ニューヨークの風〔肥和野佳子

ニューヨークの風8(2008.7.15)

救急車で入院

6月半ばの週末に夫が急病になって、米国で初めて救急車に乗り、入院。わたしは救急車に乗るのは日本でも米国でも生まれて初めての経験。

911(日本の119番)に電話をすると、5分もたたないうちに救急車が来て、バイタルをチェック。救急隊員は若い男性2人。救急隊員はパッと見て私たちが夫婦には見えなかったらしく、彼女はあなたのCare Giver(介護の人)ですかと聞いた。「いえいえ、ワイフですよ。」「これは失礼」とおかしくて夫も私も笑った。夫は頭がうすいので実年齢より老けて見えるし、アジア系のわたしは白人より若く見えるのだ。緊急隊員が来た時には夫は症状が落ち着いていて、ふつうに話せたし歩けた。しかし異常があるので、救急車は夫と私を乗せてすぐ近くの大きな病院へ向かった。

救急車に乗るのなんて生まれて初めてなので、へー、こうなっているのかと落ち着いて見回す。米国の救急車はいろんな組織や会社が運営していて、それぞれさまざまなタイプがある。夫はストレッチャーに乗るほどでもなかったので窓際の長椅子に座る。私もその横に座った。椅子にはシートベルトがあってそれをしっかり締める。車内にいるあいだに救急隊員に、症状が出る前に何をしていたのかとか、既応症とか詳しくきかれた。

救急車から降りるとAmbulance Triage(救急トリアージ)と書かれたセクションで、まずバイタルの確認。何をしていたのか、どういう症状か、本人に矢継ぎ早に質問。健康保険証を見せて一通りの患者情報を記入。患者用のガウンに着かえさせられて、それまで着ていた服や持ち物をプラスティックの透明な手提げ袋に入れるように言われ、ストレッチャーの下の部分に置くように言われた。

夫は病院に着いてからは落ち着いていて普通に話せるし動けたのだが、検査の結果、やはり何かおかしいらしい。医師が入れ替わり立ち替わり来る。夫も私も、注射と薬で帰宅を許されることを期待していたのだが、医者はリリースしてくれない。入院してくださいということになった。

入院で部屋に入れるまで緊急治療室での待機時間が長い。わたしは立ちつかれた。午後5時半ごろERに来たので夕食は食べていない。夫もわたしもおなかがすいたので7時半ごろ近くの店でサンドイッチを買って来てERで食べた。9時ごろようやく入院の部屋に入れた。

二人部屋でトイレがついている。運よく隣のベッドは空いていた。シャワーは廊下を出たところにあって共用。個人個人にテレビが付いていて、テレビは1日5ドルと言われた。手元のコントローラーからテレビの音声がでるので隣の邪魔にならないようになっている。

看護師が入院用のセットを持ってきた。それには歯磨き、歯ブラシ、マウス・ウォッシュ、デオドラント、ボディーローション、シャンプー、石鹸、ティッシュペーパー、くしが入っていた。ガウン(患者が着る寝巻き)とタオル、ペーパータオルも与えられた。

通常の主治医はだれかとか、緊急連絡先とか、入院患者の一通りの情報を書類に記入。 それから個人の持ち物を個人所有物リストに書くように言われ、着てきたTシャツ、ずぼん、時計、携帯電話、靴などをフォームに記入。

夫の姉にまず入院したことを携帯電話で話した。あとで気がついたのだが病院内はいちおう携帯電話禁止と書いてあるのだが、事実上、携帯電話を使っている入院患者も医療従事者もいて、患者が部屋でかける分にはどうやら多めにみられているようだ。

家族の看護も大目にみられているようで、わたしが夜遅くまでいても誰も何も言わない。わたしは夫のそばに付き添っていたが、普通の椅子しかなくて付き添いが寝られるようなつくりにはなっていない。夜11時半ごろ、わたしは家に戻った。

夫が入院した翌朝、着替えの下着や雑誌などを持って朝8時半ごろ病院に行った。大きな病院の建物は複雑なので、迷わないように昨晩家に帰る時、メモを取ったのでその通りに進んで、迷わず、夫の部屋にたどりつけた。

夫はちょうど朝食をとっていた。ヨーグルト、オートミール、小さな食パン、牛乳、ハーブティー。飛行機のエコノミークラスの食事をもっと軽くした感じ。夫はふだん朝はコーヒーを飲むのだが、カフェインはだめらしい。ハーブティーは、夫は好きでないらしいので私が飲んだ。

飲み水は病院で毎日水差しに入れて用意してくれているし、使い捨てのプラスティックのコップも用意されているのでそれで飲めばいい。しかし、お湯の出るポットはない。わたしはお茶が飲みたいのだがお湯がない。廊下に出ると水と氷が出る機械があった。ホットウォーターはないのかしらと言ったら、近くにいた人が、水をこの電子レンジで温めればいいんですよと教えてくれた。

夫は昨晩、私が家に帰ってから、投薬、注射、点滴、EKG(心電図)検査などで夜中に何度も起こされ、ほとんど眠れなかったという。ベッドのそばには、やり終えた点滴のバッグが残っていた。一つはマグネシウム、もう一つは食塩水だった。

手の甲の静脈には、点滴がいつでもできるように常設の針と管の先端部がセットになったものがテープでつけられて痛々しい。点滴をする必要がなくても入院中はずっとつけておくようにということだった。

夫の症状は落ち着いていて、なんともなさそうだ。電動ベッドなのでボタンがたくさんついていて、起こしたり、寝かせたり、あげたり、下げたり、使い方を教えてくれる。テレビの使い方も説明してくれた。

しばらくするとこの病院の研修医だという若い女性の医者が来て、これからやる検査のことを説明してくれる。週末はその検査はやっていないので月曜日になるという。ということは、今日はまだリリースされないということだ。一番早くて月曜の午後かぁと思った。

夫は普通に歩けるので散歩のつもりで同じフロアがどんなふうになっているのか、二人でゆっくり歩いて回った。フロアの中心部にナースステーションがある。4人部屋や一人部屋も少しあったが、ほとんどの部屋は2人用にできていた。病室のドアは特別な事情がない限り中の様子を観察できるように開けておかねばならないルールのようで、どこの病室のドアも空いていてのぞける。

すべてのベッドは電動ベッドで足にコロが付いている。病室のドアは押して開けるタイプだが、ベッドが通れる幅の大きなドアで、ベッドごと患者を移動させることができるようになっている。日本の病室のドアはスライド式が多いけどなあと思った。

米国では、1週間以上長々入院することはあまりない。たいてい数日で退院になる。緊急の患者が主流なので固定式のベッドではないということかと思う。日本では数週間の入院とされるような状況でも米国の病院では家から通いで治療ということになることが多い。

なにしろ医療費がバカ高いので無駄な入院なんてできない。いくら保険に入っていても、保険会社が病院に対しても厳しくて、無駄な入院治療を許さないので医者もできるだけ早く患者を退院させるらしい。今回の請求書も後でいくら来るんだか…。もちろん救急車は無料ではない。緊急治療は通常より高いし、1日の入院料金は高級ホテルの1泊の料金よりずっと高い。検査料金も高い。どれだけ保険が負担してくれるのか保険によるが、わからない。請求書がきてからびっくりということになる。

それを思うと日本の医療保険システムは素晴らしい。とにかく患者負担が少なくて安い。安かろう悪かろうということも一部あるかもしれないが、米国に比べたら天国みたいな安さだと思う。日本の医療は国際的に見ればけっこう納得のいく料金で高いレベルの医療も可能で、日本の健康保険はよくできていると思う。

医者も看護師も昨日とは違う人が来る。大きな病院なのでシフトがあるからだろう。病室には、個人個人にホワイトボードがあって、そこに今日の担当看護師の名前、担当看護アシスタントの名前、担当医師の名前が書かれてある。ベッドの足側のほうには投薬などを何時に看護師の誰がしたか書く記入用紙がある。

わたしはたまたま去年、医療に個人的に興味があって、授業を大学で受講したことがあるので、テキストに書かれていたことの実物が病院にはいろいろあるので、たくさんのことに興味をもった。

投薬などを何時に看護師の誰がしたか書く記入用紙というのはMAR(Medication Administration Record)というもので、テキストでは医師が処方を指示した錠剤、点滴、注射などの名前、分量、回数が書いてあって、それにしたがって看護師がスケジュールどおりに行うよう、何月何日、24時間の表になっていて、実行した看護師がイニシャルをするようになっている。

勉強したので、いざ入院した時に看護師が処方を間違えずにちゃんと医師の処方通りにやっているかどうか自分でチェックできて医療過誤を防げると思った。そのMARの表に近いものがベッドの足側にあるのだが、何の薬や何の注射をどれくらいしたのか書く欄がなく、ただ、実行した看護師のイニシャルだけがある。これではなにをされたのか何も分からないではないか。

せっかく役に立つことを勉強したのだから、何をどのくらい投与したのか、することになっているのか、ぜひ知りたいと思い、看護師にMARのことを尋ねた。すると「あー、テキストブックではそう書かれているのだろうけれど、今はすべてコンピューター上で管理するようになっていて、そういう紙はないんですよ。」という。

くいさがると、何をどのくらい投与したかは入院中にはお知らせできないことになっている、退院後なら請求すれば情報は出せるとのことだった。私が医療関係者ならともかく、しろうとには教えられないという病院のポリシーのようだ。米国では医療過誤の訴訟が多いので病院もある程度保身せざるを得ないのは理解できる。情報開示のシステムはあるが、やたらめったら情報は出してくれない。それからのちは、私がいるときは、看護師が投薬や注射にくるたびに、薬の名前、量をメモに取ることにした。

夜になって専門医(中年の男性)が来た。いままで数人の医者が入れ替わり立ち替わりきたが、どうやらこの人が主治医ということらしい。月曜日に検査をすることになっている。まだ、月曜日に退院が許可されるかどうかわからない。

3日目、朝9時半頃に夫の病室に行く。すると夫はいなかった。隣のベッドの男性が、彼は検査に行ったよという。看護師が前日たぶん検査は午後からだと言っていたので午後だとばかり思っていたら、順番が早かったらしい。夫の病室は二人部屋で、土曜は一人だったが、日曜の晩に隣のベッドに30歳くらいの男性が入院してきたので、昨晩から2人だ。

夫を待っている間、私は夫のベッドに横たわってテレビを見たりしていた。電動ベッドの背を少し起こして足が少しあがるベッドポジション。しばらくすると腰が痛くなった。なんと寝心地の悪いベッドなんだろうとびっくり。普通、電動ベッドはもうちょっと寝心地いいんだけどなぁ、と思う。そうこうしているうちに夫が戻ってきた。検査結果はあとから医者がきて説明してくれるそうだ。

昨夜はあれからどうだったかと聞くと、夫は自分の初日がそうだったように、隣のベッドの男性の治療のために夜中じゅう2時間おきくらいに、入れ替わり立ち替わり医師や看護師がきて、診察やら検査やら投薬やらするので、うるさいし、彼のベッドの上のライトを明るくするのでいくらカーテンがあってもそれが明るくて、眠れなかったという。

それに、このフロアは緊急入院する患者が多く、深夜に3〜4人入院したらしく、廊下の騒音がうるさかったそうだ。病室のドアを閉めればそれほどでもないのだろうけれど、ドアを閉めてはいけないことになっているので、看護師の声などが響くのだそうだ。

かわいそうに夫はこの二日間よく寝ていない。検査は済んだのだし、夫の症状は落ち着いているので今日中に何とか退院したい。少しすると専門医が来て検査結果は悪くないので、通院治療にしましょう、今日退院してもいいですと言う。しかし、これこれの危険があるので、こういう薬と、こういう薬を毎日飲むようにと言われた。

とにかく今日中に退院できることがはっきりしてよかった。昼食時間に近くなったが、夫は一刻も早く家に帰りたい、病院の昼飯なんかどうでもいいと言う。しかし退院手続きがある。器具を看護師に外してもらって、点滴がいつでもできるように針がついた注入口が手の甲につけられたままなので、それもとってもらわなければならない。結局そんなに早く看護師はこない。昼食がきたので、夫はそれを食べる。パスタ系の料理で、この3日間の中で一番ましな味だった。わたしは持参したクロワッサンを食べた。

米国の病院では入院は短期だと聞いていたが、実際、実に回転が速い。昨晩入院してきた同室の男性は1泊だけで退院だそうだ。米国の看護師が雑誌に書いていたが、入院患者はほとんどが数日で退院していくので、看護師は主には投薬してまわるばかりで、患者との密接なコミュニケーションなどとって人間関係をつくるという機会などほとんどないということだが、本当にそうだなあと思った。日本のテレビ番組で見る日本の入院風景とはかなり違う。

午後3時ごろになってようやく退院手続きが終わり、看護師が来てくれて器具などを取り外してくれた。ようやく普通の服に着替えて荷物をまとめて病院を去った。なんとかこのまま、時々の通院治療でなんとかなりそうだ。やれやれ。

厳しく言うとかえってストレスになるので、夫には徐々にたばことお酒をやめてもらおう。健康第一!