ニューヨークの風(肥和野佳子)    30

 

「ビンラディン殺害 米国らしい決断」

 

同時多発テロ9.11からおよそ10年の月日がたち、ついに首謀者ビンラディンが米国に殺害された。「勝利」を祝って真夜中に繰り出す若者たち、あふれる笑顔、「USAUSA!」のコール。テレビニュースに写ったその様子を見て違和感を抱いた日本人は多かっただろう。

 

ビンラディン殺害事件について、もちろん個人差はあるが、おおむね日本人の反応と米国人の反応には大きな隔たりがある。ニュースを見て、日本人の少なからずの人が「なぜビンラディンを生け捕りにせず殺害したのか?」と疑問をもった。「他国に押し掛けて行って特定の個人を殺害するとは国際法違反ではないか?」「米国には裁判でビンラディンに明らかにされたくない都合の悪い事実があったのではないか?」などと現在も取りざたされている。

 

米国政府は9.11後、アルカイダやタリバンとの戦いを自衛権に基づく「戦争」と主張し、パキスタンへ通告なく進めた今回の作戦に問題はないという立場をとる。しかし国際社会ではこれを必ずしも「戦争」と認識しておらず、国際法上問題があるのではとするむきもある。

 

私もずっと日本に住んでいたらたぶんそう感じただろうと思う。しかし私は1988年からの長年の米国在住者。2001年9月11日はグラウンド・ゼロからは直線距離約3キロのマンハッタンの自宅にいた。家族や親せきに犠牲者はなかったものの9.11に対する思いは特別なものがある。ニューヨーク市民でももちろん人によってビンラディン殺害について感じることはそれぞれ違うと思うが、私個人としてはビンラディン殺害に全く違和感はなかった。もともと米国はビンラディンの生け捕りを望むとは思っていなかったので「ついにやっとしとめたか、よくやった!オバマはさすがだなあ!」と思った。

 

何年か前に成功はしなかったが、明らかにリビアのカダフィーやイラクのフセイン殺害を試みたと思われる爆撃もあった。2007年にもビンラディン殺害作戦があったと現在報道もされている。以前から米国はブッシュ元大統領もオバマ大統領もビンラディンの殺害または拘束を最優先課題の一つとしていたので驚かない。

 

私がビンラディン拘束ではなく殺害でほっとしているのは、拘束しても生かしておくと奪還テロが怖いからだ。テロリストには戦争のルールも常識も通用しない。米国民間人の誘拐などが世界中で頻発する恐れがある。米国はそういう時、功利主義的選択をするので必ずしも人質を助けない。人質は見殺しにされることが多い。

 

それにビンラディンのようなカリスマ的な首謀者を失うということはやはりテロ集団にとっては弱体化につながる。9.11に一定のけりをつけるシンボリックな意味も大きい。殺害は実利的な決断と思う。もちろん今後数年間報復テロはあるだろう。しかしそんなことはもとより織込み済み。国際社会でビンラディン殺害の正当性を多少問題視されることがあっても、おおかたは受け入れられるだろうと見通した。デメリットよりもメリットのほうが大きいと判断したからこそ米国はビンラディンを殺害したと思う。

 

米国は論理の深さよりも実利を選択する。ブッシュドクトリンもそうだ。国際社会で国益の利害対立はなくならない。それを調整するために国連のような機関が存在するのだが、事実上、国連はあまりうまく機能しているとは言い難い。複雑な国際社会の中で正論を追い求めれば結局長い時間がかかるばかりで、結果として犠牲者がたくさんでることも懸念される。米国の姿勢は太平洋戦争の頃と基本的には大きくは変わっていないと感じる。

 

どの国も同じだろうと思うが、原則的には自国の国益と自国民を守ることが一番大事。米国政府がビンラディン殺害をためらわなかったのは別に不自然なこととは私は感じない。むしろ日本のニュースで「なぜビンラディンを生きたまま拘束して裁判にかけなかったのか、裁判でビンラディンの口から話を聞きたかった。」という意見を聞いたりすると、やはり日本在住者とは気持ちが遠いなあと感じた。

 

9.11の時からそうだったけれど、日本にとってはやはり「対岸の火事」。目の前にある危険ではない。「正論」を言える余裕がある。米国市民、ニューヨーク市民にとっては戦時下にある当事者。火の粉がほとんど降りかかることがなさそうな所に住んでいるのと、火の粉がすぐに降りかかる所に住んでいるのとでは危機意識が大きく違う。

 

慣れっこになって普段通りに生活はしていたけれども、グランドセントラル駅に行けば時々大きな自動ライフルをもった兵士があちこちにいたり、ちょっと何かあって街角に消防車やパトカーがたくさん出ているのを見かけると、テロでもあったのかとすぐ身構えるような日々を送ってきたニューヨーク市民。戦後長い間平和が続いて「平和教育」もゆきとどき、自分の身に直接降りかかる危機管理意識がいまひとつピンとこない日本。「平和な日本」はうらやましいかぎりだ。