リレーエッセー 2011.8月号 森 博之
リピート
ある日、小学一年生のA少年は、一年梅組の教室をそっと抜けだし(担任の許可あり)、トイレに向かって急ぎ足で廊下を歩いていました。彼の小学校では、純和風の「松竹梅」という学級名が採用されていました。何しろ学校名が「幸小学校!」だったので、「幸・松竹梅」は、最高に目出度くハッピーな組み合わせでした。
話をもどします。彼が竹組の前を通過し松組に差しかかった時、松組の方から子どもたちの歌声が聞こえてきました。
「音楽の授業かな」
と思いながら松組の前方の戸口まで来ると、教室の戸が開いていました。彼は、通り過ぎながらチラッと教室の中をのぞき込みました。彼の目に映ったのは、松組担任のK先生(男)の姿でした。
「あっ!」
A少年の目は大きく見開かれ、彼は一瞬立ちすくみました。
K先生がオルガンを弾いていたのです。K先生のオルガン伴奏で子どもたちが楽しそうに歌っていました。小学校の先生がオルガンを弾くことは普通のことです。現に、彼の担任のY先生(某楽器メーカーと同じ名前なので上手に弾けるのだと思っていた)も教室の足踏み式オルガンを弾いていたのですから。
ところが、A少年は生まれてこのかた、男の先生(人)がオルガンやピアノを弾く姿など見たことがなかったのです。
白髪の目立つK先生は、太めの黒縁めがねをかけていました。おじいさんみたいで、何だか怖そうな先生だと、A少年は思っていました。そんな思い込みも手伝って、彼にとってその光景は、「ありえない!」驚きだったのです。でも、オルガンに向かっているK先生の顔は、やさしそうな顔に見えました。
そして、この「オルガン事件」はその後、記憶の彼方に忘れ去られました。
さて、六年生になったA少年は六年梅組。担任は推定四十才代のM先生で、彼には初めての男の先生でした。
小学校の一日は、学級の「朝の会」で始まります。子どもたちの出欠を確認したり、連絡を伝えたりする時間です。朝の会が終わると、一時間目の授業が始まります。
隣の竹組からは、教科書を読む声が聞こえてきます。梅組からは、音楽が聞こえてきました。どうやら音楽の授業のようです。でも少し変です。梅組からは毎朝、同じ曲が流れてくるのです。一時間目が毎日音楽であるはずはありません。それにM先生は、音楽の授業を受け持っていませんでした。
梅組の子どもたちが、毎日のように聞いた(聞かされた)曲、それはベートーベンの『交響曲第九番』です。音楽をかけるようになった理由は、A少年にも思い出せません。
では、毎朝『第九』が厳かに流れていた梅組は、どんな様子だったのでしょう。彼の記憶によると、まずM先生は、目を閉じ小首をかしげた姿勢で教卓の脇に立ち、軽く握った両手を音楽に合わせて上下に打ち合わせる仕草をくり返していました。一方、子どもたちも静かに音楽に聴き入っているようでした。でも中には教室の時計を見ながら「一時間目が残り少なくなっていく」のを心配(楽しみに)していた子がいたのも事実です。
『第九』は大曲だから小学生には無理。そんな声が聞こえてきそうです。しかし記憶力などが最も高いと言われる時期にある彼らの能力は計り知れません。はじめの頃こそ、少し退屈そうだった彼らも、少しずつメロディを覚え、鼻うたで口ずさめるようになると、純粋にこの時間を楽しむようになりました。
大晦日、A少年が「レコード大賞」を見ないで、教育テレビの『第九』を食い入るように見ているのを目撃した家族は、「どこか悪いのか」と心配しました。お年玉で『第九』のレコードを買った友だちもいました。
M先生は、所有していたポータブル電蓄!と大切なレコードを教室に持ち込み、子どもたちにクラシック音楽を「伝えて」くださったのです。その頃、東京ではオリンピックが開催されていました。
歳月は流れ、時代は二十一世紀。中年になったA元少年は、小学校に勤めていました。
ある日、A中年は一年生の教室で、電気オルガンを弾きなが音楽の授業をしていました。
伴奏に合わせて子どもたちが楽しく歌ってくれると、なぜか嬉しくなります。ふと人の気配を感じた彼が戸口の所を見やると、隣の組の男の子が驚いたように立っていました。
「これって・・・」
A中年は一瞬遠くを見るような表情を浮かべました。でも、その男の子には、先生が微笑んだように見えました。(上灘小学校合唱団 指揮者)