ニューヨークの風(肥和野佳子) 第32回
ニューヨークの地下鉄
米国は車社会で、車なしでは生活が成り立たないのが普通だ。米国で車なしでたいして不便なく生活できるのはニューヨーク市くらいのものだ。公共交通網が全米の中で突出して発達していて、地下鉄、バス、郊外電車が通勤・通学に使われ生活の足になっている。
地下鉄は1904年に初めて営業を開始し、現在はニューヨーク市都市交通局が運営する。東京、パリ、モスクワに次いで世界第4位の規模だ。ニューヨークの地下鉄というと80年代初めごろまでは車両や駅の落書きがひどく、犯罪が多く発生し治安が悪かった。
しかし、その後落書きされてもすぐに消せるタイプの車両に変更され、80年代後半ごろになると徐々に治安は回復。米国好景気の90年代には治安は劇的に改善した。私の経験でも88年頃はまだ落書きされた車両を見かけることがあったが、93年頃には全く見かけなくなった。駅は、以前は薄暗くて壁も汚かったが、壁のタイルを張りかえ、電灯が増えてどんどん明るくきれいになっていった。2011年の現在、週末は夜中の12時でも若い女性が乗っているくらい治安は良くなった。
ニューヨークの地下鉄は路線にもよるが原則的に24時間営業。運転間隔は、ラッシュ時は3分から5分間隔、普通は10分から15分間隔。深夜は20分間隔程度。時刻表は内部的には一応あるらしいが、その通りには運行されず、いつまで待ってもなかなか来なかったり、バスのように団子になって来たりすることもある。
遅れていると各駅停車のはずなのに、突然車掌のアナウンスがあって、どこどこの駅まで停車せず飛ばしますというので、乗客はあわてて降りることがある。英語のアナウンスが聞き取りにくくて気がつかず、降りる予定の駅を飛ばされて「あれ?」ということもある。逆に、駅で通常より長い間来ない電車を待っていると、やっと来た電車が停車せず飛ばされて、次の電車をさらに待たなければならない時もある。
料金は、ひと駅だけ乗ってもどこまで乗っても同じの一律料金。現在は2ドル25セント。以前はトークンと呼ばれるコイン状のものが使われたが、現在はメトロカードと呼ばれる磁気カード。自分が乗る回数分事前にメトロカードに料金を前払いする。改札にカードリーダーがあり、乗るごとに残額が表示される。
ニューヨークの地下鉄には驚くべきことに駅員がいない。改札近くのブースに切符係が一人いるだけ。清掃は時々清掃員が行う。プラットフォームでの安全確認は車掌と運転手が行う。車掌室は電車の最後尾ではなく中央にある。何かあった時は無線連絡で警官がすぐ飛んでくる。ニューヨークの地下鉄は東京ほどではないが、ラッシュ時にはそれなりに混雑する。しかし駅員がいなくてもなんとかなっていてそれは感心する。
冬は、地下は暖かくてよい。しかし夏は地下鉄の車両そのものには冷房がきいているが、駅には冷房がないので、待っている間、蒸し暑くてじっとり汗をかいてたいへんだ。扇風機はところどころにあるのでその下で待つと多少ましだ。昔よりきれいになったとはいえ東京の地下鉄に比べると、やはり衛生面や快適さは劣る。地下鉄の線路わきで時々どぶねずみを見かける。大雨が降ると雨漏りする駅もある。
現在使われている車両は川崎重工製の車両が最も多く、次はカナダ製だそうだ。70年代の古いタイプの車両には吊皮があったが、現在はなく、握り棒があるだけ。横棒は高い位置にあるので背の低い人には一応手は届くが掴みにくい。私はところどころにある縦棒を握る。川崎重工製の新車両は良くデザインされていて、出入り口付近にたくさん掴むところがあってさすが日本製だと思う。古い車両は出入り口近くの椅子端に縦棒がなく、私は出入り口付近で掴むところがなくて、この車両をデザインした人はきっと大男に違いないと恨んだものだ。
車両の椅子はプラスチックの固い素材でマクドナルドのような椅子。日本観光に行ったことのあるニューヨーカーは、東京の地下鉄の椅子はビロードで覆われたクッションのよい椅子でびっくりと言う。ニューヨークの地下鉄があまり座り心地の良くない椅子にしているのは、おそらくホームレスが寝床にするのを防ぐためだと思う。
ニューヨークの地下鉄の良いところは複々線になっていて急行と各駅停車があることだ。急行は主な駅しか止まらないので速くてとても便利。複々線が可能なのは、地下鉄が作られた時、日本のようにトンネル方式ではなく、まず路線全体を掘って線路を敷き、その上に蓋をするという工法で作られたからだそうだ。だからニューヨークの地下鉄は地表からかなり浅いところを走っている。
プラットフォームでは時々ストリート・ミュージシャンやダンサーがパフォーマンスをしている。これにはオーディションがあるのでレベルは結構高い。軽音楽が多いが、音大生らしき人が練習場がわりにクラシック音楽を演奏していることもある。車両内では本来は禁止なのだろうけど、歌ったり踊ったりして乗客を楽しませて、チップを集める人も時々いる。
地下鉄に自転車を持ち込む人もいる。ベビーカーで子連れの母親もいる。車両内でベビーカーをたたむ必要はない。階段は何も言わなくても近くにいる男性がベビーカーを持ちあげて運んでくれる。重いスーツケースをもった女性が階段で困っていると「お手伝いしましょう」と男性が持ってくれて、さすがレディーファーストの国と思う。
地下鉄で時々キレそうになるのは乗客の自己中心的な態度。ラッシュ時でプラットフォームに電車に乗り込もうとたくさん待っている人がいるのに、車両内の乗客は出入り口付近に固まって中はすいているのに詰めようとしない。自分さえ乗ったらもういいやという感じ。
ある時、私は遅れたくないので小さな隙間を見つけて乗り込むと、そばの女性が私を睨みつけ「信じられない!」と嫌味を言い放ち、これ見よがしに自分が降りた。次の駅は大きな駅なので、人がたくさん降りて空くことはわかっているのに。たった2分の我慢もできないというのか。そもそも車両の中央に詰めても人がたくさん降りるから問題はないはずなのに、なぜ乗客は奥に詰めて、できるだけ多くの人が乗り込めるように協力しないのか。
空間感覚の問題では済まされない問題がある。日本でも電車で他人と体がくっつくほど混むのは快適であるはずがない。だけれども、誰しもラッシュ時は急いでいるから我慢して協力し合っているにすぎない。エレベーターなら少し待てば次が来るのはわかっているから無理に乗り込まず次を待つのがマナーだと思う。しかし、ニューヨークの地下鉄はラッシュ時でも次がいつ来るかはっきりしない。早ければ3分かもしれないけど長ければ20分かもしれないのだ。なにがなんでも乗り込まなければならない時もある。
プラットフォームには乗車位置のサインはないので、人々は並ばずに散らばって電車を待つ。だいたいどのあたりにドアが来るか毎日乗っているとわかるので、そのあたりで待つ。だが、先日は運転手が1メートル半くらいストップ位置を狂わせたので、予想外の所にドアの位置が来て、私は誰よりも長い間待っているのに出遅れた。私の前にいた男性は女性に譲ってなかなか車両に乗り込もうとしない。人はどんどん乗り込んでいくのに結局私は乗り込めず失敗だった。今度は絶対男の後ろには並ばないぞと思った。