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所得制限

〜日本のやり方は不公平〜

近年、児童手当(子供手当)の所得制限や、消費税で低所得層に給付金をということが論議されている。しかし実際にどういう方法で所得制限をするのか、どういう方法で低所得層を把握し給付金を配布するのか、具体的な方法は広報されない。租税法研究専門の大学教授も実際には日本の税務実務をすることはないので、机の上の理想論に終わっていることも少なくない。国民の生活にかかわる大事なことを議論しルールを作ろうとしている政治家たちが、そもそも税務実務上、所得制限や低所得層の把握が公正にできるのかどうか、どうもよくわかっていないらしい。マスコミも実は税金音痴が結構多いようだ。

たとえば昨年、子供手当は旧来から存在した児童手当に名称が戻ることになり、給付額と所得制限が決められた。この所得制限は、新聞などでは世帯所得が960万円とか書かれているが、これは配偶者の所得を含まず、主たる稼ぎ手だけの所得で判定されるということをいったい国民のどのくらいの人がはっきりと知っていただろうか?

主たる稼ぎ手の所得だけで判定されるということは、たとえば夫が年収1千万円で妻が専業主婦の場合、この夫婦は年収960万円の所得制限にひっかかるが、夫が年収800万円、妻が年収600万円、夫婦合算で年収1400万円の夫婦は所得制限にひっかからないのだ。これはどう考えても不公平だろう。こんな誰でもすぐにわかるようなことなのにマスコミは一切何も言わないので国民は何も知らされないままにされている。

ひょっとしたら、政治家もマスコミも国民も夫婦合算の世帯所得は簡単に把握できると思っているのかもしれないが、実は日本の税制ではこれはものすごく困難なのだ。というのは日本の場合、所得税の課税単位は「個人」に限定されているからだ。

税務署では個人の所得と税金支払いの情報はあるが、所得税は個人単位で税金を取ったらそれでもういいので、共働きの場合、誰と誰が夫婦なのかは把握していないし特に把握する必要もない。国民一人に一つの背番号制度もまだ導入されていないし、全夫婦のマッチングなど途方もなく極めて困難なのだ。

誰と誰が夫婦なのか、ある程度把握できているのは住民票がある市区町村の役場だ。住民税徴収の関係で税務署や年末調整をする会社から前年の個人別の所得税の情報が集まって来る。国民個人背番号制度がない現在、夫婦合算の所得を手作業でマッチングして計算しようと思えばできなくもないだろうが、途方もなくたいへんな量の事務作業になるのは間違いない。そんなことをしたらものすごい額の人件費がかかり無駄な税金が使われることになる。

それに市区町村でも夫婦合算の所得は全部の夫婦について把握できるわけではなく、一部の夫婦については自己申告してもらわないとはっきりとはわからない。たとえば現在、公的保育所に入所希望するときは夫婦両方の所得証明の提出が求められる。夫婦両方がサラリーマンで同じ住所に居住している場合は、同じ管轄区に夫婦両方の住民税の情報があるので所得証明を提出しなくてもよいだろうけれど、単身赴任などで別居していて住民税支払いの管轄区が違う場合はよその管轄区から所得証明を提出してもらわなければ夫婦両方の所得情報がそろわない。同じ個人が複数の勤務先で働き、それぞれ異なる住所をそれらの会社に登録していた場合や、年の途中で転居して住民税の管轄区が変わった場合など、いろいろな複雑なケースがあって、個人レベルでは住民税は結局どこかに支払ってはいるのだろうけれど、各市区町村レベルではそれぞれ半端な情報しか把握できていないことも少なくないのだ。

そういう実務上の問題があるので、夫婦合算の所得で所得制限をするということは日本では事実上できないのだ。今のまま夫婦のうち年収の多い方で判定して所得制限をやっても公平性に問題があるし、市区町村にたいへんな実務負担がかかり、無駄な人件費がかかるだけと市区町村はわかっていたので、政府が勝手に決めてしまう所得制限に反対していたようだが、政府は以前から存在していた児童手当に近い形ということで押し切ってしまった。

日本政府は米国の所得税制度で行われている子供手当(Child Tax Credit)や低所得層に対する給付金的な勤労税額控除(Earned Income Tax Credit)の所得制限を意識しているらしいが、日本と米国では課税単位のシステムが異なるので同じようにはうまくいかない。

米国の場合は、所得税確定申告で課税単位は「独身」「夫婦合算」「夫婦個別」など選択できる。一定の所得制限がかかる給付金的な税額控除は、既婚者は夫婦合算申告を選ばないと受けられない。夫婦共働きが当たり前なので、既婚の場合は夫婦の片方だけの年収では世帯の豊かさ貧しさを判断できないからだ。

日本では最近「マイナンバー」という名称の国民背番号の導入が進められているらしい。一人に一つの個人ID番号が必要なのは当然のことだが、それだけでは解決できない日本の税制上の問題はほかにもいろいろあるのだ。日本の税制は、戦後、米国のシャウプ勧告を元に作られたので米国と日本のシステムは基本的には似たところも多いが、その後の発展の違いもかなりある。

日本では一部の高額所得者を除いてサラリーマンは所得税確定申告の必要がなく、会社が年末調整をするという世界でも極めてめずらしい制度を取っている。徴税コストを考えるとそれはとても優れた制度だが、国民はいつのまにか税金音痴にされてきた。政府の勝手にばかりされていてはいけない。国民はしっかり目を開いて注視していきたいものだ。

新しい児童手当について詳細は以下のサイトを読むとよい。

2012年5月14日 是枝俊悟 大和総研 金融調査部制度調査課

「新旧児童手当、子供手当と税制改正のQ&A 〜所得制限は夫婦のうち年収の多い方で判定〜」

http://www.dir.co.jp/souken/research/report/law-research/tax/12051401tax.pdf