ニューヨークの風〔肥和野佳子〕
ニューヨークの風11(2008.10.15)
METオペラ・オープニング・ナイト・ガラ
メトロポリタン・オペラ(METオペラ)のシーズンは、毎年9月後半に始まり、5月末か6月初旬に終わる。開幕を祝う特別な催しもの、オープニング・ナイト・ガラは、毎年選りすぐりの演目、キャスティングで行われる。今年は9月21日月曜日、演目はプッチーニの「トスカ」。わたしはMETのオープニング・ナイト・ガラに行くのは今回が4回目だ。この日だけは日本ではとても味わえないような貴族的な独特の雰囲気を楽しめる。
普段のオペラ公演では観客はそれなりにおしゃれをして行くが、ロングドレスを着ているような人はめったにいない。しかしオープニング・ナイト・ガラは特別で、派手におしゃれをして行く日だ。リムジンでさっそうと乗り付けて、タキシードにロングドレスのゴージャスなカップルが、ぞくぞくオペラハウスに現れる。俳優、モデル、政治家などセレブリティーやお金持ちたちがやってくる。実際には、こうした華やかな人たちは、オペラが終わった後のディナーパーティー付きの高額チケットの上客か招待客で、全体の10%くらい。しかし残りの90%の人たちもいつもオペラに行く時よりは派手に着飾っている。わたしもいつもは着ることのないスパンコールのきらきらする衣装で出かけた。
オープニング・ナイト・ガラのチケットは通常の料金に加えて寄付金部分があるのでいつもより高い。高いチケットは極めて高くて5000ドル(寄付金部分$4525)もするが、しかし民主的に庶民のために安いチケットもあって一番安いのは75ドル(寄付金部分$50)だ。私が買ったチケットはこの75ドルの席。5階で右横壁側のボックス席。
私はオープニング・ナイト・ガラの時は必ずボックス席を買うことにしている。ボックス席というのは壁側に張り出した部分の小部屋になった席で、舞台に対して正面ではないので舞台の片側が見えにくい。しかしボックス席なら横上からの角度なので華やかに着飾った観客たちがよく見渡せてヒューマンウォッチを楽しめるし、初日で緊張したおももちのオーケストラや指揮者の様子もよく見えるのだ。舞台も大事だが、ガラではヒューマンウォッチもオペラの醍醐味。
オペラファンの友人とMETに6時頃到着。オペラハウスのロビーの吹き抜けには、何重にもなった階段の手すりにそって、着飾った観客がみな入口のほうを向いてずらっと並んでいる。これはこれから入場してくる招待客の有名人たちや優雅なロングドレスの客を上から見ようと並んでいるのだ。わたしは勝手にこれを「METの電線ツバメ」と呼んでいて、友達に「今年も電線ツバメしようか」と言って二人で2階の階段手すりに並んだ。実はおととし、その「電線ツバメ」の写真がNY Timesに掲載されて、豆粒みたいに小さいながらも私とその友達が写っていたので、もう一度写らないかなあと期待して立っていたのだ。(残念ながらNY Timesの今年の写真には私たちは写っていなかった。)
6時半開幕。METオペラの常任指揮者ジェームス・レヴァインがオーケストラ・ピットの指揮台に立ち大きな拍手をもらう。観客は全員立ちあがってオープニング・ガラ恒例のアメリカ国歌斉唱。私たちの近くのセクションにはオペラ歌手みたいな女性がいたらしく、ソプラノの声を響かせて国家を歌うので何人かの観客が後ろを振り返って見ていた。
そして幕があがる。今年のMETの「トスカ」は巨匠ゼフィレッリの演出を刷新し、METでは初めての演出となるリュック・ボンディ(スイス人)による新しい演出。トスカはカリタ・マッティラ(ソプラノ)、カヴァラドッシはマルセロ・アルヴァレス(テノール)、スカルピアはゲオルグ・ガグニーゼ(バリトン)。
ゼフィレッリ演出の「トスカ」と言えば、2004年3月6日、3大テノールの一人、今は亡きルチアノ・パヴァロティが引退する年、METに出るのは最後となるフェアウェルの舞台を見に行った時のことを思い出す。オーソドックスでMETらしい豪華で格調高い演出。あの時はパヴァロッティの特別な日だったので、彼が舞台に出てきただけで歌う前から観客から大きな拍手がわいた。パヴァロッティの声のコンディションはさんざんだったが彼を見るだけで観客は大満足だった。カーテンコールでは「ありがとう、ルチアノ」と書かれた大きな横断幕が掲げられて、心にしみるフェアウェルだった。
さて、今年の新しい演出の「トスカ」はどんなものか。一幕目、教会のシーン。教会と言われなければ教会とはわからないような舞台セット。なんだか倉庫みたいな質素な雰囲気。舞台右手には片胸をはだけた大きなマリア像の絵画。トスカは恋人の画家、カヴァラドッシが作成中のその絵画のモデルに嫉妬して、絵画めった切りにする。絵画を切りつけるシーンなんてリブレット(オペラの歌詞やト書きが書かれているもの)にはないので、トスカをエキセントリックな人物像に脚色するものらしい。
2幕目の出だしは悪役スカルピアが3人の娼婦のような女に囲まれてエロティックな演出で驚く。こんなシーンもリブレットにはないはず。通常、2幕目はスカルピアの食事のシーンで始まるはずなのに、食事のシーンがない。トスカは恋人カヴァラドッシが殺されるのを救うために、スカルピアに助命を請うが、スカルピアはトスカの身体を代償に要求するのでトスカは心が乱れる。そこでトスカを演じるソプラノ歌手マッティラが歌うアリア「歌に生き、恋に生き」は透明感のある清らかな声でなかなか良かった。
そして2幕目最後、トスカがスカルピアをナイフで刺し殺すシーンは、ストーリーの中で最も重要な場面の一つで、トスカは殺してしまったスカルピアの死体の両側にろうそくを置き胸に十字架を置いて、走り去ることになっているはず。しかし新しい演出ではそれをせずに、トスカはスカルピアをナイフで刺すと、スカルピアは頭を下に足を上にしてソファーからずり落ちたままのかたちで死に、トスカはざまーみろとでも言いたげに扇を手に持って立ったままで幕となる。私の友達は「えー、ろうそくを死体のそばに置くシーンがないなんてぇ。」と言っていた。
3幕目は、カヴァラドッシが歌うアリア「星も光りぬ」でテノール歌手アルヴァレスは観客から大きな拍手をもらった。最後にトスカが高いところから身を投げて死ぬシーンは、マッティラが駆け上がっていなくなったと思ったら、一瞬、間があって、大きな窓から女性が万歳のかたちで飛び出すが、下に落ちないで止まる半端な黒いシルエット(結構危険なのでスタントだったらしい)が、ちらっと写って幕が下りた。
3幕が終わって、カーテンコール。マッティラ、アルヴァレス、ガグニーゼなどオペラ歌手が出てきて大きな拍手をもらう。ブラボーも飛ぶ。指揮者レヴァインが出てきて彼も大きな拍手をもらう。そして、演出家のリュック・ボンディ、舞台セットデザイナーのリチャード・ペドゥッチ、衣装デザイナーのミレナ・カノネロが舞台に現われると、とたんに大きなブーングの嵐。舞台の上ではオペラ歌手たちが観客の反応にどうしてよいやらとまどっている。観客は歌手たちには概ね満足していてかわらず大きな拍手も送られていた。ブーイングは明らかにボンディの新しい演出に対するものだった。
たしかにこの新しい演出は良くなかった。一口に言ってあまりに質素で陳腐で見ごたえがなかった。それにトスカはキリスト教の宗教性が大事な要素をしめるストーリーであるはずなのにその宗教性がぬけ落ちていて、リブレットに忠実でなく、品性のない安っぽいドラマみたいに感じた。
特に2幕目の終わり方には疑問を持った観客が多くて、私は2幕目の後でトイレに並んでいるとき、オペラ好きらしい年配女性の二人連れが「あれはなに? 演出がひどすぎる。歌手たちはせっかくいいのに、なんてことなの!」と怒り出し、見ず知らずの私に向かって同意を求めてきた。観客たちの、演出に対する不満は幕が終わるまでにすでに高まっていたのだ。
カーテンコールで演出家が現れた時のブーイングは、天井桟敷で前から数列あたりの熱心なオペラファンが占めているセクションで最も激しかった。たしかにその方向からはっきり聞こえた。演出家はMETの熱心なファンたちからあからさまなNOをぶつけられたのだ。イタリアあたりのオペラ劇場では観客は厳しくてブーイングはめずらしくないらしいが、METでは拍手が少ないことはあってもブーイングはめったにない。それもオープニング・ナイト・ガラでブーイングなんて聞いたことがない。これはMETにとって大変な事件だ。
あんなに激しいブーイングをもらってMETデビューした演出家のリュック・ボンディはさぞかし意気消沈しているだろうな、かわいそうだったなあ、と思っていたら、そこはプロの芸術家、翌日インターネットで記事を検索して見ると「観客のブーイングはあまりに暴力的。長年のゼフィレッリの演出に慣れきってこだわりをもつ観客は化石。新しい演出が分からないほうが悪い。」みたいなことを本人ボンディは言っているらしいから、その気の強さ、強い個性に感服。METは来シーズンもこの新しい演出で「トスカ」をやるのだろうか?来シーズンが見ものだ。