには、たった二組しか客はいなかったが、地下の駐車場にもそういえばほとんど車がなかった。このレストランの食事だけは、味付けが妙に塩辛かったが、コックは暇なので塩を振りすぎたのかもしれない。

ホテルのフロントにマッサージがあるかと訪ねると「ある」というので、早速外部のマッサージ師に手配したら「今はもうやっていない」とのつれない返事が帰ってきた。全く業務管理されていない。ハンガリーも不況に陥っているというが、このホテルを見ても明らかだった。気を取り直し、明日からのセミナーに力を入れることにした。翌朝ホテルの駐車場からでる時に、自動改札機があり、そこに磁気カードを入れると「お金を払いなさい!」という命令形の表示が出たので、キッシュさんがビックリしていた。

このようにまだ20年前の時代の名残があり、実は帰りの空港の入り口でも同様なことを体験した。警察がたまたま要人を迎えに来ていたらしく、道路を占拠していた所を私達が通ろうとした時に、警察官が行きなり走って来て「俺たち警察がいるのか見えんのか!ここは、お前らは通れない!分からんのか?」(後で訳してもらったらこのような言い草だったらしい)という調子で怒鳴り込んできたが、私は何があったか全く理解できなかった。クサリがあるわけでもなく、ただパトカーが2台ほど停車していただけの光景だったので、物々しい状況ではなかった。日本だったら彼らを訴えることは間違いないが、しかし郷に入れば郷に従えで、外国ではそれに従順に従うことの方が賢い選択だ。

非常に元気の良い会社

その工場はベアリングを生産しており、原材料のみを購入してほとんど自分の所で機械加工と組立を行い、完成品にすることができる1000人の規模の工場だった。工場に入りセミナー室に案内をされると、昨年のハンガリーのセミナーに参加して非常に元気の良かった人が待ち構えていた。今回私を呼んでくれたのは、彼とセミナーに来ていた同僚であった。この1年間の間に二人は、それぞれカイゼン部長と社長に昇進していたのでビックリした。欧州では、一気に昇進することは日本と違い珍しいことではないが、昨年のセミナーに参加した二人が同時昇進したのは喜ばしいことだ。このセミナーには、この会社から40名、そして協力工場から8社で10名を集めたという。さらに本社(この会社は、世界中に200社の関連会社がある世界的なコンチェルンだった)からもドイツ人幹部が2名参加していた。

この工場の社長は、何と5年間で16人も替わったというので、計算してみるとなんと3から4ヶ月毎に交代していたという猫の目人事だったらしい。しかし、今回の社長は初めて生え抜きの人で、入社7年で一般従業員から上り詰めた人であった。昨年末から社長になり、工場の雰囲気も非常に良くなったという。2年前には関連会社のお荷物だったが、今では屈指の工場に変身したという。こういうことが出来るのは、新興国によく見られることであり、トップの考え方や熱意が工場全体を一気に変えることが出来る良い見本でもある。社長はわずか33歳、カイゼン部長は入社5年の31歳の若者であるが、彼らの勢いというか底力を見せ付けられた感じだ。まるで明治維新を、彷彿させられるほど元気が良くエネルギーがみなぎっているようだ。

セミナー後に工場視察をしたが、1年前のセミナーで話をしたことを、工場内の至る所に反映していた。やはり迅速な行動力がきちんとした結果を出すことをここで証明をしてくれて、私は非常に嬉しくなった。3日間のセミナーとカイゼン実施では、非常に盛り上がり数多くのヒントが出て来たので、セミナーが終わっても継続してやりたいとの宣言が出された。近いうちにまた来てもらいたいというリクエストも出たほどだが、また楽しみが増えた。

ハンガリー語の空耳のお願い

ハンガリーには数回訪問しているが、なかなか言葉が覚えられない。そこでキッシュさんが、工夫したいくつかを紹介したい。「こんにちは」は、「ヨーナポット」というが、これを(妙なポット)と言えば通じるのである。「おはよう」は、「ヨーレゲルト」(ヨーグルトと覚えるのは、私流)。「乾杯」は、(ええ芸者ガール)。「ありがとう」は、(気仙沼せんべい)と言えば通じるから不思議だ。しかし彼女からの提案があったが、それは「じゃまたね」は、「ビソン・ト・ラーター・シュガー」と非常に長く言い回しが難しいので、この日本語版を考えて欲しいという。これは空耳(そらみみ)として聞こえるもので、頭が固くなってはなかなか浮かんでこないので、読者の皆様に期待をしたいと思います。是非お考えになり、倉文協までお知らせ下さいませ。空耳の事例として、「ありがとう」を「アリゲータ」(米国のワニ)、「おはよう」を「オハイオ」(これも米国の州の名前)というのがあります。〔編集部注/言葉遊びとしての空耳は外国語の音を何らかの意味を持った日本語に聞こえるように工夫すること〕

バラツキという品質管理の言葉があり、何々の原因で「バラツク」と言ったら会場から笑い声がしてきた。「バラツク」とは、ハンガリーで「桃」のことだそうだ。所変われば品変わる、の事例だ。

ハンガリーといえば

ワインの宝庫

ワインは、世界的に有名な甘い白ワイン「トカイワイン」がある。随分と田舎に、この地方はあるが、「トカイ(都会)」とはこれ如何にと冗談をいいたくなる。フランスのルイ14世が、このワインを称して「王様のワイン、ワインの王様」といったほど素晴らしいワインだ(デュッセルドルフのデパートで発見したら、15ユーロくらいと非常に安かった)。それ以外も美味しい酒は、私を待っていてくれた。

食前酒には、アプリコットやプラムなどで蒸留酒にした「パーリンカ」があり甘くて美味しいが、アルコール度が50度とキツイので、ご用心を。今回も、どこの食事も大変満足した日々であった。名物のパプリカスープの「グヤーシュ」は、コクと辛味がマッチしてクセになる味だ。工場の食堂でもどこでもハンガリーの料理やワインが、とにかく美味しくて、しかも信じられないくらい安いのが、この国における良さがありそうだ。しかも必ず美味しいデザートが、食後に出てくるので女性には嬉しいと思う。歴史的な建築物もそのままに多く保存されていることも特徴で、タイム・スリップしたような気分にもなれる。時間が止まったような錯覚にもなりそうで、バカンスには良いかもしれない。

ドイツの

古いレストランとビール会社

ニュールンベルグといえば、クリスマスマーケットの発祥地で有名な南ドイツのバイエルン地方の街であり、その隣のLaufという小さな街に定期的に訪問している工場がある。そこで使うホテルは、その工場のカイゼン担当者が住んでいる田舎町のホテルに決めている。それは彼がホテルと工場の送迎をしてくれるからであり、個人的な話も車の中でできるのでお互いが重宝している。ホテルの併設しているレストランが、月曜日に休みなのが欠点だった。

しかし、工場に隣接している大手スーパー「REWE」があり、調理済みの食材や飲み物も豊富であり、色々選ぶことが出来る利点を見つけた。ここには私が最も大好きな黒ビールである「ボックビール」が一年中置いてあり(通常は5月と12月の限定ビール)、しかも1本が1ユーロと非常に安い。これはバイエルン地方の人たちが食べることに結構裕福であり他の地方と違う点が、このような私にとって嬉しいプレゼントになる。これにチーズやソーセージなどで夕食になる。費用も全部合せて10ユーロでお釣が来るほど安い。良い仕事をするためには、良い酒と美味しい食事が不可欠だと思うがそれは私だけのことか?

このLaufから他に移動する時には、ニュールンベルグを経由することが多い。ここで夕食を摂ったり、時間調整のためにレストランに立ち寄ったりすることがある。セミナーがあった時に、見つけた駅前のレストランが定番になっていた。その店は、「Pillhofer」という名前で、創業が何と1646年というので、360年も前である。店内は、何度も改装されているようだが、できるだけ古い物を置いてノスタルジーを醸し出そうとしているが、これはドイツの得意な手法であるが、私にとっても気分が落ち着く。もっと良いのは、ウエイトレスが民族衣装でしかもロングスカート(ビロード風の素材)であることだ。

ビールの銘柄を見ると、ミュンヘンの代表的なメーカーである「Paulaner」社があったので、そこのバイツェン・デュンケル(黒い麦という意味)・ビールを頼んだ。このビールは、日本の生ビールのようにサーバーから入れるのではなく、瓶から注ぐタイプのビールであり底に溜まったヘーフェ(酵母)が味を決めるので、一本一本瓶詰めされている。ブーツのような細長いグラス500ccで出て来たが、ラベルを良くみると何とこのビール会社も創業が1634年と非常に古かった。老舗と知っていたが、年代を確認したのは初めてだった。

レストランも古いがビール会社も古い年代から、お客様に愛され続けてきたからこそ、360年以上も存続しているブランドの強さにただただ恐れ入ってしまい、ビールが一層美味しく感じられた。ツマミは、ニュールンベルグ名物の中指大の小型ソーセージにした。12本ついておりザワークラフトとパン付きで10ユーロだったと思うが、食べ切れなかったので通訳と分け合った。

ドイツにあった

アウトレットの店

 以前訪問していた企業を退社して別な会社の社長をしている人に連絡をしたら、是非逢いたいという返事があった。彼は17時の待ち合わせ時間には、既に待ってくれていた。食事には時間が早すぎるので、アウトレットの店を紹介したいといわれるので素直に従った。葡萄畑がある田舎道を走って30分もしない間にStuttgart近郊のMetzingenの町に着いた。人口は2万4千人ほどの小さな町であるが、こんな町にアウトレットの店がたくさんあるというのが信じられなかった。(インターネットでも検索できます)

車から降りて、町の散歩をしていると古い屋根だけがあり、中は何もない大きな建物を見つけた。この地方がワインの産地で、この大きな建物の下で葡萄を搾っていた名残だそうだ。これが現在でも数軒残っており、一つは博物館、さらにはワインの販売店になっていたが観光の町でもあった。

しばらくすると「HUGO BOSS」の看板が見えてきたが、この町の出身で彼がこのブランドを世界中に広めて、財産を築き、この町の建物を買収して、色々なブランドを取り込んでアウトレット街にしてしまったという。町の中心にあった警察署は、この店の店舗に替わっていた。案内してくれた社長もこの町の出身で、ドイツで最も大手の運送会社であるS社(ドイツ郵便局と一緒になり、日本にも進出している)の社長も友達だという。

店がたくさんあって迷うほどだったが、色々と物色しながら手触りのよい黒のTシャツを枚買うだけだった。アディダス、プーマ、ナイキ、ラコステ、バーバリなどとても覚えきれないブランドの数であった。ある看板には日本語もあったので、日本人観光客もツアーで来ているのだろうが、この日は見られなかったが、中国人と見られる人は何人もいた。気になる値段は定価の半分が相場であったが、既製品がピッタリ合う人は利点があるようだ。しかし何度も手を通してみたが、いずれも私の体型は「帯に長し、たすきに短し」であった。

この社長は

1年で12kgの減量に成功

食事は招待してくれた社長は、いつもベストの店を選んでくれていたので、この町で多分一番良いレストランになったと思う。ホテルとレストランが併設した「Schwanen」(白鳥の意味)だった。まず屋外で太陽を浴びながら、ビール(ピルツといわれる一番基本のビール)を飲んで喉を潤した。そして、屋内のレストランに入っていたら、壁中に様々な訪問者の写真とコメントが数多く額縁にして展示されていた。社長が紹介してくれたが、サッカーの選手、政治家、芸能人など多彩な顔ぶれであり、通訳はビックリしていた。

中に入ると一般の客層と全く違うことが分かった。昔風の落ち着いた店の中は、ゆったりと時の流れを楽しむかのようなものだ。ここでのスタートワインは、この地方の白ワインにしてもらい、フルーティーな香りにサッパリとした端麗な味を楽しんだ。香りと味は全く想像が出来ない意外性のある組合せだった。料理はドイツの郷土料理であったが、赤ワインも飲みたかったので、ペッパーステーキを頼んだ。その時のワインは、イタリアのトスカーナ地方にある大好きな「Tignanello」(ティニャネッロ)を選んでくれたが、実に美味しいワインだ。イタリア語の「gno」は、“ニョ”と発音するようだ。

彼の体型を見たら昨年の11月にお会いした時に比べ随分と痩せておられたので訊ねてみると、医者から勧告があり減量しなければならなくなり、食事制限と運動を強制的に行い、12kg減量に成功したという。しかも血液まで良くなり、薬が不要になったと喜んでおられた。これは私にとっても非常に興味ある話しであった。いつも誘惑に負けてしまうので、彼から爪の垢でももらおうとしたが、ワインのせいで言うのをつい忘れてしまった。社長業を何年もやっており、考え方も非常に積極的な人なので、話がドンドン前に進むので、話をしていても非常にワクワクする。道中合せて5時間も話し合うことが出来たが、来年には彼との仕事があるようにと願った。