今月の執筆者

南 場 兄 一

アザレアとは…

「アザレアのまち音楽祭」が今年もはじまった。それも今年は記念すべき第30回だとか。讃えられる音楽祭だ。にもかかわらず、私はこの音楽祭の時期を迎えても素直によろこべない。なぜか。            

 私は倉文協に舞台分野でなく展示分野の会員として加わった。だから、という単純な理由ではない。より根源的な理由だ。それは、なぜアザレアなのか、という問いからスタートする。

 私はたびたび加藤三良右衛門さんを訪ねる。加藤さんは私にとって人生の大先輩だ。88歳の今も4町半の広大な土地に800種に及ぶ、数千本の椿を育て、守り、愛する。

椿の時期が去ろうとした先日は、椿の大群落の合間に鮮やかなバター色の西洋ツツジを見つけた。アザレアだ。正確な名は「エクスバリー・アザレア」。加藤さんいわく「のぼせるくらいええ花」だ。

 もっともアザレアは種類が多く、花の色も多様だが、そのいずれのアザレアも「のぼせるくらいええ花」であるのは間違いない。

「アザレアのまち音楽祭のこと」と銘打った巻頭言にあるように、河本緑石は宮沢賢治らとアザリア会をとおして交流を深めた。みごとなアザレアにのぼせたにちがいない緑石や賢治らは「アザリア」を実り豊かな同人誌に創りあげていった。

 もともとヨーロッパには野生していなかったツツジの仲間を、イギリスの銀行王が生涯をかけてついに開発にたどりついたのがエクスバリー・アザレア。1917(大正6)年、当時の緑石や賢治らがアザレアにのぼせて、同人誌の名称にしたのもうなずける。

 さて、いま、いったい倉吉の町の何人のひとがアザレアを育て、咲かせ、のぼせているのか。アザレアを育てず、咲かせず、のぼせない人たちが「アザレアのまち音楽祭」をより発展させ、継承することができるのか。

 倉吉市の木はツバキだ。が、依然としてツバキで町おこしをする熱が伝わってこない。市の花のツツジにして然りだ。いっそのこと、アザレアを市の花にして全国に発信したらどうか。一ヶ月半に及ぶ「日本一長い音楽祭」である「アザレアのまち音楽祭」の認知度もいっそう高まろう。全国から音楽祭を楽しむお客さんが増えるだろう。それにはまず、倉吉の人たちがアザレアを育て、咲かせて、のぼせなくてはならないが、さて…。

(日本現代美術協会鳥取県支部)