今月の執筆者 山 本 浩 一
生命を奪う浮遊ゴミ
年末年始の予期せぬ大雪で、家に閉じ込められる日が続いた。例年だと正月を迎えるまでに墓参りし新しい花を手向けるのだが、深雪でその習わしも叶わず、炬燵に嵌っていても落ち着かなかった。こんなことは初めての経験である。
年が改まって十日ばかり経った或る日、久し振りに青空が覗いたので、早めに朝食を済ませカメラを片手に小躍りして浜辺へ出かけた。なんのことはない暫らくシャッターを切らない日が続き、溜まっていたストレスが自然に体に反応したのである。
浜辺には毎日のように雪を運んできた季節風が残っており、頬をなでる風は冷たい。次第に手足が硬直していくのが分かった。沖合には幾条もの白波が立ち、朝日を受けて波間を飛び交う鴨の群も見られた。冬特有の海は限りなく魅力的で、腹をすかしていた私にとっては好個の被写体でもあり、ゆっくりと硬直した指をほぐし、心いくまでその情景をカメラに収めた。
波打際は相変わらず漂着したゴミの山である。漂着物は大型から小型にいたる漁具類、ビニールやプラスチックを素材にした洗剤やジュース瓶等さまざまで、殆どがいわゆる石油製品である。朽ちないゴミとして辺り一帯に散乱していた。
かつて、私の住む泊海岸と隣町の青谷海岸は、鳴り砂の浜として広く知られていた。今は残念ながら海岸浸食と漂着したゴミの影響で、その音は聞こえなくなってしまった。荒廃した砂浜に素足で踏み入れようものなら、硝子の破片で大怪我をするのが落ちである。また、物資の不足した太平洋戦争時代には砂浜に塩田を造り、濃縮した海水を煎じ食塩を作ったこともあった。それほど海水と砂浜はきれいで安全でもあった。
今や安全は昔物語である。科学雑誌は、海鳥や海獣が海面を浮遊するゴミを食べ、死に追いやられている実態を例証し、環境問題に警鐘を鳴らしつづけている。以前、私も泊漁港で撮影中、目の前で海猫がナイロンの端切れを飲下している現場を目撃したことがある。話には聞いていたが、とても信じられない光景であった。今でもその衝撃のフィルムを保存しているが、海猫は胃袋に消化せぬ異物を抱え込み、再び故郷の空を舞うことはなかったであろう。
(写友会うしお会員)