ニューヨークの風  肥和野佳子

学ぶ力を身につける

〜グローバル社会を生き延びる為に〜

 

今の時代は世の中の移り変わりが早い。情報も氾濫している。情報リテラシーを身につけ、分析し、先をよんで決断し、行動することが大事。「学ぶ力」を身につけていれば、この先、世の中がどう変わろうともなんとか生き延びることはできると思う。

 

「勉強が好きですね。」と言われることがある。しかし私は基本的には「勉強」は好きではない。勉強は「強いて勉める」ことであり、入学試験や資格試験の為に何かを勉強するのはやはり苦行だ。だけど自分が何かを知りたくて、何かを身につけたくて学ぶことは結構楽しいことだ。継続してやっていれば成果も上がるし、達成感が得られて脳が喜ぶ。私はそういう「学ぶこと」ならたしかに好きだ。学びの春。ひょっとしたら少しでも誰かの参考になることがあるかもしれないと思い、私が大人になってから学校時代にやったことで効果があったと思うことをいくつか紹介したい。

 

10年先、20年先の自分をイメージする

私は中学生のころからいつも20年先のことを考えていた。15才の頃なら「35才の時こうありたい自分」をイメージした。男性と同じように仕事をもち、家庭も持っている自分。いまでこそ女性が仕事をもつことは普通のことになったが、私が中学生のころはキャリア志向の女子は少数派だった。私の親は伝統的な考え方で、女の人生は結婚する男次第で決まるなどと言っていた。私は「結婚する男次第で自分の人生を変えられてたまるか」と思っていた。

 

大学生のころは、将来自分はどんな仕事をしているかわからないけれど、「ブリーフケースを持って高層ビルの谷間を闊歩する自分」というイメージを抱いていた。高層ビルだから丸の内かな、新宿かなと思っていた。30才を過ぎて、ある時ふと気が付いたら、なんとマンハッタンの摩天楼をブリーフケースをもって闊歩している自分がいた。自分で言うのもなんだけれども、社会心理学でいう「予言の自己成就」を私はいつのまにか成し遂げたのだと、素直にその時とてもうれしかった。

 

特に女子は自分の人生をどうしたいのか自分の頭でしっかり考えるのが良い。女は結婚相手次第なんて思っていたら、そこそこの「教養」程度でいいやということになり、真剣に勉強するよりも「女」でも磨いていたほうがいいということになるのは当然だ。それはそれで生き方の選択なので自由だ。自分の意思で選ぶということが大事で、将来どういう人生になっても自分で選んだのであればそれは自己責任だ。

 

個人の選択の問題ではあるが、社会の流れを考えると、女子は結婚をゴールに考えていたのではあきらかに21世紀は不安を伴う人生になってしまうと私は思う。夫だけの片働きで家庭が運営できた時代はもう昭和でほとんど終わった。これからの時代は今以上に家庭運営における妻の経済力が重要になってくる。非婚、離婚、失業ももっと増加する。どういうことになっても自分にサバイバルする力があればなにかと安心だ。

 

何のために勉強するのか?

何かをするとき、動機や意味があやふやだと、しっかりと行動するのは難しい。学校の勉強はこんなことを勉強しても将来何の役に立つのだろうかと思うようなこともある。私はこう理解している。高校までの勉強は将来何が役に立つかわからないけれど、必要になった時にいつでも開けられる「引き出し」をたくさん作っておく為にするのだ。大人になってから全くやったこともない新しいことを一から学ぶのはたいへんだ。しかし若い頃に少しでもやったことがあるものは後からやるときやりやすい。「引き出し」がたくさんあれば有利なのだ。たいして興味もないものを勉強するのはたしかにつらい。しかし興味のあるものは原則的には大学に入ってから好きなだけ学べばよい。

 

学業成績は一種の課題達成能力の指標であると思う。Aができた人はBもできるだろう。Bができた人はCもできるだろうと予想される。仕事では何が求められるかわからない。しかし、基礎力の土台があり、学び方、達成の仕方が身についていると、予測不可能なことに遭遇したときに問題解決能力を発揮できる可能性が高い。未知への挑戦という創造力もさらに伸ばすことができる。そういう潜在力が重要で、質の高い人材として労働市場で高い評価を受けるのだろうと思う。

 

勉強の計画と実践の記録をつける

これは私が実際に行ったことで非常に効果があった。中学1年の終わりごろからやりはじめたことだ。まず授業の時間割を考えて予習中心に5日分位何を勉強するかおおまかに計画を立てる。宿題とか入ってくるのでその辺は柔軟性をもたせる。そして毎日何を何時間実際に勉強したか記録をつける。そして一定の勉強時間のノルマを設定して、ノルマが達成できた日には○、できなかった日は×をつける。毎月集計して○が×より多くなって勝ち越すようにする。一旦×がついても、あとで余分に勉強してその時間を足りなかった日にまわしてノルマを達成したことにして○にしてもよいというルールも作っていた。

 

この勉強時間の記録は厳しくつけなければ意味がない。机についていただけでボケっとしていた時間はカウントしない。コーヒーを飲んだりして休憩していた時間も含めない。正味実際に勉強していた時間だけをカウントする。そうすると机についていた時間は4時間で、4時間勉強した気になっていても実際には3時間しか勉強していなかったということにも気がつく。そして勉強した内容も記録するので、何を勉強したか書くものがなければそれだけ勉強はしていなかったということで、書くものがあればそれだけ勉強したということがはっきりする。そしてこの科目に勉強時間を取りすぎだとか、この科目の勉強時間をもっと増やしたほうがいいとか、いろいろ分析ができる。

 

正味勉強時間で毎日3時間が達成できたら、次は4時間にする。4時間が達成できたら5時間にする。経験としては、ボケっとしていた時間を全く含まない正味勉強時間で学校から帰って家で5時間毎日勉強するというのはとてもハードだ。しかし勉強はどれだけ自分に厳しくなれるかが勝負だ。

 

それから、暗記ものを勉強するときは机に向かって勉強してはいけない。机に向かって勉強するときはもっと思考力を必要とするものに時間を使うべきだ。暗記ものは原則的には通学で電車やバスに乗っている間にする。暗記は毎日何度も目に触れて覚えるようにする。トイレの壁や、洗面所の鏡の近くとかに、暗記したい英単語や歴史の年代や数学の公式などを紙に書いて貼っておくと、一日に何度かどうしても目につくので無理なく覚えられる。それから勉強机の上に透明のビニールシートをしいて、そのシートと机の間に暗記したいものを書いた紙を挟んでおく。すると他の勉強をしている間も、ふとした時にそれが目に入るので、自然に覚えられる。

 

勉強時間を確保するには時間の使い方を効率良くすることが大事だ。私の場合は勉強が一番きつかった高校3年の時は、学校から4時半ごろ帰宅し、少し休憩する。そして夜7時台の夕食時間までに1時間くらい勉強して、夕食を取りながらニュースなどテレビを見る。夜9時台か10時台にいつも見たいテレビ番組があるのでその時間を休憩時間にして、その前に8時から1時間ないし2時間勉強し、テレビを見終えてからまた2時間くらい勉強してトータルで正味勉強時間が5時間になるように工夫した。私はマスコミ、特にテレビが好きでディレクターとかプロデューサーになりたいなあと思っていたこともあった。

 

ちなみに、社会調査でテレビの視聴時間と学業成績の関連で、いかにもテレビを見ると成績が悪くなるみたいな分析の仕方をされることがあるが、それはテレビに対して失礼な話だと思う。真のファクターはテレビではなく勉強時間であって、テレビをたくさん見ても勉強時間をしっかりとっていれば何の問題もない。たとえくだらない番組でもテレビは世相を反映する。テレビを通して社会の動きをすばやく掴むことができ、大事な情報源である。むしろテレビを見ないと「世間知らず」になると思う。

 

実際に役に立った学校の勉強

個人的には学校で学んだことで今一番役に立っているのははやり英語だ。国語も役に立っている。社会人になるとしっかりした文章が書けるかどうかは結構大事。漢文はまさに中国語そのものでその素養が中国語を学ぶ際にとても役立つ。数学は四則演算以外はほとんど使わないのだが、文系でも統計の数学はよく使うことがあるのでもっとやっておけばよかったと思う。経済学をやる人は数学は必須だ。

 

地理・歴史も役立っている。イラクはチグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア文明が栄えたまさにその地にある。イラク戦争の時、米国兵士の一体何人がそういう認識をもっていただろうかと思う。特に世界史の教科書は外国人と話すときにとても役立つので今も本棚において時々読んでいる。物理は個人的には使うことはないが、生物や化学はライフサイエンスと関連があるので健康のための医学知識を学ぶときなどに役立っている。音楽も美術もスポーツも世界共通のものなので素養があると特に国際的な場面でコミュニケーションやパフォーマンスで役に立つ。家庭科の調理実習でのレシピ・カードは今も家で使っている。

 

学びは若い時だけのものではない。大人になってからも学ぶことは求められる。去年できなかったことで今年できるようになったことが一つでもあるのはうれしいことだ。学びの春、自己啓発の春、子供に勉強しろと言うばかりではなく、まず大人が学ぶ姿勢を示して子供を学びの世界に導くのもよいことだと思う。