ニューヨークの風(肥和野佳子)    23 METオペラとカーネギーホール

 

2010〜2011シーズンの開幕

欧米ではクラシック音楽のシーズンは秋の9月後半ごろ始まり、翌年の春5月ごろ終わる。私は9月27日にニューヨークのメトロポリタン・オペラのオープニング・ナイト・ガラに行った。去年も行ったので普通は連続して行かないのだけれど、出し物がワーグナーの「ラインの黄金」(「ニーベルングの指輪」の最初のストーリー)だったので行くことにした。「ラインの黄金」は一幕もので、2時間半で終わるし、なんといっても音楽が良い。指揮James Levine、演出Robert Lepage.

METのオープニング・ナイト・ガラは、高いお金を払ってオペラハウスに行かなくても、誰でも楽しめるように、数年前からリンカンセンターの広場とタイムズスクエアで大きなスクリーンに映される。たくさんの椅子が用意されて、そこでは無料で誰でも見ることができる。しかし当日はあいにくの雨で、傘をさしてのオペラ観劇は困難だったようだ。

オープニング・ナイト・ガラは特別で、高額チケットの席である一階席、二階席の観客は、男性はみなタキシード、女性も盛装だ。しかし雨だったので、ひきずるようなロングドレスを着るのをやめて、足が少し出る長さのドレスに急きょ変更した人が多かったとみえる。例年より華やかなロングドレス姿の女性は少なかった。有名人の観客には、女優のメグ・ライアンがいた。

指揮者レヴァインがオーケストラ・ピットに登場すると、ブラボーが飛び、大きな拍手で迎えられた。レヴァインは脊椎の手術のため今年2月からずっと休んでいて、この日が復帰初日だったのだ。レヴァインは観客のほうを向いたまま、タクトを振り下ろす。小太鼓が高らかに響いて、オープニング・ナイト恒例の国歌斉唱の大合唱。この私もレヴァインの指揮で歌えるというのは気持ちがいい。そして「ラインの黄金」の幕が静かに上がる。

3人のラインの乙女たちが泳いでいるシーン。3人は中吊りのまま歌う。ステージには45トンもあるという巨大なセット。24本の大きな金属の厚板が木琴状に並んで、それぞれの厚板がコンピュータ制御で回転したり、上下したりする。このセットは「ニーベルングの指輪」の4夜すべてで使われ、そのコストは16ミリオンドル(1ドル百円なら16億円)という。

「ラインの黄金」では、フリッカ役のメゾ・ソプラノStephanie Blytheが素晴らしかった。張りのある良く響く声で他の歌手を圧倒していた。ヴォータン役のバリトンBryn Terfelはスター歌手で拍手はたくさんもらっていたが、日頃よりいまひとつ精彩に欠けた声だった。アルベリヒ役のEric Owensとローゲ役のRichard Croftは観客にとても気に入られて、大きな拍手を受けていた。

去年のオープニング・ナイト・ガラは新演出の「トスカ」だった。演出家がMETオペラ始まって以来の大きなブーイングをくらうという珍しい光景を目撃したわけだが、今年は別の珍しいハプニングがあった。それはあの巨大なセットが最後のシーンで故障し、厚板が動かず橋を作れなくて火の神ローゲが橋を渡れずステージに取り残された。そのためにワルハラの城も見えず、ただ、縦帯状の虹色の照明が長々と流されるだけという奇妙な終わり方になってしまった。

でも今年はカーテンコールでは、歌手たちは観客からブラボーと大きな拍手を受けた。みな晴れやかな表情だ。華やかなオープニング・ナイト・ガラはやはりこうでなきゃと思った。そして指揮者レヴァインがステージに上がると、さらに大きな拍手が沸き起こった。私はレヴァインの姿を双眼鏡でしっかり見て驚いた。あんなに太っていたのにずいぶん痩せてしまって、歩くのもふらふらしている。レヴァインは数年前からオーケストラ・ピットで座って指揮をしていたが、2時間半も休憩なしで一気に指揮をした直後なのだから、えらく疲れていても無理はない。しかしあまりに弱々しくなった感じで、今後もMETでたくさん演目の指揮予定があるし、ボストン交響楽団の指揮をする予定もあるはず。大丈夫なのだろうかと心配になった。

そして、演出家Robert Lepageがステージに現れると、ブラボーや拍手に交じって、天井桟敷からブーイングが飛んだ。ブラボーとブーイングが交錯する光景。あの強大なセットを使ったコンテンポラリーな演出に対する根本的なブーイングか、コンピュータ制御のシステムが不具合を起こして最後のシーンが台無しになったことに対する不満か。それははっきりしないが、去年のような圧倒的に大きなブーイングではなかった。私個人としては「ラインの黄金」は満足できるものだった。もともと「ニーベルングの指輪」シリーズはストーリーが神話なので、演出の自由度が高く、以前から現代的な演出が多かったのだ。あの巨大なセットは重厚感があって決して安っぽいものではなく、画期的だと思うし、ステージの照明も美しく、歌手たちの出来も良かった。

9月29日はカーネギーホールのオープニング・ナイト・ガラで、今年はウィーンフィル、ニコラス・ハーノンクール指揮。わたしはこれには行かなかったが、続く10月2日、3日の、グスタボ・ドゥダメル指揮のウィーンフィルのコンサートには出かけた。グスタボ・ドゥダメルは名門ロサンジェルスフィルの音楽監督に昨年就任した29歳の指揮者で、ベネスエラ出身。彼が持つ、のりがよく熱狂的な個性は、伝統的で格調高いウィーンフィルとは正反対の個性という感じ。なので、ウィーンフィルをどんなふうに指揮するのか、どんな音楽を奏でるのか興味津々だった。

10月2日の演目は、前半がロッシーニの歌劇「どろぼうかささぎ」序曲、ジュリアン・オーボン(スペイン生まれで1940年代にキューバに移民した作曲家)の現代曲。後半は、バーンスタインの現代曲、ラヴェルの短い曲と続いて、最後はラヴェルの有名なボレロ。

前半は最初のロッシーニの歌劇「どろぼうかささぎ」序曲がよかった。出だしの小太鼓がとても鮮烈で体に響いた。勇ましい行進曲ではつらつとしていて、活力にあふれ、しかも美しかった。後半は何と言ってもラヴェルのボレロだ。ドゥダメルは予想通り強弱の付け方が極端だ。最初は伴奏の小太鼓の音がきわめて小さくて聞こえるか聞こえないかほど。木管楽器や弦楽器、金管楽器が徐々に加わって、同じ旋律を繰り返しながら徐々に大きく膨らんでいく。最後の盛り上がりはこれでもかというほどの大音響。楽団員は一生懸命力いっぱい演奏している。特に弦楽器奏者たちは、強く弾くのがちょっと苦しそうなくらいに弾いている。

しかし、第2バイオリン主席奏者の隣にすわっている若い男性は、「ああ、なんて気持ちがいいんだろう」という感じで、ドゥダメルの方を見ながら、ほほ笑みながら楽しそうに幸せそうに演奏していた。金髪で華奢な感じで、いかにもウィーンのおぼっちゃまという雰囲気。この若さでウィーンフィルの第2バイオリンの主席に次ぐポジションにすわっているということは、ものすごい才能の持ち主なのだろう。ドゥダメルの音楽はやはり若い人に受け入れやすいようだ。あとで、ネットで調べたら彼はChristoph Konczという22歳の若者だった。

ドゥダメルは、ボレロはもちろんだが、現代曲も含めすべての演目を暗譜で指揮していた。現代曲を暗譜する指揮者はめったにいない。現代曲はリズムが特別難しいし、思わぬ旋律が現れ、演奏者にとっても難しくて楽譜にかじりついてやっと演奏できるようなものが多い。ましてや指揮は楽譜なしでは困難なのが常識。ドゥダメルはやはりただものではない。

ドゥダメルのボレロはドゥダメルらしいサウンドで、高揚感があって、私はどきどきしてアドレナリンが出てくるのを感じた。すべての演奏が終わって、ブラボーが飛び、大きな拍手が沸き起こる。ドゥダメルはこの日一つ一つの演奏が終わって大きな拍手をもらっても、ステージ上では大変謙虚だった。拍手の後、再びステージに戻って挨拶するとき、左手の第1バイオリンと第2バイオリンの最前列のラインから一歩も先に出ずに、観客に自分の横顔しか見せない。普通なら指揮台に再び乗って観客から脚光を浴びるシーンだ。いかにも「この拍手はウィーンフィルのものです。私のものではございませんから。」という感じだった。

一階席は総立ち。私の席はフロント・バルコニーと呼ばれる天井桟敷の中央よりで、前から3列目。ドゥダメルの人気はすごい。しかし私の右横の席に一人で来ていた年配の男性は、この日最初から最後までほとんど拍手をしなかった。彼は最後のボレロが終わると拍手を全くせずにすぐ立ちあがって去って行った。彼には不満だったのだろう。たしかにこの日の演奏はウィーンフィルの真骨頂のVienna Soundを聴けるような演目ではなかった。近代・現代曲が中心で、ドゥダメルとウィーンフィルが相性をなんとか合わせられる工夫がされた演目だった。

10月3日は前日よりさらに良かった。この日の演目は、前半がブラームスの悲劇的序曲、シューマンのチェロ協奏曲イ短調で、チェロ奏者はヨーヨーマ。後半はドボルザークの交響曲第9番「新世界より」。前半、ヨーヨーマが出ると観客は大拍手。ヨーヨーマの演奏は皆の期待を裏切らない。生れながらのチェリストだなと感じる大きな手。その手がチェロを通して深い詩情をたくみに表現する。

チェロ協奏曲が終わりヨーヨーマは観客から喝采をあびる。ドゥダメルはこの日もたいへん控えめで、第1バイオリンと第2バイオリンの最前列から一歩下がったところに立ってヨーヨーマに拍手を送っている。ドゥダメルとヨーヨーマがいったんステージから下がって、2回目に出てきたときは、ヨーヨーマがドゥダメルの片手をつかんで、指揮台近くに引っ張り出して、二人で握りこぶしを上げる。ようやくドゥダメルの正面の顔が見えた。3回目に出てきて、ヨーヨーマがウィーンフィルのおもだった奏者にまた一通り挨拶。それからやはり第1バイオリンと第2バイオリンの最前列から一歩下がったところに立っていたドゥダメルの片手をまたつかもうとすると、ドゥダメルが二、三歩後ずさりするので、観客がどっと笑った。ヨーヨーマは「まあ、そんなに遠慮せず」という感じでドゥダメルの手をつかんで正面に引っ張り出して、また二人でこぶしを上げて観客に挨拶する。観客は大喜びだ。

後半はドボルザークの「新世界から」。この曲は1893年、カーネギーホールでニューヨークフィルが初演したというたいへんゆかりのある曲だ。ドゥダメルはやはり交響曲を振るのがうまい。この2日間の中で、個人的には「新世界から」が最も良かった。特に第4楽章がすばらしかった。「新世界から」の第4楽章ってこんな感じだったっけと思うほど迫力があった。ドゥダメルは生き生きと指揮をする。この日も演目はすべて暗譜。すべて終わって、観客からブラボーが飛び、大きな拍手、大歓声。

この2日間を通して、全く私一個人の感じ方だが、ドゥダメルとウィーンフィルのコンビは、一口に言うと相性はあまり良いとはいえないと思った。これがベルリンフィルなら全然違うだろうと思う。ドゥダメルはもともとベルリンフィルのマエストロ、クラウディオ・アバドやサイモン・ラトルに発掘されて育った指揮者だ。ウィーンフィルもベルリンフィルも世界の最高峰と言われる楽団である。しかし、ウィーンフィルの格式や格調の高さはドゥダメルの個性とは、やはり難しいものがあるようだ。ドゥダメルの不自然なまでの謙虚な姿にも、その大変さがうかがえた。天才といえども世渡りの苦労はたいへんだ。