【ニューヨークの風】
第43回
米国のオフィス
〜プライベート空間で仕事に集中〜
米国の国土は広く日本は狭い。一般的には面積あたりの事務所の賃貸料は米国の方が安いはずだから、米国でオフィスが広くても当たり前といえばそうかもしれないが、ニューヨークのマンハッタンは賃貸料がとても高いのでそれはあてはまらない。人口密度は東京以上。なにせマンハッタンは世田谷区ひとつ程度の面積しかない。しかし従業員一人当たりのオフィス占有面積は東京よりかなり広い。
日本でもテレビなどで米国企業のオフィスの様子を見かけることがあると思うが、多くの米国のオフィスは個人主義的。日本企業のオフィスようにワンフロアが全部見渡せるオープンな雰囲気とは違って、つい立てで個人個人が仕切られたキュービクルと呼ばれるワークスペースが主流で、管理職になると個室が与えられることが多い。近年のトレンドとしては、新興のIT企業などでは優秀な若手を企業にひきつける為に、オープンスペースの豊かな斬新なスタイルを取り入れ、クリエイティブな雰囲気のオフィスも増えてきてはいるが、そういうスタイルはまだ例外的だ。
米国企業の典型的なオフィスはフロア・プランを見るとわかるように、窓側は個室がずらっと並んでいて、フロアの内側はキュービクルが整然と並ぶ。人と顔を突き合わせながら働くということはない。各キュービクルには机の他に棚やキャビネットが設置されている。電話は一人1台でボイスメール(留守電)を使うので、別人が電話を取ることはない。人の電話を取り次ぐことがあるのは秘書だけだ。キュービクルでは隣の人の声は聞こえるが二つ隣の人の声はあまり聞こえない。雑音に気を取られることなく仕事に集中しやすい設計になっている。
各キュービクルは自分の好みで、家族の写真、ポスター、花、プラントなどを飾ることができ、ふとしたときにリラックスできる。女性は机の下にオフィスで履くためのハイヒールを何足か置いている人が多い。NY市は東京と同じで公共交通機関で通勤する人が多く、歩かなければならないので、通勤時にはヒールのないパンプスやスニーカー、夏にはフリップ・フラップと呼ばれるいわゆるビーチサンダルで歩いている女性が多く、ヒールのある靴で通勤する女性は少数派だ。
個室は社内でのその人の地位が反映されるので、どういう個室を持っているかが重要となる。比較的低いランクの管理職は窓のない小さな個室で、ランクが上がると窓側の個室になる。そのフロアでトップランクの管理職は角部屋の広い個室だ。上級の管理職は使う机、椅子、家具、フロアライトなどをある程度自分の好みで選択できる。自分が好きなものを持ち込むことも可能。ちなみにオフィスで履きかえるハイヒールをたくさんもっていてシュー・ラック(靴棚)を自分のオフィスに持ち込んでいた管理職女性は「イメルダ」とあだ名されていた。(イメルダ・マルコス元フィリピン大統領夫人がフィリピン革命で追放されたとき大量の靴が靴棚に保管されていた話が有名。)
オフィスによっては個室の壁はガラス張りで中が丸見えのタイプもあるが、通常は普通の壁で、ドアを閉めたら中が全く見えない。だから個室のドアは通常は開けたままにしておくのがルール。居るはずなのにドアが閉まっているということは今忙しいから入って来ないでくれということ。赤ちゃんを産んだばかりで胸がはる女性管理職は自分のオフィスのドアを閉めて搾乳器で搾乳しているという話も聞く。ドアを閉めてしまえば何をしているかわからないといえばわからないが、遊んでいる人はほとんどいないと思う。少しでも成績が悪くなると解雇の対象になるので、皆そんな余裕はないのだ。
こういう背景があるので、転職するときも年収交渉はもちろんだが、個室がもらえるか、どんな個室か、秘書がつくかということも重要な要素となる。ちなみに管理職になると秘書がつくことが多いが、数人で一人の秘書をシェアするのが普通で、かなりの上級管理職でないと自分だけの秘書というのはつかない。
オフィスの従業員は、管理職と基幹業務に従事するプロフェッショナル、周辺作業に従事するアドミニストレーション職員(一般事務員)、秘書、受付係、メイルルーム係員などで構成される。昇進があるのはプロフェッショナル職だけで、一般事務職などは、昇給は少しはあるが上限があるのでそれに達すると何年いてもそれ以上の年収になることはなく、昇進することもない。したがって野心のある若者はそういう職には就きたがらず、一般事務職等に就くのは中高年の女性が多く、大企業でも受付はおばあさんだったりする。たまにいる若い魅力的な人は、本業はダンサーや俳優だったりすることもある。
オフィスの掃除は通常は外注で、みんなが帰宅したあと、夜の時間帯に掃除人がオフィス掃除に来る。夜遅くまで残業していると、掃除のおばさんが数人やってきて、机の上を拭いたり、ごみを捨てたり、掃除機をかけたりしている。たいていは英語がたどたどしい移民で、米国はこういう移民に安く働いてもらって助けられているのだなあと思う。
オフィスでは月に1回か2カ月に1回程度、その月が誕生日の人のために簡単なバースデー・パーティーをすることもある。たとえば3時に会議室集合とかで、HR(人事部)からケーキや飲み物がふるまわれ、皆からお祝いの言葉が書かれたカードを贈ったりする。HRは従業員が気持ちよく働いてくれるように、他にもアイスクリーム・デー、ドーナツ・デー、ピザ・デーなどを設けていることもある。
誰かが退職するときはランチでさよならパーティーということが多い。夜に宴会ということはほとんどない。会社帰りにするとしたら近くのカウンター・バーにちょっと集まるくらい。クライアントとのビジネス・ディナーは別として、皆、家庭事情があるから夜はあまり好まれないのだ。例外はクリスマスパーティーだ。12月に大きな場所を貸し切って夜に立食でダンス・パーティをしたりする。これには従業員の家族やゲストが参加できる場合もあり、日ごろ接しているさえない人が、ダンスがとてもうまかったり、強面の管理職男性が奥さんに尻にひかれてそうだったり、意外な面が垣間見られたりして興味深いものがある。
他に全従業員が参加できるアウティングと呼ばれる日帰りの行事を行うこともある。みんなで野球、フットボール、アイスホッケーなどの観戦に行ったり、ゴルフ、テニスなどをすることもある。米国企業では人の入れ替わりが早く、会社に対する忠誠心はそれほど高くはなく、基本的には個人主義なので、なにかにつけチームワークが奨励され、誰それはチーム・プレイヤーだのと言われるとプラス評価につながるので、従業員はそれなりに会社の行事には積極的に参加して楽しむようだ。
米国にある日系企業はオフィスの作りがやはり日本的な雰囲気で、大部屋が主流で個室が極めて少なく、ワンフロアに個室が2つくらいしかないことも多い。ある時、ニュージャージー側でマンハッタンの摩天楼の景色がとてもよく見えるビルにある、大手の日系企業を訪問した時驚いた。窓側に個室は全くなく、オープンスペースで、仕切りの高さが低めのキュービクルはあるものの、机はみな窓を背にしてずらっと配置されていた。あんなに景色がいいのになぜ窓に背を向けて机を配置したのか尋ねると、「そんなことしたらみんな景色ばかり見て仕事しなくなるから。」とその日本人管理職は答えた。実に日本らしい回答と思った。ちゃんと仕事をしているか互いに見張りあうのがしきたりのようだった。
だけれども、こういう雰囲気のオフィスだと、自由度も高く個室で仕事をすることに慣れている有能な米国人従業員は、大金払ってせっかく日系企業にヘッドハントしても短期間で辞められてしまうこともある。現地の従業員に魅力的に思ってもらえるような職場環境にしないと日系企業に残る米国人はよそでは使えないような人材ばかりということになりかねない。「郷に入れば郷にしたがえ」がやはり良いと思う。