今月の執筆者 波田野頌二郎
本の孤独
人が一生を通じて一番こころをかよわせるのは、実は本だ。人は人以上に深く本とつき合い、そしてこころを本にゆだねる。
書架にあるどの本でもいい。もう一度頁をめくってみる。すると、あらかた話は忘れてしまっているのだが、かといってはじめて読む話ではなく、自分の幾重にも重なる記憶の層から、話の場面が確かに浮かび上がってくる。さらに読みすすめると、記憶の中の場面場面がひとつの連なりとなって繋(つな)がり、物語は読んだときの本になる。つまり記憶の中にずっと沈んでいた物語は、決して別の話に変わったり、別の話と紛れたりはしない。まして自分が話を変えたりすることもなく、じっととどまっている。だから私たちは一冊の本を、自分のこころのように自分だけのこころにしまっておくことができる。本は極めて個人的な営みとして読まれたのち、私たちのこころの部屋へ入り、はじめて一人のための本となる。
このような本と私たちの関係ではあるが、ある時写真集の中にこんな場面を見た。誰もいない部屋の机の上に、本だけが積み重ねられたままになっている。それだけの写真である。その部屋にはいま窓から夕暮れの西日が射していて、私たちが戦後暮したあの懐かしい部屋のようであったから、本たちがとてもいとおしく思われてならなかった。その時一瞬思い至ったことは、本の孤独ということであった。写真は、これらの本を開いた人はずっと昔に亡くなっていて、もうこの世にはないということを暗示していた。しかし、本は先ほどまで読まれていたように机の上で重なっている。
人は他人の蔵書にはまったく関心を示さないという性癖をもっている。人はこの部屋にいた人と同じ気持ちで、机の上に置かれた本を読みすすめたりはしない。机の上の本は読んでくれた人のこころの中でその人とともに人生を生きてきた。人は他人のこころをそのまま引き継ぐことはできない。だからその人の死とともに、本はその人のこころの中で生きてきた命を終える。残るのは形としての本だ。それが本の孤独である。
ひたすら誰かを待ちつづける机の上の本、写真はよくこのことを写し取っていた。
(混声合唱団みお)