2019年度写真シンポジウム基調提案

計羽孝之

今年は、写真が発明されて180年目に当たる。1839年に1ダゲールの写真がフランス科学アカデミーで発表され、一気に時代の最先端科学の雄となった。それは、科学と芸術の接点から生まれたのが現代のカメラの原型であった。写真の仕組みを作ったダゲールは「自然に自己を複製する力を与える、科学的、物理的方法」だと言っているが、科学と芸術という二面性は、私たちを無限の多様性と神秘性へといざなった。写真という視覚を決定してきた求心的なイメージは、現代では電子メディアに移行していった。20世紀初頭から、写真の意味とその特性を追求していた歴史が、電子メディアとの遭遇により、新しい冒険を試みるようになった。しかし、温故知新に倣って、私たちが生きてきた視覚体験を追いながら、未知の写真表現の楽しみを模索してみたい。

1史上初めて実用的な写真技法を完成した人物

Louis Daguerre.jpghttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5e/Diorama_diagram.jpgダゲールのジオラマ/ロンドンに建てられたジオラマ劇場の図面https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fd/Camera_Obscura_box18thCentury.jpg

写真の歴史

 写真という仕組みは、誰でも画家になれる装置として「カメラ・オブ・スキャラ」(ピンホール・カメラ)の出現から始まった。これは、ルネサンス期の透視装置の発展形であり、絵画デッサンの補助手段として使われていたのである。あの有名な「フェルメール」も使っていたし、カメラ・オブ・スキャラで得られる画像を、何とか定着させる方法の研究でカメラの誕生となった。その定着法を見つけた最初がアスファルト板に画像を定着させたのが「2ニエプス」であり、その後を引き継いだダゲールによって、ヨウ化銀を使って恒久的に画像を定着させたのだ。

この技術を使って写真を広めたのは、実景以上に美しいジオラマであつた。そして、誰でも金さえあれば個人的に買えるロマンティック・マシーンになったのである。そして、パリでは肖像写真館が大繁盛した。やがて風景写真の時代を迎え、絵画的光景が写真の中心となる。当時の写真の意義は、「今そこにあるという現在性の問題、そして、見るという行為そのものの魅力」がもてはやされ、視覚そのものが主題となったのだ。

それは、「見る」「描く」が「光で描く」と言う写真が生まれたのだ。そして、当時はまだ写真の中に「何らかの意味を求めたり、自己の意識を考えたりしなかった」のである。

2 世界初の写真画像を作った

旅行写真家の出現

イブサンブール、ラメセス2世大神殿、 西側の巨像ラメセス2世大神殿、東側の巨像スフィンクスの正面像神殿内部列柱群スルタン・ハサン・モスク

冒険心にあふれた写真家たちは、遠くの異邦を見たいという欲求を満たすために、カメラを持って冒険旅行を目指した。当時のカメラマン「3デュカン」は、「写真は、大した事ではない、機材一式をどう運ぶかが問題だ」と言ったが、やがて35mmカメラの出現で、写真は万民のものとなった。しかし、デュカンの「東方写真集」を見たあのボードレールは、写真家に「あなたは何を見たのか?」と問いかけた。ファインダーの向こうに何を見、その光景に何を感じたのか?との問いが100年前からあったのだ。それは、現代にも通底するものがある。それは、写真家自身のスタンスにまつわる根源的な問いであり、ファインダー越しの世界との関係性を、問いかけているのだ。

「写真の理論はたやすい、一目でどうすればよいか理解も得られる。しかし、光に対する感覚は学ぶことが出来ない。芸術的直観力が必要、直接的なものの把握なしには写真を撮ることはできない。」写真に描く主題を、被写体を本能的に認識するのは極めて難しい。4キャメロンは、瞬間性や臨場感を拒み、「写真はリアルでなく、イデアルであり、理想主義である。」と言っているが、それは歴史的人物のポートレイトで実証された。

当時の写真家は、画家出身が多かった。5ドラローシュは、写真が発明されたとき「今日から絵画は死んだ」と言っているが、それを契機に美術の歴史は大きく変わっていくのである。

写真は瞬間をとらえたものだけではない。写真の初期は感度が低く長い露光時間が必要だったため、写真は図解的になった。その後、カメラの進化は、その光線のつかの間の表現や瞬間的な効果が得られるようになるのだ。そして、見えないものを観えるようにする新しい表現への万能性を発揮し始めた。

3  19世紀の旅行写真家     イギリスの写真家    5フランスの歴史画家

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/62/Julia_Margaret_Cameron_MET_DP114480_-_Restoration.jpg/800px-Julia_Margaret_Cameron_MET_DP114480_-_Restoration.jpgキャメロンhttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cc/I_Wait%2C_by_Julia_Margaret_Cameron.jpg/800px-I_Wait%2C_by_Julia_Margaret_Cameron.jpghttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8e/Sadness%2C_by_Julia_Margaret_Cameron.jpg/800px-Sadness%2C_by_Julia_Margaret_Cameron.jpghttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/23/Cameron_julia_jackson.jpg http://livedoor.blogimg.jp/kokinora/imgs/1/0/10ac6363.jpg

画家たちと写真

写真は究極的な写実主義であり、画家たちは自分たちの絵画を考え直さざるを得なくなった。画家たちがデッサンの代用とも考えて利用した写真は、アングルやドラクロアによって利用され、絵画の中に写真を呼び込んで行った。そして、その後の画家たちに受け継がれることとなった。

リアリズムについて

絵画でいうリアリズムとは、自然の欠陥をカバーすることであり、それは、リアルというよりイデアル(理想化)かもしれない。クールベは、イデアルを否定して、ありのままのリアリズムを写真のようにと主張した。マネは、「オランピア」において、現実世界の生きた体験へと引きずり込んだ。そこには、力強い存在感や現実性があり、現実の生身の女の肉体が横たわっているのだ。それまで、ヌードは、見る者の快楽や欲望のためのものであり、女性の持つ官能性が基本であったのだ。それが、写真という人間業では到底まねのできないリアルな描写マシンの出現で、それまでの絵画的スタンスが崩れていったのだ。

画家たちは写真の特性をよく理解し利用した。その特性とは、画像が持つ視覚性(平面性、瞬間性、レンズの性質や収差、そこから得られる遠近感や物質感)が、現在性を表していることを認識させるのだ。

Manet, Edouard - Olympia, 1863.jpgTizian 102.jpg https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/86/Giorgione_-_Sleeping_Venus_-_Google_Art_Project_2.jpg/1024px-Giorgione_-_Sleeping_Venus_-_Google_Art_Project_2.jpg

芸術写真(ビクトリアリズム)の定型化

ボードレールは、「写真は何一つ創造することも、理想化することもない。写真()の冷たさと、明快さは持つが、考えることをしない。ただただ精密さで風俗を写しているだけ。」これに対して6ロビンソンは、「写真は科学ではなく、自然の対象を再現する芸術である。」とし、ピクトリアリズムの原点を示した。そして、合成や修正による写真表現で、写真芸術化運動を繰り広げたのだ。7エマーソンは、写真と絵画の違いを正確に認識し、科学的法則にのっとり、その延長線上に新しい芸術の概念を切り開くべきと主張し、自然主義写真の概念を作り上げた。初期モンタージュ写真の代表格      イギリスの写真家

https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=204x1024:format=jpg/path/s093251349da78e77/image/icaa0f65d943b41c0/version/1516753129/image.jpg《色褪せ》1858年

写真の目を自覚する

20世紀初頭には、空中写真、連続写真、顕微鏡写真、多重露光写真、赤外線写真、MR写真等、映像表現の可能性が飛躍的に拡大した。

人間中心のリアリズムからの離脱

人間の視覚体験は、人間の眼ではなく、機械の眼が映し出すことに気が付き始める。つまり、「機械の眼のリアリズム」が写真表現の世界となるのだ。機械の眼とは、物事の本質的な立場を発見し、客観的な視覚の形態となる。絵画とは明らかに違う別の表現方法であり、芸術の新しい分野となったのだ。

視覚のバリエーションについて

@     フォトグラム(光による形態を抽象的に視る方法)

A     ルポルタージュ(事物の)外観を正しく定着させる方法

B     スナップ・ショット(短時間の運動を定着させる方法)

C     時間を引き延ばす(長時間露光させる方法)

D     写真用具によって強調させるもの(フィルター、鏡、現在ではPCの現像ソフト)

E     レントゲン等で透視するもの(X戦にとどまらず超音波画像など)

F     機械的モンタージュ(多重露光など)

G     歪曲されたもの(光学的ジョーク、パソコンによる変形)

フォト・グラフィズム

1925年エルマノックス小型カメラの発売(ドイツ製のカメラ) エルマノックス 写真 に対する画像結果ライカ 写真 に対する画像結果ライカ

192835mmカメラ「ライカ」の発売(ドイツ製のカメラ)

ドイツで、フォト・ジャーナリズムの方法論が確立され、ルポルタージュ写真が報道写真の方法となる。つまり、写真は、時代の目撃者となる。

アメリカン・ドキュメンツ

社会記録とは、写真で社会批判をすることであり、社会的良心がそのスタンスとなる。

写真家たちは、主題についてよく知り、その主題の意味と環境との関係を発見することが重要だと考えた。つまり、写真による社会論文を書くに似ている。同じ手法で風景写真を捉えたり、スナップ・リアリズムがもてはやされたりした。

フォト・ジャーナリズムの時代

そんな中で、1936年に「ライフ」誌が創刊され、1955年には下火となる。「ライフ」とは、生活を見るために、世界を見るために、事件を確かめるために、貧しい者と富んだ者を見るために創刊したと言われる。8マグナムの写真家集団が生まれる。

8 世界を代表する写真家グループ

機械の純粋性

カメラという機械の眼は、人間の意思や思い込みといった要素を全く持たない新しい暗示的な精神作用であると言える。写真の直接性や即物性の発見があり、その機能を十全に生かした。9ウェストン(正確な描写で、形態の生命を捉えた)10アダムス(風景を超越的な光景とした作品)は、完璧な観念へと直感的に導くのである。つまり、写真によって自然の本質を表しているのだ。写真を通して、自然宇宙と人間の新しい関係を成立させたのだ。

アメリカの写真家   10自然をドラマティックに写したアメリカの写真家

ウェストン 写真家 に対する画像結果ウェストン 写真家 に対する画像結果 アダムス 写真家 に対する画像結果アダムス 写真家 に対する画像結果アダムス 写真家 に対する画像結果

イメージの直接性

「写真家は写真に自己の感情を刻み付ける創造者でなければならない」といったのは11ストランドである。そして、主観的写真として、人間を通した個別的な写真(個々の写真に様々な観念やテーマがある)を主張したのである。人間の精神を、写真表現を手段として見えるようにするというものだが、この考え方もすぐに廃れていく。そして、1960年代には、時代の現実と個人の現実を、共に内包する新しいビジュアルとして新しい写真の方法論が浮き上がってくるようになる。これが、パーソナルな視点を持った写真というわけだ。

11 アメリカの写真家、20世紀の一芸術形式として確立した

Paul Strand ポール・ストランドストランドPaul Strand ポール・ストランドPaul Strand ポール・ストランドPaul Strand ポール・ストランド

パーソナルな視点

1972年、「ライフ誌」が廃刊され、フォト・ジャーナリズムが大きく後退していった。つまり、写真が公的(おおやけてき)な、社会的な威力を失っていったのだ。写真家自身が現実や時代の問題に取り組めなくなったのだ。無作為に撮られるスナップ・ショットは、肖像権に抵触し、無分別なタブロイドは社会的な癌とみなされたりする。写真は私的で、日常的なものになっていき、写真はグラビアから抜け出し、美術館や画廊に進出するようになる。そんな中で写真家たちは、「心理的な問題」「内面的な描写」を写真で試みるようになっていった。

写真はMAKEの時代へ

1980年代より、「写真は撮る(TAKE)時代から、創る(MAKE)時代へと移行していった。1970年代までを客観性と主観性からなる球体だとすれば、1980年代は、様々な境界線が不明瞭になり、様々な表現のスタイルとそのアプローチが交差した、不思議な物体となりつつあった。不思議な物体は、現代にまで続くものとして、写真家の発想の源泉は、社会や自然、現実や人間といった奥行のあるものではなくなった。TV、動画、インスタグラム、広告、絵画と言ったイメージに近いものかもしれない。今こそ、表現形式の問い直しが、必要な時かも知れない。現代では、今まで抱いていた写真に対する考え方とは異なる、新しい構造を持つものを目指さなければ、時代を逆流する似非写真,認否不可能な芸術に翻弄されることになるのではと危惧している。