ニューヨークの風(肥和野佳子)
第19回
グスタボ・ドゥダメル
5月20日木曜日にリンカンセンターのエイブリー・フィッシャー・ホールで、グスタボ・ドゥダメル指揮、ロサンゼルス・フィルハーモニック(以下LAフィル)のコンサートに行った。ドゥダメルは、2009年からエサ=ペッカ・サロネンの後を引きついで、LAフィルの音楽監督に28歳の若さで抜擢された。ドゥダメルは1981年生まれで、生まれも育ちもベネズエラ。ヨーロッパで音楽教育を受けたというわけではなく、ラテン出身というところがまた興味深い。
ベネズエラといえば南米の石油生産国で、大リーグにたくさんの野球選手を輩出していること、世界のミス・コンテストにたくさんの優勝者を出す美女生産国であることで有名だが、音楽教育も素晴らしい。「エル・システマ」と呼ばれる国家を挙げての組織があり、放って置けばストリート・チュルドレンになるかもしれないような貧困層の子供たちが、犯罪や麻薬に走るのを防ぎ、音楽教育を通して健全な成長を図る組織だ。
ドゥダメルは、ベネズエラのクラシック音楽教育プログラムよって育てられ、1999年には18歳で、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラの音楽監督に就任。2003年にはベルリン・フィルのサイモン・ラトルやクラウディオ・アバドに認められ、2004年23歳のときにマーラー国際指揮者コンクールで優勝し、一躍世界で名が知れるようになる。そのときの審査員の一人が、エサ=ペッカ・サロネンだった。その後、ベルリン・フィルやロンドンのフィルハーモニアなど世界の名だたる交響楽団に招かれて指揮をする。2009年にはタイム誌で、2009年度の「世界で最も影響力のある100人」の一人に選ばれた。
5月20日のコンサートでは、前半にバーンスタインの現代曲、後半にチャイコフスキーの交響曲第6番(悲愴)。楽器の配列は現代の主流と違って、第一バイオリン、チェロ、ダブルベース(コントラバス)が左、第二バイオリン、ビオラが右という古典的な配列。約90人の編成。私はコンサートのときに、双眼鏡で指揮者のスコアを見るのが好きだ。しかし、前半はピアノ協奏曲のようにピアノが真ん中に置いてあっては指揮台が隠れて見えない。私は楽団員の一人一人を見る。ただ音楽を聴くだけでなく、楽団員が演奏している姿を見るのも好きなのだ。そして、きつい天然パーマでカーリーヘアのドゥダメルが登場して大きな拍手。4階席の私は双眼鏡で、彼の生の顔をしっかり見る。
前半の現代曲は、それほどドゥダメルの個性があらわれるような曲ではない。正直なところ私は、ドゥダメルの現代曲はそれほどいいとは思わない。後半のチャイコフスキーの交響曲第6番こそ見ものだ。この曲はクラシック音楽の中でもとても有名な曲の一つ。ドゥダメルは当然暗譜だ。1893年に6番が初めて上演されて数週間後、53歳でチャイコフスキーは突然亡くなった。コレラ死亡説と自殺説がある。
第1楽章は、陰鬱さと激しさが交じり合う。いつもは伴奏ばかりのバスーン(ファゴット)の結構長いソロが何度かでてくるので、さぞかしバスーン奏者はうれしいだろうなあと思う。第2楽章は、4分の5拍子というワルツっぽい心地よさの中にも不安定な趣をあらわす。そして、第3楽章、アレグロで速いテンポ。金管楽器や打楽器が派手に音を飛ばす。私の副腎髄質からエピネフリン(アドレナリン)がドンドン分泌され脈拍が上がり、心臓がどきどきする。そうそう、これがドゥダメルだ。なんて切れがいいんだろう。ドーパミンもバンバン分泌され、快感。興奮の境地に。
私はLAフィルでは、ティンパニの首席奏者(若い男性)にとても惹かれた。私がティンパニにこんなに目が行ったのは初めてだ。そのぶれのないリズム、体にしみる音が心地よい。あとで、ネットで調べたら彼は作曲もするらしい。オーボエの首席奏者(若い女性)も気に入った。コクのある音で、眉毛をよせてなやましげな顔で演奏する姿がなんとなく色っぽい。ビオラの首席奏者(年配の女性)はオーバーアクションで、コンマスでもないのにえらく大きく体を動かして演奏するのが印象的だった。切れがよく存在感のある弦楽器。大音響の金管楽器と打楽器の音がさえわたる。
第3楽章の最後、大音響で息を呑むようなかっこ良さで終わって、観客から大きな拍手が沸き起こる。「ちょ、ちょっと待って、まだ終わりじゃない。第4楽章があるのよ、なんでみんな拍手するのよ。」と私は思った。たしかにチャイコフスキーの6番は変わっていて、普通は最後の楽章が派手にジャジャジャジャン!となって終結するのだが、この曲は第4楽章(最終章)がアダージョでゆっくりと、最後は消えてゆくように終わる曲だ。第3楽章がいかにも交響曲の最後のような終わり方をするので、けっこう間違えて拍手をする観客が出ることは6番の場合よくあることだ。一説にはチャイコフスキーは全部作り終えてから、第3楽章と第4楽章をスイッチしたのではないかとも言われる。
最初、私は今日の観客はドゥダメル見たさで集まった人たちで、普段はあまりクラシック・コンサートに来ない人たちが多いのかなと思った。しかしどうも解せない。それならパラパラの拍手のはずだ。私の右隣の一人で来ている女性は拍手をしなかったが、私の左隣の男性二人連れは大きな拍手をしていた。聞こえてくる会話の内容から、彼らはコンサートによく来る人たちのようだったし。ニューヨークの観客は結構無邪気だ。第3楽章があまりにも素晴らしかったので、観客は思わず大きな拍手を自然にしてしまった。当たり前の拍手のルールなんてどうでもいい、どうやらそれを超越していたのだろう。
ようやく拍手が静まって、第4楽章が厳かに始まり、最後は沈黙で終わる。ドゥダメルが最後の沈黙をあまりにも長く引っ張るので、観客は拍手を始めた。しかし、ドゥダメルはまだ沈黙をひっぱったままで、観客の方を向かない。「え?6番は第4楽章で終わりのはずだけれど?」観客は当惑して拍手を引っ込めた。それからようやくドゥダメルは観客の方を向いた。
こんなに長く沈黙を引っ張った指揮を見たのは、2001年9月20日、ニューヨーク・フィルのオープニング・ナイト・ガラが、同時多発テロの犠牲者を悼んで急きょ、追悼記念コンサートになった。このときブラームスの「ドイツ・レクイエム」が演奏され、クルト・マズアが最後、沈黙をえらく長く長く引っ張ったのを見たとき以来だ。ドゥダメルは、第4楽章のレクイエム性をとても大事にしたのだ。
すべて終わって、大きな拍手と歓声。4階席の右側ボックス席には、オリンピックみたいに大きなベネズエラの国旗を垂れ幕のように掲げている人がいる。ベネズエラ人なのだろう。ドゥダメルはベネズエラの誇りだ。観客の要望に応えてアンコールを1回演奏する。日本ではアンコールは3回くらいするのがおきまりになっているようだが、米国では交響楽団のコンサートでは観客からの拍手が大きくてもアンコールはゼロのことが多い。アンコールをするとしても1回が普通で、よくやってもせいぜい2回だ。今宵の観客はとても興奮して大満足のコンサートだった。
ドゥダメルの音楽は、従来のクラシック音楽愛好家やプロの音楽批評家の一部の人たちからは、辛口批評を受けることもあるようだが、概ね一般受けするのは確かだと思う。2008年12月に、グスタボ・ドゥダメルは、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラを率いて、東京と広島で日本公演を行った。私はその年の11月にカーネギーホールで、初めて彼を見て以来惚れ込んでいたので、日本の友人・知人にそのコンサートに是非行くように勧めた。その中にクラッシック音楽のコンサートに年に2回くらい夫婦で行くが、それほど音楽が趣味ではない、かなり年配の女性がいる。彼女がドゥダメルの日本公演に行った後、ニューヨークまで電話をくれて、「あんな素晴らしいコンサートは生まれて初めて。ものすごく良かった。とても楽しかった。」と興奮した声で私に言った。
ドゥダメルが、LAフィルの音楽監督に就任した2009年の秋、ロサンゼルス在住で30歳代の知人(ポップ・ミュージックのディレクターで、あまりクラシック音楽は詳しくない)は、10月3日にハリウッド・ボウルで行われたドゥダメルの就任記念の野外コンサートに行った。チケットは無料で、抽選当選者が行ける大規模なコンサートだ。出し物は、ベートーベンの交響曲第9番。彼は初めてドゥダメルの音楽を聴き、やはり興奮してEメールをくれた。「感動した!涙も出た。素晴らしい!瞬間にしてファンになった。オーラが伝わる。オーケストラ全体が彼のタクトに乗って、生き生きと楽しそうで幸せそうで。」と書いていた。
You Tubeでドゥダメルのいろいろなコンサートの映像を見た知人の息子さん(高校1年生のトランペッター)は、時には「ウォー!」と歓声をあげたり、笑ったりしながら、夢中になって見ていたそうだ。私もYou Tubeを見てみた。特にドゥダメルがシモン・ボリバル・ユース・オーケストラを指揮するとき、アンコールでよくやる「マンボ」(バーンスタイン作曲 ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」より)は、まるで「のだめカンタービレ」を見ているようでめちゃくちゃ楽しい。映像はいろいろあるが”Gustavo Dudamal Proms 2007 Mambo”がお勧め。「のだめカンタービレ」のAオケ・Sオケ対決で、Sオケがバイオリンを上に上げたり、ダブルベースをくるくる回したりするシーンは、このシモン・ボリバル・ユース・オーケストラの「マンボ」をヒントにしたものかもしれないと思った。
あくまで私一個人の感じ方だが、ドゥダメルの音楽は、あえて一言で言うなら、クラシック音楽なのにまるでロックコンサートにでも来たかのような興奮を味わうことができるという感じ。パッショネートで、のりがいい。かといって、正統派クラシック音楽の本筋をはずしていない。なんだかわからないけれど、熱狂させるものがある。一度聞くと、くせになる快感。ドゥダメルの人を惹き付ける魔力は絶大だ。近い将来クラシック音楽を、身近に楽しむたくさんの老若男女の姿が見えるような気がする。